瞬きの狭間に 永遠は在る






                                             



 UC0079年。地球標準日にして12月31日。
 宇宙要塞ア・バオア・クーは、もはや役にたたない巨大なだけの岩塊と化していた。
 ──いや。単なる岩塊なら閃光は放たない。ごつごつした表面から時折ひらめく鮮やかな色彩は
は内部の爆発か、それともMSのものか。どちらにせよ炸裂するその光の中で、連邦軍とジオン軍
の兵士たちが幾多の命を散らしていることだけは確実だった。




 アムロは、半壊したガンダムを置き去りにして自らは要塞内部へと降り立っていた。こつんと回
廊のひとつに着地し、腰の銃を確認する。慣れない感触だが手に取らない訳にはいかない。
 人の気配は、もうすっかり疎らだった。代わりに酷い死の匂いが充満していた。
 敏感なアムロの耳にはたくさんの兵たちの悲鳴が聞こえる。それは死んでしまった者たちの今歳
の際の叫びだ。怒号、悲鳴。なによりも悲しみ…。
 アムロは必死で死者の声から逃れた。捕まりそうになったからだ。今はまだ立ち止まっている余
裕などない。
 アムロは軽くかぶりを振って気を取り直した。銃を片手に、一歩だけ踏み出す。
「…よし。このまま行けばア・バオア・クーの核へ行ける。…やれるぞ!」
「──そう考える力をくれたのは、ララァかもしれんのだ」
 思わず呟いた独り言、まさか誰かからの返答があるとは思いもしなかった。
 直に心臓を鷲掴みにされたような気分で立ち止まる。聞き慣れた、耳慣れた声。感じ慣れたその
気配。
 なにより、ニュータイプとしての、凄まじいプレッシャー。
「感謝するんだな、アムロ?」
 シャア、だった。赤い彗星の。…しかもララァの名前を容易く口にして。
 ──ララァ! ララァ! ララァ!! 僕が殺した! 殺してしまった!!
「ッ…貴様がララァを戦いに巻き込んだ!!!」
 アムロは絶叫し、声の方向にすかさず銃の照準を合わせた。だがビームは何もない宙を走り抜け
て、乾いた金属の壁に当たり、弾けた。シャアはその壁の横に居た。
「それが許せんというのなら間違いだ、アムロ」
 シャアは、さらりと答えた。薄く笑みさえ浮かべてみせる。
「戦争がなければララァのニュータイプへの覚醒はなかった」
「それは理屈だ!」
 あまりにもこじつけがましい言い訳にアムロは激する。シャアは奥の通路へと身を翻した。
「…だが、正しい物の見方だ!」



 シャアとアムロが入り込んだ部屋は、貴族主義の漂う迎賓室のひとつだった。壁にフェンシング
用の飾り剣が幾本もかかっているのをみとって、シャアはすばやくそれを手にする。飾りとはいえ
カバーもされていない剣は剣だ。十分に相手を殺傷できる。
「判るか! ここに誘い込んだ訳が!」
 アムロは、こんなところで生身でシャアと対峙するとは思ってもみなかった。MS戦でのケリが
ついた時点で、アムロにとってはシャアは、厳密には「敵」ではなかった。憎しみと嫉妬は抱いて
いたのだけれど。
 そう。何よりも痛い憎しみという執着だけが、今或る感情の総てだ。
「いくらニュータイプでも、身体ひとつで戦うのは普通の人間と同じだと思ったからだろ!」
 …この執着は何だろう。アムロは僅か瞬きひとつの間に思い惑った。
 僕はそんなにララァのことを好きだった? この人を憎まずにいられないほど。
<違う。それは言い訳だ。ララァを殺したのは僕自身だ。シャアじゃない。シャアのせいにするの
はあんまりにナンセンスだ。それじゃあ八つ当たりとおんなじだ…>
 シャアに対する憎しみなら、自分自身に関しての筈だった。数え切れないほどつけ狙われ、また
戦い、その中で数々の味方を失っていた。恨むべき理由はいくらでもあった。
 だがアムロは、どう考えてみてもララァのこと以外でシャアを憎いと思えないでいたのだ。それ
どころか、たくさんの仲間を殺された仇敵であるということを考慮して尚、尊敬や憧れに近い感情
を捨て切れなかった。
 「赤い彗星」との通り名は、アムロにとっても畏怖の称号なのだ。
 …ララァのこと以外では。
<ララァ…>
 彼女が居なくなったことで、アムロは魂の何処かに空洞を作ってしまった。あまりにも深く共感
したせいで意識の一部が彼女と融合し、しかもそれを突然もぎ取られたようだった。以来アムロは
その見えない傷を常に強く感じている。
 足りない何か、が誰かを呼ぶ。ララァではなく、他の誰かを。
 ──それともこの空虚にはララァが在ったのだから、ララァが呼んでいるのか?
 ララァの魂のかけらが「シャア」を──。
「そうとも…ニュータイプといえども身体を使う技は訓練をしなければな!」
「そんな理屈!」
 一方、シャアにとってはアムロは間違いなく「敵」だった。純粋な、倒すべき強敵。ララァを目の
前で失い、自身も惨敗したのだからその屈辱や如何に、というところだろう。ところが、まったく奇
妙なことに、彼は心からアムロを憎んではいなかったのだ。アムロとは正反対に、むしろララァを間
に挟んでの同胞とすら、思えていた。
 決して並び立つことの出来ない、けれど限りなく近い存在。だからこそ戦って倒さねばならなかっ
た。
 誰にも譲れない、宿命の相手──。
 …この執着は何だろう、シャアはほんの瞬きひとつの間に思考する。
 ララァを失ったから? 私はララァを愛していたのか?
<愛していたとも。ニュータイプとしての彼女の才能を、したたかな彼女の心を>
 生きていればおそらくはシャアの側で彼の理想的な伴侶になっていたろう。
 だが、そのままではそれ以上の何者にも彼女はならなかった、とも確信する。ララァがララァらし
く覚醒したのはアムロが居たからだ。アムロと出会いさえしなければ彼女は「優れたニュータイプの
一人」でしかなく、こんなにも自分の心を占める存在にはならなかった。
 ──ララァが生きているときには、彼女にはそれほど固執していなかったというのに。
<何故こんなにも心が乱される。何故だ? …ララァ>
「本当の敵は、ザビ家ではないのか!?」
「…私にとっては…違うな!」
 心の片隅で、「本当に?」という自嘲気味な声が響く。けれどシャアはその声を振り切った。今こ
の瞬間には、ザビ家打倒の目論見など後回しだった。ただアムロとの決着。それだけ。
 そしてアムロもやはり、ララァのことで頭が一杯になっていた。
 …というより、目の前のシャアに意識を集中していたのだろう。鋭敏すぎるニュータイプ感覚を総
てシャアただひとりに振り向けた。
<…アムロ!!>
<シャア…ッ!!>
 慟哭のように叫ぶ。その声なき声に、意識の片隅が不可解な感覚に揺らぎ始めた。
 ──何かが解放されていく…微かな潮騒が響いている…。
 ふわり、と、青い水面のようなきらめきが目の前を覆った。
「──二人ともやめて! やめなさい!!」
 その時だった。  悲鳴のような叫びが廊下の片側から響き渡ったのは。


「やめなさいアムロ! …兄さん! 二人が戦うことなんてないのよ!」
 セイラだった。どうやってここまでたどり着いたのか。
 けれど戦いに火花を散らす二人は、もはや彼女の姿を振り返りもしない。互いに合わせた視線
を外さないまま、更に剣を振りかぶる。
「やめて! 二人ともやめて!」
 セイラは必死で叫んだが、アムロもシャアも決して止まらなかった。…二人にはそれだけの拘
りがあるのだ。
 いや、それともこれこそ引き合う力、なのかもしれない。
「シャアーーーーッ!」
「ちぃいッ!」
 勢いよくアムロが斬りかかってくる。いっそ小気味よいほど甲高い鋼の音が満ちて、噛み合った
剣の刃先は弾けて逸れた。片方はアムロの腕に、もう片方はシャアのヘルメットを割ってマスクの
額部分に突き刺さり、そのままもつれるように二人はぶつかった。
 酷い痛みが互いを襲ったが、そんなことには構っていられず二人は睨み合う。空中で抱き合って
いるとしか言えない状態だったが、それもまた、限界まで意識を張りつめている彼らにとってはど
うでもいいことだった。
 意識は拡大しすぎ、ハレーションを起こした。弾け、うねり、相手の意思と重なった。
 …そしてその直後、唐突に「それ」は始まったのだ。

<…う…ッ…!>
<…あ…>

 突然二人の脳裏に真っ青な海が満ちた。まったく思いもかけない現象だった。
 満ち潮は滑らかに意識を広げていく。ひたひたと冷たい波が迫り、いつしか虚空を水底へと引き
込んでいく。シャアは、虚空のさなかにぽつんと立ちつくした己を自覚した。それは総て頭の中だ
けの空想の世界であるけれど、或る意味ではとてつもなくリアルな世界だ。
 …海に溶けていきそうだ…と、シャアは思った。
 また、同じ瞬間にアムロは、かつてララァと語り、失った一瞬の交差を思い出していた。彼女は
いつもしなやかな白鳥だった。だが今、柔らかな海面には白い影のひとつもない。代わりに。
 …ああ。アムロは軽い衝撃に呻いた。
<シャア…>
 ゆらり、と朱金の影。鮮やかな毛並みは炎のよう。ひときわ美しい、立派な狼がうなだれて海辺
にたたずんでいた。アムロの目にはそう映った。
 どきり、としてまばたきすると狼の姿は消え、その場所には茫然と立つシャアが居た。アムロに
は、その獣が獣の姿をしているときからシャアだと、一目でわかったのだけれど。
<…アムロ…?>
 彼らの意識は溶けて、ひとつになった。──あり得ないほど深く…二人は共鳴していた。



 自分と同じ感覚をアムロも味わっていると気づき、シャアは愕然となる。
 ララァと自分では決して起こらなかった共鳴。これが、…ニュータイプ同士の真の感応なのか。
<…今、ララァが言った…>
 アムロは声ではなく心でシャアに語りかけてきた。少年らしいのびやかな、それでいて細やかな
揺らぎを感じる。
 ──ああ、この海はアムロのイメージか。シャアは不思議と安堵に包まれた。どうしてなのだろ
う。誰よりも何よりもほっとする。
<ニュータイプは…殺し合う道具じゃない、って…>
<ララァが…今…?>
 シャアは、途端に嫉妬めいた思いにとらわれた。
 ララァは死んでしまった後もアムロに呼びかけているというのか。自分は今この瞬間にアムロの意
識とだけ交感しているのに、アムロは同時にララァの声を聞いているというのだ。
 だが…どちらに対しての嫉妬なのか?
<今という時代では、ニュータイプなぞ戦争の道具にしか使えん!>
 怒りに任せて自嘲気味な台詞を吐いてみた。
 例えばアムロとララァとか、自分とアムロとか、そういったごく限られた者同士がまるで運命の
恋人のように引かれ合うくらいしか出来ない、意識の中だけの革命。ニュータイプは孤独な異端者
だから。
<…ララァは死にゆく運命だったのだ!>
 ──シャアは、自分自身に言い訳をするような気分で思わず口走った。


 その言葉が「単なるものの弾み」のようなものであることは、意識そのものを共有しているアム
ロには判っている筈だった。シャアもまた、酷い罪悪感や敗北感にうちひしがれているのだ。それ
が痛いくらいに伝わってくる。
 それでも、その言葉はアムロにはどうしても許せなかった。
 …どうしても、だった。シャアの考えていることが自分の胸の内に染み通ってくるだけに、いっ
そう辛かった。アムロは突然、一方的に「リンク」を切った。イメージの海はまたたく間に消え、
ごく平坦な回廊が視野に戻ってきた。
 …僅か、1秒にも満たない共鳴だったのだ。
「……貴様だって…ニュータイプだろうに!!」
 殆ど涙声で怒鳴られて、シャアはいたたまれない思いにとらわれる。
 ああ、そうだとも。結局覚醒しきれなかった出来損ないのニュータイプなのだよ。しかもどうや
ら君としか共感できないらしいしな。
「二人とも…やめなければ駄目ぇーーーッ!!!」
 再度の叫び声に、二人はようやく我に返る。振り向けば爆発音と共にセイラが空中に投げ出され
ており、それが二人の間を物理的に分かつ羽目になった。壁に激突したアムロは痛々しい悲鳴をも
らしてぐったりし、セイラはあわててアムロからどいてやった。そこにシャアが降り立つ。
「どくんだ、アルテイシア」
 シャアは話の途中で共鳴がとぎれたことに、酷くいらだっていた。さっきまで振り回していた剣
(先は折れてアムロの腕に刺さったままだった)をアムロと妹に向ける。まだ幼いとも言える宿敵
が弱々しく壁にもたれているのを見ながら、シャアはふと、いっそこのまま殺してしまえば、アム
ロに語りかけるララァのように、アムロも私に語りかけるのだろうか、とも思う。
「嫌です! アムロに恨みがある訳ではないでしょう!」
「………ララァを殺された!」
 シャアはむきになって答えた。だが恨んでいるのは自分よりもむしろアムロの方だろうと思うと
二人のつながりにまたもや嫉妬心が芽生えた。
「それは、お互い様でしょう!!」
 確かに、その通りだった。ララァとの関係を抜いてしまうと、アムロと自分とはあまりにかけ離れ
た存在だった。ララァは正しく相反する二人を決定的に繋ぐ架け橋そのものなのだ。ニュータイプ同
士だというのを理由にするには、父の提唱した人類の革新論は抽象的すぎた。
「……な、なら同志になれ! その方がララァも喜ぶ!」
 言いながら、多分それはとても良い案だとシャアは思った。味方であれば、理解もできよう。間に
挟まったばかりに死んでしまったララァも、自分たちが戦わずに済めばきっと喜ぶ。いかにも合理主
義的なシャアらしい結論のすり替えだった。
 だが、あまりに一足飛びな誘いに、アムロは唖然とするしかない。そもそもララァが命を懸けてま
で庇った相手の台詞とも思えなかった。
 何故ララァが死んでしまったか彼は判っているのだろうか?
 …僕は、僕が、ララァを殺してしまったというのに!!!
「正気か? 貴様…」
「貴様を野放しにはできんのだ!」
 また爆発音が響いた。3人まとめて吹き飛ばされ、アムロだけが廊下の向こうに流されていった。
それを横目に眺めながら、けれどシャアは目の前で悲鳴をあげる妹を炎の手前から助け出す。
「兄さん、額の傷…」
 ああ、これか。シャアは苦く笑う。
「ヘルメットがなければ即死だった」
 呟きながらアムロの気配を追ったが、向こうの意識がとぎれたのだろう、すぐにふっつりと気配は
なくなった。つくづく、もう少しニュータイプ能力が余分にあればよかったと思う。
<おかしいな。本当に私は、アムロのことを心配している。さきほどまで殺し合った相手だというの
に>
 そう思って、唐突にああなるほどなとシャアは納得した。ララァがアムロと、戦いの最中に交わし
た共感というのはこんな感じだったのか。
 戦い合った相手であろうが、敵であろうが。魂はそんなことはものともしないのだ。
 妹の顔をまじまじと眺めるうちに、どうやら少し気が落ち着いてきたようだった。シャアは、本来
自分のなすべきことを思い出す。…そうだ。もともと自分はザビ家打倒を掲げてきたはずだった。
 アムロが居ない今、アムロとの決着はもはやつかない。お互い、生きていればまた逢うだろう。
 シャアは瞑目した。…彼とふたたび逢える日がくれば、あの一瞬の懐かしい場所へ、また辿りつ
くことができるだろうか?





 アムロは、たった一人で暗い穴底へ落ちていた。
 少しの間気を失っていたらしい。だが吐き気を催すほど激烈な痛みで目が覚めた。腕に刺さった剣
を必死で抜くと、またその衝撃だけで気を失いそうだった。
 立て続けの爆発に流されていたアムロは、けれど、その暗い穴の底に馴染みのある白いMSの胴体
を見つける。ガンダムだった。
 まだ、助かる道はある。生き残る気があるのなら。
 どうにかコアファイターだけ切り離して、中に乗った。ぐったりとコクピットに埋もれて、アムロ
は力無く微笑んだ。
「ララァ…」
 呟くと、笑い声が返った。
<うふふ…>
「どうすれば…いい? ララァ。僕は…」
 ララァはアムロの回りをあたたかく包んだ。母親のような気配。また笑いがさざめいた。
<アムロとは…いつでも遊べるから…>
 本当にそうだね。アムロはため息を漏らした。WBの仲間たちが脳裏に鮮やかに浮かんだ。ニュ
ータイプ意識は時も、空間さえも超えるのだ。
 だから、ララァとはいつでも遊べる…彼女に触れることはもう永遠にできないけれども、その代
わりに彼女はあらゆる処に居て、笑ってくれる。それが今、判った。
<──だったらもう、あの人を…シャアを憎まずに済む…いつか、理解し合うこともできるかもし
れないんだ。僕たちは同じ痛みを分け合っている筈だから…>
 ぽつりとひとりで立っていた、彼。誇り高く美しく、そして傷ついた孤独な獣。
 知らず、一粒涙がこぼれた。
「ララァ…見えるよ、みんなが…」
 WBの仲間たちにひとりずつ呼びかける。大体全員に呼びかけた後、最後にもう一度、彼のこと
を思い出した。
 アムロは、シャアには呼びかけなかった。ただその気配だけをララァと共に感じた。
 生きていたらまた、必ず逢えるだろう。そのときはもう少しゆっくりと、…例えばお互いの話と
かが出来るかもしれない。
 アムロは瞑目した。何処かとても愛おしいあの、孤独な獣を思い出して…。





 UC0080年1月1日。
 ジオン共和国と地球連邦政府との間に終戦協定は結ばれた。その生存者名簿の中にアムロ・レイ
は刻まれたが、シャア・アズナブルの名はなく、しかも戦死者記録にもなかった。