<…弱い者同士、傷を舐め合ってるのさ!>
ベルトーチカが現れてアムロといい雰囲気になっていくのを、何故かカミーユはとてつも
なく不愉快に思ったものだ。それはベルに好意を持てない、というだけではなく、もっと根
深い嫉妬のような感情だった。しかも、カミーユは自分でそれに気付いていなかった。
<…こんなときにまで、女の心配をして!>
アムロが、自分ではない別の人間に心を砕くのが、酷くいらだたしかった。優しさと解釈
するべき心遣いを、弱さとみなしたかった。アムロに対しても悪意を持っていれば、二人の
結びつきもそれに伴う理解しがたい不愉快な感情も、全部いっしょくたに鼻で笑ってやるこ
とができるからだ。
…でも、できなかった。一旦アムロへの些細な誤解がとけてしまうと、どう意識的に頑張
ってみてもアムロを「嫌う」ということが、カミーユにはできなくなっていた。
それどころか、自分はこんなにもアムロに「理解してもらいたがっている」ことを自覚し
てしまった今、アムロの見えない傷痕を庇ってやれるのは自分しかいない、という一足飛び
な論理を展開し始めていたのだ。
そう。アムロには見えない傷痕がある。そしてその痛みにいつも、耐えている。
困ったような苦しげな微笑の下に、常に辛い記憶を抱えている…。
「カミーユ。理解り合いたい、と思うのかい?」
アムロに優しく触れられて、カミーユはどきり、と身じろいだ。
「ニュータイプ同士なら理解り合うのも容易いかもしれないね。…触れ合ってみればもっとよ
く判るかもしれないっていうのは人間らしい欲だよね…」
アムロのしなやかな指先がカミーユの前髪をかきあげた。もうそれだけでカミーユはかあっ
と燃え立ってしまう。意識すまいとどう努力しても、身体の芯から熱くなる。
「…アムロさん…」
「俺はそう簡単に壊れたりしないよ。俺にとっては…カミーユ、君の方がよっぽど心配だ」
<ああ、こんなときまで人の心配しかしないんだ。だから…>
だから放っておけないんだ! カミーユは決死の覚悟を固めた。
アムロの手を取り、シーツにおしつけてからめた指に力をこめた。ひたむきな想いのたけ
をアムロに総て向けてそっと胸元に頭を乗せる。それだけでも感受性の恐ろしく高いアムロ
にはてきめんだった。
「…ァ…ッ!」
アムロは、自分の中にカミーユの思念が一気に流れ込んでくるのを感じて悲鳴のような声
をあげてしまう。目の前に、また宇宙が見えた。カミーユのイメージだ。
対するカミーユは、柔らかな水の気配を覚えてうっとりと目を閉じた。やっぱりアムロの
思念はとても気持ちがいい。優しく包まれる感じがする。
「カ…ミーユ…」
くす、とカミーユは微笑んだ。アムロの手が、自分の肩を弱く掴んでいる。その指先が小
さく震えているのがなんとも可愛らしかった。
…可愛い、だなんて年上相手に口に出したらきっと怒られるだろうけれど。
のぼせきってしまった真っ赤な頬を、アムロの胸にすりつける。上着の感触が邪魔で、は
ぎとるように服を脱がせてしまった。アムロは抵抗しなかった。
若さ故の暴走、とでもいえばいいのだろうか。カミーユは、今この瞬間に至るまで男に対
して情欲というものを覚えた試しがなかった。見かけが端正なせいで間違った性欲を相手か
ら向けられることなら時折あったが、一本気で直情なカミーユは自分が女のように見られる
ことを嫌悪し、またそういった目を向ける輩を蛇蝎のように嫌っていた。
<…なのに、俺は今、この人を…抱きたいと思ってる…男相手に…>
強い、このうえなく強い感情をそのままダイレクトにアムロにぶつける。そうすることで
アムロを精神的に、感覚的に自分という鎖で縛り付けることができると気付いたのだ。
「…カ…カミーユッ…ちょっ…少し…抑えて…くれないか…」
アムロは、とうとう堪らずに喘いだ。
「何を、ですか?」
わざとカミーユは涼しげに言った。頬は紅潮したままだったが、なんとか冷静な声音を作
ることができた。アムロが息をのむのが判る。
「…ッ…だ…だから…その…君の…意思にまともに当てられて…眩暈を起こしそうだ…」
「起こしてくださいよ。…眩暈」
カミーユはくすくす笑って、もそりと頭を上げた。
「眩暈だけじゃなくってもっと…気を失うほど凄い感覚、っていうのはどうですか?」
「…ッ!」
首筋に顔を埋めて、小さな優しいキスをした。甘い石鹸の香りが気持ちよかった。
そういえばベルが「ヘレン・ヘレン」の匂いだ、と評していたっけ。石鹸のメーカーなぞ
カミーユには興味もなかったが、悪くないとは思う。
「俺はもっと深く…アムロさんと理解り合いたいんです…このくらいじゃ全然足りない」
素肌にゆっくりと指を滑らせると、ひくり、と肢体がはねた。だが、それでもアムロは始
めからこんな展開を覚悟していたのか、やはりあからさまな抵抗はなかった。
カミーユは、安心して彼を本格的に組み敷いた。
若さに溺れるというのも、時には必要なことなのだ。多分。
室内灯の光は、ずっと、煌々と照ったままだった。白っぽい明かりの下で、アムロの肌は
やけに白く見えた。
「…アムロさん…この傷…」
カミーユは火照った頬を半分シーツに埋めながら、隣で寝そべるアムロの右腕に手を伸ば
す。小さいが目立つ刺傷の痕。そこを触られてアムロはびくっとたじろいだ。
「あ、すいません、痛かったですか?」
「…いや、ごめん。…痛くなんてないよ。随分昔の…傷だから」
一年戦争のときのだよ。そう言われてカミーユは「そうですか…」と曖昧に呟く。何故か
それ以上言葉を続けられなかった。アムロが酷く悲しげな顔をしたから。
傷痕なぞ、本当はそれひとつではなかった。手首や腕の内側には不審な傷がちらほらと見
受けられた。注射針の痕跡なのだろう。だが、そんな痛々しい傷のことを尋ねるのはあまり
にも憚られたのだ。
だが、アムロにとっては、カミーユに触れられた傷の方がよほど辛かった。
「…これはね。シャア・アズナブル…赤い彗星とやりあった傷、さ」
カミーユが深刻そうに黙ってしまったのを見て、アムロが代わりに口を開いた。今更隠す
ことでもあるまい、と己に言い聞かせながら努めて軽い口調で説明する。
「ア・バオア・クーで、最後の戦闘があったとき、だね。MSから降りて単身ア・バオア・
クー内に潜入した。…そのときに、シャアと出逢って…よりにもよって剣で死闘を演じたん
だよ。MSではなく、ね」
「赤い…彗星…」
それは、クワトロ大尉のことではないのか? 彼がシャア・アズナブルではないのか?
カミーユは、クワトロの額の傷をふと思い出した。額に古傷などつけて、随分な修羅場を
くぐり抜けてきた男なのかといっそ呆れかえっていたのだが、あの傷がもしアムロのつけた
ものだったら…。
<…だとしたら何だというんだ。そんなことが判って、何になるっていうんだ>
アムロの抱えている見えない心の傷痕が、その傷に直結しているのはすぐに気付いた。一
旦触れ合ってしまうとアムロの思念はよくわかるから。それでなくてもさっきの痛々しいほ
どの表情の変わりようは尋常ではない。
「大した傷痕じゃないけど、あんまり気持ちのいいもんじゃないよね。まあ、半袖でも見え
ない位置だから困りはしないけど」
カミーユは、黙って手を伸ばした。その傷になるべく触れないように気を遣いながら、も
う一度、自分の腕の中にアムロを抱き寄せる。アムロの方が少しだけカミーユよりも背が高
いのだが、抱えこんでしまえばそのくらいの身長差はないも同然だった。
「あ、わっ…カミーユ!」
「もうすこし…もう少しだけこうしていたいんです…じっとして」
アムロはため息をついた。
カミーユの、自分に対する思いは純粋で優しい思慕だ。恋ではなく、執着でもない。けれ
ど今は、まだ繊細な彼を受け止める腕がある今はこうして慰めてやれれば。
<どっちかっていうと…母親になった気分なんだよな…>
まあ、それで肉欲に走るというのは若さ故というものだが。大して気にしなければ男同士
だし、と達観してしまうのはアムロの良くない癖かもしれなかった。
アウドムラは、出航準備を総て終えて香港の街を飛び立っていた。
窓から見える百万ドルの夜景が、アムロとカミーユの目にこの上なく美しくきらめいた。
To be contenued...(Maybe)
|