約束の海 - 1






                                            



 探し続けてきたものに、出逢えたと思った。
 ずっとずっと求めていた。心の隙間を埋めてくれるような、何か、を。
 …それは、酷く懐かしい、けれどまだ見ぬ遠い故郷を愛おしむ感覚に似ていた。





「…何をする気だ? アムロ!?」
 アウドムラが敵のMAの射程に入ってしまった、その刹那。
 一機の輸送機がクワトロの駆る百式の横をすり抜けて疾走した。Mk-IIに乗るカミーユも、あ
まりに意外な存在にただ唖然と機体を見送る。それはそうであろう。MS同士の戦闘に、機動力
のかけらもない輸送機で突っ込んでくるような者が何処の世界に居る?
「下がっていろ! シャア!」
 不意に馴染みのある声音がクワトロの耳を打つ。しかも二重にダブって聞こえた。通信回路か
らだけでなく、脳裏に直接、響いていたからだった。
「…アムロ…?」
 無意識に呟いて、ふと、何故馴染みのある声だと感じたのかとても不思議に思った。彼が本当
にアムロだったとして、彼と話したことがあるのはもう7年以上も前、それもたった2回だけだ
というのに。
「なっ…なんだとぉーーっ!」
 まったく予想だにしなかった相手に特攻され、敵MAは無惨に半壊した。アウドムラはぎりぎ
りで撃沈を免れ、一方状況が芳しくなくなったことに戦意を喪失した敵は鮮やかに撤退していっ
た。輸送機は空中分解しながら落下しつつあった。
 百式が体勢を整えるより先に、輸送機からこぼれ落ちた青年をカミーユのMk-IIが掬い上げて
いた。夕陽にまぶしく照らされて、青年の姿はよく見えない。それでも。
<…間違いない…アムロ・レイだ…>
 そう確信した瞬間、思いがけなく幸福な気分で満たされた。
 ──まったく不可解なことに。
 どうしてこんな温かな感情が生まれるのか、自分でも判らない。ただそう感じてしまうのだ。
<アムロ…>
 かつて一度だけ共有した無限の意識世界を、クワトロは思い出していた。アムロも今、7年前
と同じように自分のことを感じてくれているのだろうか。
 クワトロは矢も楯も堪らずコクピットのハッチを開けていた。
 アムロがまるで待っていたかのように視線を合わせてくる。茜色に染まった空が何故か広大
な海の水面に見えた。潮騒が微かに響いた…。




 アムロは、クワトロに対して「シャア」としか呼びかけなかった。
 クワトロ本人が訂正しても、アムロは前言を撤回しなかった。じろりと睨む。
「…シャア。何故地球圏に戻ってきたのです?」
 アムロがアウドムラに入って以来、これが初めて交わした会話だった。アムロは、アウドムラ
に収容されてからもできるだけクワトロを避けて歩いたのだ。いっそ何か皮肉でも言ってくれれ
ば気も楽なのに、とクワトロは思ったものである。
 もちろん、自分たちが劇的な出逢いを喜び合うなんて間柄ではないのは判っているから、改め
て話す際の心構えを作る時間だと考えていればさしたる不満はなかった。なにしろ自分もけっこ
う混乱していて、とっさに何を口走ってしまうか実は心もとなかったのだ。
<…アムロも、私のことをすぐに判った…>
 シャア、と呼んだ。一片のためらいもなくシャア、と。
「君を笑いに来た。そう言えば君の気が済むのだろう?」
 こう言えばアムロが怒って何か言い返してくるだろう、そんな不埒なことを思いながらも努
めて穏やかに返答してみた。案の定アムロはいきりたった。
「…ッ…好きでこうなったんじゃない! それは貴方にだって判るだろう!」
「しかし、同情が欲しい訳でもない」
 アムロは途端に押し黙った。心なしか、覇気が薄い。…いや、まるで無い。まるで別人のよ
うな感触を感じてクワトロは一瞬ぎくりと凍った。
 輸送機をぶつけてきた、あの瞬間は確かに7年前のアムロとまったく同じだったのに。
「…何故、地球圏に返ってきたんだ…」
 アムロはまたさっきの問いを繰り返した。奇妙な怯えを混えた瞳がおどおどと空中を彷徨う
その様子に、クワトロは我慢ならなくなったらしい。嫌味のつもりでララァの名前を出してみ
た。ララァの名を聞けば、いやでも自分との関わりが重く厳しいことを思い出すだろう。
「…ララァの魂は地球圏を漂っている…火星の向こうにはいないと思った」
「ララァ…!」
 その言葉と同時にふわり、と感じる柔らかな思念。それは確かにアムロのものだった。自分
が懐かしいと思い、また求めてきた力の源だ。
 今でもアムロはクワトロを…シャアを引き寄せる。
「ララァは…」
 アムロは、苦痛を帯びた表情で何かを言いかけていた。
 が、不意に口を閉ざす。そのままぷいとそっぽを向いて、その場から立ち去ろうと歩き出し
た。その肩をとっさにクワトロは掴む。ほとんど無意識に自分の方へと引き寄せてしまってか
らようやっと、クワトロは掴んだ肩の思いがけない細さにぎょっとして、手の力を緩めた。
「待ちたまえアムロ君」
 動揺のためか、口調が仰々しいものになっている。
「…自分の殻に閉じこもっていては、連邦…ティターンズの言いなりになるだけだぞ」
 アムロは、図星を指された、としか言いようのない顔になっていた。7年前に自分に向かっ
て剣を振りかざした少年の挑むような強い瞳は失せて、代わりに何もかも諦めた、憔悴の色を
濃く映した双眸が目の前にあった。
 ああ。クワトロは胸を突かれる。
 …連邦政府は、たった16の子供を7年間も拘束し、その心を塞いでしまったのだ。
「アムロ」
 大切な宝物を失くしてしまった気がした。心の中だけの美しい宝石。いや、聖域が汚されて
しまったかに思えた。大げさではなく本当に、そのことだけでも十二分に地球連邦軍を憎いと
思える。
 …そのくらいアムロという存在はクワトロに、いやシャアにとっては別格だった。
「は、離せシャア…ッ…」
 クワトロは離さなかった。それどころか一層きつく肩を引き掴み、まるっきり抱き寄せるよ
うな格好でアムロを真っ向から睨み付けた。あまりにも接近されすぎて、アムロは怒るよりも
先にたじろいだ。それはそうだろう。殆どキスも出来る距離だ。
「ちょっ…シ…シャア…! なにを…ッ…!」
「覚えておきたまえ、アムロ」
 アムロが必死で身をよじっても、クワトロの腕はびくともしなかった。耳元で囁かれてアム
ロの身体が気の毒なほどに硬直する。
 クワトロはその隙にサングラスを外した。アムロを射抜く鮮やかなアイスブルーの瞳。
「籠の中の鳥は、鑑賞される道具でしかない、ということだよ」
 言うなり唇を強引に重ねられた。突然のことに抵抗するのも忘れてアムロは思い切り彼のな
すがままになってしまう。
 ほんの一瞬だけ。
 …何処か懐かしい場所を垣間見る感触が、アムロを覆った。



 クワトロは、逃げ去っていくアムロの背中を茫洋と見送りながら、自分の唇をそっと指の先
で撫でた。不思議な感覚だった。
 何故…キスなぞしたのだろう。アムロは男なのに。自分でも良く判らない。
<…ララァの匂いと…良く似ていた…>
 匂いというのは体臭ではない。ニュータイプならではの感覚の「匂い」だ。クワトロはしば
らく考えてから、今度は自分の手をみつめてみた。
 掴んだ肩は細かった。成人男性にしてはなんだか身体が未発達だった。
<この…私が…アムロに…何を感じた? …今のはまるで情欲だ…>
 …よくよく注意して思い出してみれば、アムロは成人男性としてはちょっと小柄過ぎる感じ
がした。不自然に成長が止まった…止められたような雰囲気だった。確か1年戦争終結時によ
うやく16になったばかりだという話だったから、今は23になっている筈。
 けれどアムロは、物腰や表情こそ大人になったが体格の方はどうも頼りない感じで、むしろ
カラバのメンバーの中では子供のように少しばかり浮いて見えた。本当に子供、というには少
し成長し過ぎているが、大人とはとても言えない。…その不自然さはなにか人工的な気配を漂
わせていた。
<…私は…アムロが…欲しいのか…? 今でもニュータイプ同士呼び合うのか…?>
 結局、ララァにはすまないと思うが、クワトロ、すなわちシャアはララァとではなくアムロ
との共鳴を意識の解放だと感じてしまうのだ。だから、もうララァを愛していたなどとは言わ
ない。返ってララァに無礼だ。
 シャアはララァを敬愛していた。…多分、まるで母のように。
<…アムロと意思を通じたとき…私はとても懐かしい光景を見た…それはとても尊いイメージ
だったような気がする…>
 ララァが母たる女神であるなら、アムロは「半神」だった。どうしてもたどり着きたい、も
うひとりの自分。…そうだ、それなら今の感情にも納得がいく。
 ──シャアはひとつの決意を固めた。
 クワトロではなくシャアとして、アムロの閉じた心を呼び覚ますのだ。そうしなければ自分
の求めるものにもたどり着かない。なによりアムロを解放したい。
 そらに、宇宙に連れ出してやりたい。
「あ、クワトロ大尉」
 夜食のパックを抱えたカミーユが廊下の向こうから駆けてきた。
「カミーユ…なんだ、これからMk-IIの調整か?」
「そうですよっ!」
 なんだか怒っている風だったが、カミーユが癇癪を起こすことなど珍しくもないのでそ知ら
ぬ振りでクワトロは応対した。カミーユは立ち止まらずにすれ違いざま言い残した。
「もうそろそろ休んでください。明日は早いですよ」


To be continued...