アムロは、クワトロがカツを連れて宇宙へと上がるのを見守りながら、コクピットの中でふ
と薄く笑んだ。
結局、「クワトロ大尉」という名前は最後まで呼びづらかった。他に人目がないときにはア
ムロはシャアと呼び続けた。クワトロも、もう訂正させなかった。アムロに呼ばれるならばそ
の方がしっくり馴染む、と彼も思ったようだった。
アムロの中で、シャアの呼び声はいつでも鮮明に響いていた。
<共に、宇宙に来い。アムロ>
自信たっぷりな声で、さも当然のように自分を呼んだシャア。
7年前には、何の前触れもなく唐突に<同志になれ!>とさえ言ってのけた男。
「…まったく…」
くつくつ、とアムロは小さく笑った。なんて尊大な、…なんて強引なヤツなんだろう。拒絶を
許さないその態度に、アムロは返って悪戯めいた反抗心を起こしてしまう。
<…駄目だよ。まだ一緒には…いかない。いけない>
彼の片翼となるのは、このうえない幸福のような気がした。そうなったらどんなにいいだろう
とも思った。正直、誰よりも引き合っているのだ。この力に総て任せてしまうのも手かな、と、
ちょっとだけ妄想してみたりもした。
でも、駄目なのだ。少なくとも今はまだ。
永遠にララァを間に挟んだままで、宇宙にはあがれない。多分それは、破滅を呼ぶだろう。
<俺達が何故呼び合うのか、冷静になって考えてみたことがあるか? シャア>
アムロは、シャアに抱かれて初めて彼の望みを知った。彼の望みはたったひとつ、不完全な己
に継ぎ足すための「完璧な半身」…半神が欲しいのだった。人間の持ち得る感情の中でも、最も
強い愛情がこれだ。だからシャアはアムロを欲する。女以上に。
対するアムロのシャアへの愛情は、もっと優しく柔らかい感じだ。アムロは今ではシャアの孤
独を、多分ララァ以外の誰よりも良く理解している。
…そして、ただその孤独な心を、愛おしい、と。
そういう感情を、アムロは今まで持てたことがなかった。だからシャアが初めてだった。ララ
ァに対してさえ感じたことのなかった「恋愛」じみた思いを、よりにもよって終生のライバルで
ある筈の男に感じてしまうとは! アムロは自分自身が信じられなかった。
<俺達は、ララァを挟んで互いを鏡に映しているようなものなんだ。それでも構わない、という
であれば仕方ない。…けど、多分貴方は自分ではそれに気付いてない…>
ララァが間にいなければ決して交わることのない二人。例えきっかけだけだったとしても、互
いの心の中で彼女はあまりにも不可欠な存在だった。取り除いて考えることはできなかった。
<それに、今はエウーゴがあるからいいけれど…>
シャアは、本質的に地球に住む、スペースノイドの存在を関知もしない人種が大嫌いだ。その
ことはアムロが一番良く判っている。いつかまた、違う火種が生まれる。
<結局…戦いなんてものは永久になくならないし、終わらない。一度関わってしまえば、よほど
でない限り死ぬまで関わる。…俺のように>
けれど、アムロはやはりどこまで行っても連邦側の人間なのだった。あれほど腐敗しても、酷
い仕打ちをされても。地球そのものを見捨てる気にはなれない。というより、重力に引かれ地表
にへばりつき、それでも必死で生きる者たちの「人間らしさ」は汚さと美しさを混然とさせてい
る…シャアのように単純に切り捨てる気持ちにはどうしてもなれなかった。
<…民主主義はどこまで腐敗しても、…自力で立ち直らなければならない。第三勢力に任せるの
は新たな独裁に過ぎない>
中世時代に、政治家の誰かが言った言葉をアムロは思い出した。
この言葉を理解してもらえなければ…多分生涯、シャアと自分とは同じサイドに立つことは出
来ない。それだけが確信だった。
「アムロさん」
シャトルに乗り損ね、結局またしばらくカラバに居ることになったカミーユは、けれど意外に
も至極機嫌がよさそうだった。今日も、嬉しそうにアムロに話しかけてくる。
「アムロさん。ちょっと今…Mk-IIの整備、一緒に見てもらえます?」
「ああ、いいよ」
最近は、カミーユから好意的な空気を感じるようになって、アムロはほっとしている。どんな
きっかけで機嫌が変わったんだか知らないけど嫌われるよりはまだ好かれる方がいい。ただ、代
わりに矛先が全部ベルトーチカに向いてしまったらしくて、ときどき敵を見るような視線でベル
を射す。また彼女の方も、癇癪持ちの厄介な子供、とカミーユを認識したようだった。
「ねえ、アムロさん」
カミーユがZのコクピットからひょいと顔を出して、唐突に話しかけてきた。すぐ脇でモニタ
の配線を引っ張り出していたアムロは、「ん」としゃがんだまま振り向く。
「…アムロさんは、宇宙には上がりたくないんですか?」
アムロは苦笑した。なかなか痛いところをついてくる。
「上がれたらいいな、とは思っているよ。けれど、なかなかそうもいかなくてね」
「何故」
何故って言われてもね、とアムロはますます笑いを深めた。かなり自嘲気味な微笑みだった。
「…カミーユ。重力ってヤツは人の魂を地の底に引き寄せてへばりつかせるみたいな感じがしな
いか? そうなると自分を思うように動かせなくなる」
まあ単なる愚痴なんだけれどね。アムロはわざと軽い口調で言ってみせた。
「俺は、地球連邦は大嫌いなんだよ。でも嫌いだからといって捨てたらこっちが負けるんだ。今
のまま宇宙に出たら、俺にとっては逃げるのと同じさ」
カミーユはびっくりして目を見張った。こんなにはっきりと、アムロが意見を述べるのを初め
て聞けたような気がする。
「まだなんにも解決してない。俺はただ牢獄から逃げてきただけだ。地球でやらなければならな
いこと、整理しなきゃならない自分の気持ち、…意識、とか…そういうの、もう少し考えてから
でないと宇宙には出たくないんだよ…」
そう言いながらアムロの視線は宙空を彷徨った。柔らかな思念がカミーユを包んだ。
<…うわ、これってもしかしてこの人の…?>
カミーユはそれに気が付いて、なんだか無性に寂しいと思った。なんでだろう、凄く優しくて
寂しい。…でも、けっこう好きなイメージだ。うん。
<エウーゴで…アーガマで一緒に戦ってくれたら、…いいのにな…>
頭で考えるより先にカミーユの口は動いた。
「あの、アムロさん!」
「ん?」
「もし…もし僕が今度宇宙に上がれるチャンスが来て…その時までにアムロさんの気持ちの整理
がもしちょっとでもついてたら…」
無意識にアムロの方に身体を乗り出す。アムロをまるで睨むようにじっとみつめて。
「…一緒に宇宙に行きませんか? …来て、下さい」
アムロはまじまじとカミーユを見つめ返してきた。やがて、一呼吸置いてからアムロはゆっく
りと呟くように答えた。
「整理が…ついたらね。誘ってくれてとても嬉しいよ。ありがとう」
けどね。アムロは更に一言、付け足した。
「カミーユは俺のようになっては、いけないよ。重力の鎖に捕まらないうちに、宇宙に還らない
とな…」
そうしてアムロは黙りこくった。手際よく配線コードを元の場所に収めると、呼び止めるカミ
ーユにあくまでも柔らかく笑みを送りながらその場を去った。
カミーユは、ぽつんとそこに残されていた。気むずかしい顔に戻っていた。
──宇宙は、まだ遠い。心の中にある海の向こうよりもずっと、…ずっと。
(2001.5.25 pm11:41)
<約束の海> Song By 谷山 浩子
打ち捨てられた 星屑のような テトラポッドの上で
あなたは 月を 撃ち落とそうと 指で狙って笑う
今夜こうして あなたのそばで 黙って海を見てる
やさしく深い 鼓動を今 確かに感じて
時よ時よ 永劫の中の
ほんのかすかな 瞬きだけれど
わたしたちは ここに生きてる
寄せては返す 幾億の波の
寄せては返す 生命の真昼 生命の暗闇
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