「信じらんない…」
カミーユはあんぐりと呆れ返って、目の前に立つ青年をみつめた。
自分よりもほんの少しだけ背の高い、けれどなんだかちょっと頼りない感じの。
「どっ…どーして人質の交換だなんて莫迦なこと考えたんですか!?」
彼は、よりにもよって敵艦にたったひとりで武器も持たずに赴き、くそ真面目に「自分と
今居る人質とを交換して欲しい」なぞと申し出たのだ。
が、もちろんそれほど甘い相手ではないのが世の常というもの。
一度は人質が一人増えただけで事態は一向に明るくならなかったのだが。それでもどうに
か敵方の裏をかき、人質は全員無事に戻ってきた。無事でいられたのはアムロがその場に居
たおかげでもあるから、アムロの行為は無謀ではあったけれど無計画ではなかったようだ。
けれど、だからといってそう簡単に危ない所業を笑って許してやる気になれないのが、カ
ミーユの主張である。
「だいたい…ッ…貴方は自分の立場ってものを…俺たちには関係なくっても世間的には貴方
は「一年戦争の英雄」で「連邦の元エース」で…ブライト艦長だって聞いたらものすごく怒
りますよ!!」
「ああ…ブライトは怒るだろうなあ。…無茶だとは思ったんだ、やっぱり」
さらりと返されて、カミーユはますます激する。
「判ってんならやらなきゃいいでしょっ! だいたいっ…アムロさんは甘すぎるんだ! もっ
と物事は冷静に考えてくださいよ!」
香港シティの海辺で。びしょぬれのまま「一年戦争の英雄」は、年下の筈の少年に好き放題
ののしられていた。
彼は、アムロはといえば、どこか困ったような、それでいてなんだかほっとしたような顔で
黙って怒られている。
多分、カミーユの言葉よりもその感性にばかり気を取られているのだろう。話の内容なぞほ
とんど頭には入っているまい。真剣に筋道立てて論説しているカミーユがそれを知ったらます
ます怒るのだろうが。
「まあまあ、カミーユ。全員無事だったんだし、もうそのくらいで勘弁してやれ。お前の活躍
で香港は火の海にならずに済んだし、とりあえずはめでたしめでたし、で」
ハヤトが苦笑いしながら割って入ろうとしたが、カミーユは引き下がらなかった。
どうしても、アムロをこのまま放っておいてはいけない。それは確信だ。
「…あのねえ! めでたしめでたし、にならなかったらどーしてくれるんです? アムロさん
は…このヒトはきっと、自分の命なんかどーでもいいとか思ってるんですよ! そんなの許し
たら駄目ですよ!」
「…どうでもいいだなんて思っちゃいないよ。誰だって自分の身は可愛いだろ」
さすがにアムロの否定が入ったが、カミーユはじろっと彼を睨んだ。アムロはその視線にお
もわず肩を竦める。
「ウソですね! どうでもいいとでも思ってなかったら輸送機でMSに特攻なんてできやしま
せんよ!」
「しつこく覚えてるもんだな、カミーユ」
「あっ…あんな衝撃的なこと、誰が忘れるっていうんです!!?」
「私たちにも責任があるのよ。ごめんなさいね、カミーユ…ハヤトも、アムロも」
ミライが、苦笑と共にようやく口を挟んだ。カミーユの口調から、彼がアムロのことを心配
するあまりに怒っているのだということが判ったのでしばらく優しく見守っていたのだが、ど
うもキリがないと思ったらしかった。
「謝らないでください、…ノア夫人」
カミーユは、ようやく口調を穏やかに整えた。長いこと睨んでいたアムロから視線を外す。
アムロはやれやれ、とまた苦笑の連続だった。
「別に貴方たちに責任があるなんて思っちゃいませんよ、カラバの人間は」
僕が怒ってるのは、そういうことじゃないんです。カミーユは尚も言い募ったが、ハヤトが
その肩を軽くたたく。
「判ってるとも。アムロの、無鉄砲さを気にかけてくれてるんだろう? だがまあ、それはそ
れとして、そろそろ着替えさせてやっちゃあどうだ?」
言われて初めて、そういえばずっとアムロが濡れたまま突っ立っていることに気が付いた。
自分が息せききってどなりつけていたせいだ。カミーユはちょっと赤面した。
「あ、すみません…」
このくらいすぐ乾くと思うけど、とあっさり返したアムロは、途端に一斉に浴びせられた、
その場に居た者全員の呆れた視線に口をつぐんだ。
いくらなんだって、潮でごわごわになったシャツをそのまま着られては周りだってたまらな
い。こういうところはホントに無神経でどうしようもないヒトだなあ、とまたもやカミーユは
心配になってしまった。
「…アムロ!!」
と、そのとき、カミーユにとっては甚だ面白くない声が届いた。
ベルトーチカだ。遠くの方から駆けてきて、勢いよくアムロに飛びついてきた。
「べ、ベル。濡れるよ」
「ああアムロ! 良かった…無事で!!」
アムロは、一途に自分を好いてくれる彼女を可愛くて愛しい、と思っているらしかったが、
どうしてもカミーユはそれが納得いかなかったのだ。
アムロが彼女のことを特別に気にかけているとは思えない、とカミーユは信じている。単に
アムロがちょっとなし崩し的な性格で、自分を慕ってくれる相手を嫌いになれないから彼女に
強引に押し切られているかのようにしか見えない。
とにかく彼女の出現でカミーユの機嫌は一気に最低ラインに達した。
「どうしてあんな無茶を…お願い! もうやめて! こんなことは」
「悪かったよ…ベル」
だが興奮しきった彼女は、ただ泣き崩れるだけでは済まなかった。怒りに混乱した挙げ句、
いきなりミライ親子をののしり出してしまう。
「貴方が悪いのよ! 貴方が現れてからアムロはずっと無茶のしっぱなしで…! どうしてこ
んなところに居るの!? もう帰って! 二度と来ないでよ!」
「…ベル」
アムロがそっと宥めるように呼ぶ。
「ミライさんのせいなんかじゃないだろ?」
「だ、だってアムロ…」
「…心配してくれてありがとう、ベル」
アムロは、決してベルトーチカを強く責めたりはしなかった。彼女は彼女なりに必死である
ことを理解しているのだろう。彼女の思いはことのほか強情でしかも一方的だが、それもひと
つの愛なのだ。
「…いいから。さ、アウドムラに戻ろう。この酷い有様をなんとかしないとな」
ミライもハヤトもあえて何も言わない。アムロはそんな二人に済まなげな会釈をするとベル
の肩を優しく抱いて連れ去った。
それを見送る羽目になってカミーユは、むらむらと煮えくりかえるこの腹をいったいどうし
てくれようか、と暗い気持ちで立ちつくしていた。
カミーユはアウドムラに戻るなり、Mk-IIの整備もほったらかしてアムロの行方を探し回
った。どうしても、ベルとアムロとを二人っきりにさせたくなかった。
彼女がアムロを好いていて、必死なのはカミーユにだって判る。けれど、彼女の強引さは多
分…アムロを壊すだろう。アムロは寄せられる好意というものに慣れていないので、彼女の言
動すべてを肯定し受け入れることしか出来ないのだ。でも。
<ねえカミーユ、単刀直入に言うわ。Mk-IIをアムロに譲らない?>
<僕じゃ不足だっていうんですか?>
<そんなこと言ってやしないわ。でもあのアムロはガンダムに乗るべきだと思うでしょ?>
アムロにガンダムを与えて満足したいのか。…アムロを勇気づけるためだけの道具に、この
Mk-IIを与えようというのか。俺を追い出してまで。
…そんな、一方的な独善的な思いをアムロにぶつけるなんて。しかもそのとばっちりがより
にもよって俺のところに来るなんて。
<そういうのは、アムロさんを逆に駄目にしますよ!>
カミーユは激した。本気で怒らずにはいられなかった。そのときは同時にアムロのことも鬱
陶しく思ったものだが、改めて行動を共にしてアムロへの不信感はすぐに消えた。
アムロはただ本当に、誰に対してもなるべく優しくしたいと気を遣っている。そして自分の
ことを(何故か)臆病で卑怯者だと思って酷く後悔している…。そんな感情の波がカミーユに
はダイレクトに伝わってくるのだ。さながら穏やかな海のように。
「…誰にでも甘いから…だから…誤解されるんだ!」
ニュータイプならではの相互感応、なのだろうか。カミーユにとってアムロの感情波は理屈
抜きで好きだった。柔らかくて壊れそうで、そのくせ穏やかで広かった。みんな、アムロのこ
とを「一年戦争の英雄」というご大層なフィルター掛けでしか見てなくて、アムロ本人がそれ
を邪魔に思っていることも、言葉なしで判った。
恥ずかしかった。自分も初めてアムロに近づいたときはそうだったから。
「絶対、駄目なんだ! ほっといちゃ!」
だからこそ、相変わらずそのフィルターなしにアムロを見られないベルトーチカを不必要に
アムロに近づけたくないのだ。彼女はまったく女らしい駆け引きめいた恋愛を楽しもうとして
いる。いい男だったらゲットする…そうでなかったら要らない。そんな風な。
そういう女こそある意味いい女、とでも言いたいところだがアムロはそういう駆け引きに慣
れていない。感情の波で判る。アムロは無垢なのだ。こと恋愛に関しては。
ニュータイプは、言葉もなく意思を疎通してしまう。感情も、だ。駆け引きなぞない。総て
受け入れるか、総て拒絶するか、どちらかしかない。そしてそれをベルに判れというのも無理
な話だ。彼女はどこまでも現実的だから。
…少なくとも、現時点であまりにもオールドタイプな「女」である彼女は、その「女」らし
い思いやりで逆にアムロのことを傷つけかねない危険な人物だ、とカミーユはそう判断したの
であった。
「あの、アムロさん? 居ます?」
結局ブリッジにも格納庫にも居なかったので、アムロの自室に向かったカミーユは、どうか
ベルが居座ってませんように、と意地悪めいた祈りを捧げながらインタホンを押した。部屋の
主はすぐに応答してきた。
<カミーユ? どうしたんだ?>
「話がしたいんですけど…いいですか?」
TVモニターが最初意図的に切られていたので、まさかベルとよからぬことでも…とびくび
くしていたカミーユだが、中から「ちょっと待って」と一言あって、1分くらい置いてからモ
ニタのスイッチが入った。
<ごめん。シャワー浴びた直後で>
Gパンだけ履いたアムロが、頭にタオルを被った姿でモニタに顔を覗かせた。ベルは居ない
ようだったのでほっとした。
<今開けるから>
出てきたアムロは、シャツを羽織っていた。こんなカッコで悪いな、と苦笑いするアムロに
カミーユは丁寧に「いえ、こちらこそすみません」とまずは詫びておいた。まず、と自分的に
思ったのは、これからまたしてもアムロ相手におこがまくも説教してやろうと決心していたか
らである。
「ええと…それで、何の用なのかな?」
ベッドを指さして座るように勧めてから、アムロは困ったような笑みで聞いてきた。
…このヒトって、なんだかいつも辛そうに笑うけど…どうしてなんだろう…。
「あの…俺…すごくさしでがましいとは思うんですけど…貴方にいろいろ聞きたいこととか…
言いたいこととかあって…戦闘区域に入らないうちにと思って…」
なかなか要領を得ない。アムロはもごもごと言いにくそうに言葉を連ねるカミーユを優しい目
でみやって、ふうとひとつ、ため息をついた。
「どうも俺は君に説教ばかり食らうみたいだね。俺の行動に不安が…いや不満があったかな?」
「あ…貴方本人に不満なんてないです! そうじゃなくって…」
まじっ…、とアムロをみつめてカミーユは言葉を詰まらせた。まさかアムロ本人にベルトーチ
カへの不満をぶつけるのも気の毒でできない。アムロの性格からしてまず彼女を全面的に庇うに
決まっている!
「…違うんです。俺は…怖いんです」
カミーユは、ベルへの抗議をひとまず棚に上げて、感じたままを口にすることにした。その方
がきっと、アムロには伝わりやすいから。
「貴方の意識が壊れそうで、…いつも怖い。何かとてつもなく大事なものを犠牲にしているよう
な…そんな気がしていたたまれなくなる。貴方と一緒に闘ってると…辛いんです」
「大事なものを犠牲にしかねないのは、カミーユ、君の方だろう?」
アムロが諭すように返した。カミーユははっとした。
「俺も…君と同じくらいか…それよりもっと若いときにガンダムに乗った。そうして…この世で
一番大事なものはもうとっくに失ってしまったのさ」
だから、君に同じ轍を踏んで欲しくない。アムロはそう言って、目線を逸らした。その双眸に
は遠い宇宙が映っていた。…目の前にある筈のない、けれど間違いなく宇宙だった。
「今の俺は抜け殻同然なんだよ。…でもこんな俺でもMSに乗ればそれなりには戦える。戦争に
使うにはまだ、ね。だからできることは精一杯やっておかないと、もうこれ以上後悔したくはな
いんだ」
また、遠い目。ああ、とカミーユは嘆息する。
アムロの思念がカミーユを包む。この上なく優しく、この上なく切ない思いの海が。
<このヒトはもう、7年も前からなにもかも諦めていたんだ…だからこんなに優しいのか…>
カミーユもその思念に包まれて堪らなく切なくなってしまった。
やっぱり、本当にこのヒトは放っておけないんだよ!
「…アムロさん。逃げないで下さい」
カミーユは、アムロの腕を掴んだ。思いがけない行動に、アムロがびくっとたじろぐ。まるで
女のような怯え方だ、と微かに思いながらカミーユは構わず掴んだ腕を引き寄せた。驚いた風の
アムロの顔がカミーユを向いた。
「俺は貴方の絶望を知らない。けれど…新しく希望なら作れます。貴方はまだここに居て生きて
いる。だから諦めて欲しくないんです」
アムロは、心底びっくりしたようにまたたいた。真っ正面からそんな風に誰かに励まされたこ
となどなかったからだ。希望、…希望か。なんて明るい、なんて若い響きだろう。
「俺は君の期待に添えるほどの人間じゃないよ。…ほんのちょっと戦い方が上手かっただけで」
「だったら俺も同じです。でもそんなの関係ないです。俺はアムロさんの考えとか、海とか…全
部好きです」
カミーユは精一杯の誠意を込めてアムロの手を握った。…が、どうしたことかアムロは急に妙
な表情を作った。
「…海?」
あ、そうか。カミーユはあわてて訂正した。海、というのは自分が感じたアムロのイメージだ
から、アムロ当人に言って通じる訳がないのだ。
「えっと、海がばあーーっと広がって満ちてくみたいな感じなんですよね。アムロさんのって」
はっきりと見えたりはしないんですけど、とのカミーユの言葉に、アムロはいかにも複雑そう
な笑みを見せた。「そうか、やっぱり海か」とか呟いたりして。
「シャア…いや、…クワトロ大尉もそんなようなことを言っていた」
クワトロ大尉! カミーユはずきん、と焦りに胸が痛んだ。
大尉はなんだかイヤだ。ベルになら勝てると思うけれど、彼とアムロとの見えない絆のような
ものは、所詮後から入ってきた自分には叶わないんじゃないか。
…そう感じるのがそもそもイヤだ。
<…アムロさんを…判るのは俺だけでいいんだ!>
心の中で、そんな明確な言葉が閃いた。そして初めてカミーユは己自身に愕然とした。
これではまるで、…まるきり「嫉妬」ではないか!?
<お、俺ってもしかして…アムロさんのこと…真面目に好きだったりとかするのか…?>
かくして氷付けのように動かなくなったカミーユを、アムロがあっけにとられて見つめる。
「あ、お、おい…カミーユ?」
To be contenued...(Maybe)
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