頭の中が混乱しきって、めちゃくちゃだった。
アムロは、必死でシャアの腕から抜け出すとなりふり構わずその場から駆け去った。とにかく
あの男の気配から少しでも遠くに離れたかった。彼の気配はあまりにも自然に馴染んでしまうの
で怖かったのだ。
<な、なんでいきなりあんなこと…>
手の甲で乱暴に唇を拭おうとして…はたと止まる。
触れ合ったその場所が気になって、気になりすぎて、返って拭えないのだ。どぎまぎしながら
そっと、掌の方で押さえる。
…どうして意識が引かれてしまうのだろう。敵同士だったというのに、かつてはあれほど憎ん
だ相手だったというのに。
「あ、アムロさん」
ようやく走るのをやめて、それでも足早に進むアムロの背に、突然年若い少年の声がかかって
きた。アムロは努めて冷静な表情を作る。まさか誰にも見られていないと思うが、さっきのシャ
アとのやりとりは誰にも悟られたくない。
「アムロさん、これ、夜食です。どうぞ」
ガンダムMk-IIのパイロット・カミーユだった。生真面目な表情でレトルトパックを手渡し
てくれるのを「ありがとう」と曖昧な笑みで受け取り、さりげなく立ち去ろうとする。だがアム
ロが歩き出すと、カミーユはにこりともしないままその後を付いてきた。
「…アムロさん。僕、ずっと貴方にお会いしたかったんです」
ちっとも嬉しそうでないのにそんな風に言われても苦笑するしかない。大人しそうな、小綺麗
に整った顔立ちの奥に、自分にはなかった刃物の鋭さのような感覚を感じてアムロは一瞬だけ羨
望に近い感情を芽生えさせた。
彼は本物のニュータイプだ。それが判る。もしかしたらかつての自分よりずっと強かで、しか
も両刃のような危うい鋭さを持つニュータイプ。
その刃で己の心まで傷つけなければいい、とアムロはとっさに思った。
「僕、ずっと貴方と比較されてきました。ガンダムMk-IIのパイロットとして、かつてのアム
ロ・レイの再来だ、と。でもそれは僕には苦痛でしょうがなかったんです」
アムロは決して立ち止まらなかった。カミーユもめげずにずんずん付いてきた。
「教えてください、どうやったら周囲の期待に応えることができるのか。どうやったら貴方のよ
うになれるのか」
アムロは、自分に与えられた部屋までたどり着いていた。カミーユが答えを欲しているのがそ
の気配で判る。仕方なくアムロは重い口を開いた。
「俺が初めてガンダムに乗ったのは、ちょうど君くらいの年齢の時だった。…生き延びるためだ
けに、必死でガンダムを動かしたよ。…それだけさ」
何をどう間違って今、自分が「一年戦争の英雄」だなどと言われているのか、アムロにはさっ
ぱり理解できないのだ。ただ人形のように戦い殺し合い、たまたまニュータイプ能力とやらが秀
でていたおかげで生き延びただけだというのに。しかもその英雄とやらを公然とモルモット呼ば
わりし、戦争が終結するや否や、人目に触れぬ僻地に閉じこめてくれた連邦は、自分を人間扱い
もしてくれなかったではないか。
…英雄というのは、人間ではないのか? さんざん訳の分からない人体実験までされて、敬礼
の下で嘲笑されるのが英雄だというのなら、英雄なぞまっぴらごめんだ。
なのに、こうやって知らない人間は自分を勝手に万能の神のように祭り上げる。そういえばカ
ツも随分勝手なことを言っていた。
<まったく…人の気も知らないで…>
「カツは…何か言っていたかな?」
「え?」
アムロは、ジャケットを脱いでハンガーにかけながら振り向いた。カミーユは扉の側でぽつね
んと立って待っていたが、いきなり話題が変わったことに意外な顔をした。
「カツ…一緒に来たあの子だよ。俺のことを何か、言っていたろう?」
カミーユは、さあっと顔色を変えた。何がそれほど彼にショックを与えたのかアムロにはすぐ
判らなかったのだが、瞳がみるみる失望の色にとって変わったカミーユはいきなりばっときびす
を返してしまった。
「そんなの…本人に訊けばいいでしょう!」
捨てぜりふだけ置いて、少年はばたばたと駆け去ってしまった。それを見送りながら、アムロ
はげんなりとため息だけ零した。どうやらカミーユもカツと同じで、アムロのことを過大評価し
ていたらしい。…そしてきっと裏切られた、と思ったのだろう。
勝手に期待して勝手に失望していく。みんな同じだ。
<…みんな、俺がどんな思いでこの7年を過ごしてきたか判ろうともしてくれない…>
だが、内心でそう愚痴った瞬間にさっきのシャアの言葉が甦った。籠の中の鳥、と。
本当に嫌なら、…例え死んでも、外に飛び出せばいいではないか。
<…くそっ…それができるものならとっくにやってたさ!>
自分で自分に言い訳する。けれど、それが逃げ口上でしかないことはアムロ本人が一番良く理
解していた。なるほど、自分は戦いというより「外世界」そのものを怖がっているのだ。
<ティターンズの言いなりになるだけだぞ…アムロ>
「…情けないな…俺は…」
自覚だけはあるのににどうにもできない己の心が癪に触る。自分が嫌いになりそうだった。
──というか、そもそも自分が好きだと思えた瞬間が今まであったろうか?
「…シャア…」
思わず呟いて、扉の縁に額を押しつけた。ひんやりと冷たかった。
アムロは、部屋に落ち着くとすぐにシャワーを浴びた。ベッドに転がったら思いもかけないく
らい身体が疲れているのが判ったので、さっさと寝てしまおうと思ったのだ。いままで懐かしい
顔や知らない顔と対面し、またその前には輸送機で決死の特攻などやっていたのだから疲れてい
ない筈はなかったのに、あまりに興奮していたためか気が付かなかったのだった。
「…ガンダムを若いヤツに乗せて俺はほっとかれて…あてつけなのか?」
酷くいじましいことを言っている、と思いながらもぼそっとぼやいた。だが、口に出して言っ
た途端、なんだかますます惨めな気分になった。莫迦だな俺、と更にぼやいてそれきり黙る。
<…英雄扱いして欲しくないと自分で言ったくせに、MSを目の前にすると自分が先頭に立たせ
てもらえるのが当然だなんて思って…ホントに嫌んなる…>
カミーユの能力はまだまだ未開花な部分が多いが、若い分だけ見込みがある。新参者で7年も
隠居していた自分に出る幕はないだろう。それに。
<まだ、戦うのは怖い…>
生死がかかっている、という意味ではなかった。
アムロの意識の片隅にはいつもララァの気配があるのだ。地球の重力に押しつぶされ引き込ま
れているから滅多に感じないだけで、戦いに身をおけばいやでもその気配が浮上する、それは確
信だった。宇宙になど上がればもっとてきめんだろう。
惨めな自分を、ララァに見せたくない。シャアが居るのにララァを出したくない。
<…ララァは…いつだって側にいてくれる。…でも今更それが苦痛に思うなんて…>
7年という長い年月の中で、アムロの心はゆっくりと変質していった。ララァをただ共鳴でき
る愛おしい魂と感じられたのはごく僅かの間だけで、絶えず笑いながら自分を包み、まるで支配
するかのような彼女のプレッシャーはアムロにとってやがて脅威になった。
解り合えた、と思っていた相手が威圧を伴うようになる。ララァの意識は、もはやララァひと
りのものではなく、ましてや正常な自意識でさえなく、アムロ自身の闇の一部のように在る。決
して欠くことのできない、けれど常に側に置くことの辛い、…そんな存在だった。
それでも、連邦に閉じこめられていた間は彼女が現れ、笑いさざめく瞬間だけ救いにもなってい
たのだ。それが、シャアを目の前にした途端、ばちんと弾けた。
ララァが、…自分の中のララァの一部がシャアを引き寄せようとしている。引きずりこみ、溶け
合いたくてならないとうごめいている。
<だ、駄目だ! 俺はアムロだ! ララァじゃない! 引きずられたりしたくない!>
ぞわり、と意思にならない不確定な力が、胸の奥でわき上がっていた。アムロはざあざあとシャ
ワーの飛沫を浴びながら、タイルに拳を打ち付けた。
苦しい。苦しくて…切ない。
そのまま、しばらくアムロは動かなかった。
クワトロは、アムロの部屋の前にしばらく立っていたが、いったい何と言ってドアを開けさせよ
うと思索に耽っている最中だった。何の用もないのに入れてくれるような相手ではない。強引に割
って入りたくとも多分ロックがかかっているからバズーカでも持ってこない限り扉は開かない。も
ちろんそんな方法で扉をやぶる訳にはいかないのは当たり前で、何か上手い言い訳を思いつけない
かとクワトロはたっぷり10分はその場に立ちつくしていた。
だが、結局何も思いつかなかった。クワトロは「ええい」と小さく舌打ちすると、やけくそ気分
でインターホンを押す。いきあたりばったりでどうにかしてやれ、という心づもりである。彼は一
部の人間に思慮深い大人だと思われているらしいが、実はこういった、割合その場任せなめちゃく
ちゃな処がある。
「…アムロ、話が…あるのだが」
何度か呼びかけてみたが返答はなかった。
無視されているのだろうか? いや、そんな気配ではない。
居るのは判っている。部屋の「ドア」ランプは赤く点灯しているのだ。中からドアを閉めると点
くランプで、ならばシャワーでも浴びているのかと見当をつけ、クワトロは悔し紛れにロックボタ
ンを押した。
ピッ、と音がしてランプが青く光りドアは開いた。
「…あぁ?」
クワトロは、あんまりな不用心さ加減に呆れた声をあげた。アムロはドアをただ「閉めた」だけ
でナンバーロックをかけていなかったのである。まあちょうどいい、入ってしまえ、とクワトロは
一声の挨拶もなしにさっさと中に入り、しかもちゃっかり自分の暗証番号でドアをロックした。こ
れで、とりあえずアムロがこの部屋から出ることもない。
部屋の中を見渡すと、やっぱり部屋の主はバスルームに居るらしかった。ざあざあと流れる水音
に耳を澄ませながらクワトロはどさり、と勝手きままにベッドに腰掛け、主が出てくるのをゆっく
り待つことにした。
アムロは、けだるい身体をようやくシャワー室から出してタオルをひっかぶった。備え付けのバ
スローブを羽織ってよろめくようにベッドに向かい…すぐにぴたと立ち止まった。
信じられない光景が目に入ってきたからであった。
「…やあ。アムロ。ドアが開いていたのでね。中で待たせてもらった」
「シ…シャア…ッ…!!?」
クワトロはふてぶてしいばかりの態度でベッドに落ち着いていた。想像を絶する状況にアムロが
たじたじと下がる。一瞬おいてアムロの足はすぐに部屋の入り口へと向かったが、どうしたことか
ドアはナンバーロックがかかっていて開かなかった。
当然、彼の仕業であることは間違いない。アムロは厳しい目でクワトロを振り返る。
「なっ…なんで貴方がこんなとこに…ここは俺の部屋だぞ!?」
「君が頑固で意固地だからだよ。ゆっくり話をしたいのに出来ないのは君が逃げるからだ」
「俺には話すことなんてない!」
クワトロは、かたくななアムロの態度にかちんときたらしかった。やにわにがばっと立ち上がる
と素早くアムロの側まで歩み寄る。扉の前で硬直していたアムロは逃げる場もなくクワトロに捕ま
り、ひきずられるようにベッドにたたき伏せられた。
「素直になりたまえよ、アムロ」
生真面目な表情でクワトロは迫る。じたばたともがく手足を易々と押さえつけて(やっぱりなん
だか細い身体だと思った)自分の腕の下にすっかり下敷きにしてから、改めてまじまじと視線をあ
わせる。アムロは思わず息をのんでいた。
…もう、目を外すこともできない。
「アムロ。ずっと、…ずっと君に訊きたかった」
なにを、という言葉はアムロの口からは出なかった。ただ、驚いた風の瞳がクワトロをみつめか
えしてきた。クワトロは真剣そのものの顔だった。
「…7年前の、ア・バオア・クーでのことを…覚えているか?」
「ア・バオア・クー…?」
呟いて、アムロははたと気が付く。一瞬だけの交差を。
「私はあのとき、ニュータイプの可能性を見た、…と思う。広大な海のような幻影を…見た」
アムロは小さく呻いた。
海。それは多分自分の中の意識の海だろう。
──彼はそこに独りで立っていたのだ。気高く美しい…寂しい獣として。
「アムロ。君はあのとき、何を見た? 今でもその感覚を覚えているだろうか…?」
クワトロの、青いあおい瞳にアムロの姿が映る…それをアムロがみつめる。同じようにクワトロ
がアムロの双眸に自分の姿を認めた時、ゆらりと意識が溶け始めた。同調が始まっていた。
To be continued...
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