その執着が、狂い病だと言われるのは仕方ない。
きっちりと真紅の制服を着込んだ部屋の主は、モニタに映し出される酷く画質の悪い映像をみ
つめ続けた。もう片方の手にはリモコン。怠惰な仕草でもう何百回も見た場面を再び巻き戻す。
音声は再生できない。記録に残っていないのだ。
「…ふん」
粗い映像には赤茶の髪の少年兵。地球連邦軍の制服を身につけている。余裕のない表情で何か
を話している風のその彼の声は、記録に残っていなくても見る側の脳裏に少しだけ焼き付いてい
た。ちょっと神経質そうで、そのくせ柔らかみもある少年期独特の声。
極秘裏に入手した地球連邦軍の複製ビデオはあまりに何度も再生したせいで、もともと画質の
良くない映像がときおり見るに耐えないほど歪む。それでも、彼はそれを見つめた。「彼」を、
14年も昔の彼を見ることが出来るだけでも部屋の主にとっては十二分に意義のあることだ。な
にしろ、当時連邦軍の幼き英雄とまで祭り上げられたその少年を映像に収めた貴重なフィルムは
数えるほども残っていない。今なら、敵対するロンド・ベル隊へ偵察部隊を放つだけで、今現在
の彼の姿をいくらかマシな状態のビデオで見ることが出来るのだが。
「14年…か」
ネオ・ジオン総帥であるシャアは、まるで他人事のように呟いた。
──まったく。この執着ときたらなんと厄介なことか。はっきり言って狂気と呼ぶにふさわし
いと我ながら呆れる。自分の中の「彼」への熱病のような想いはもはや恋にも似て、だがしかし
愛と呼ぶにはあまりにも残虐な欲望が身の内を焦がす。
捕まえたい。ひれふさせたい。ただの一度もまともに勝てなかった呪わしい宿敵をなんとして
でも引きずり倒して敗北の屈辱に追い落としたい。…勝ちたい。
この世のすべてと引き替えても、シャアは「彼」に勝たねばならなかった。そうでなければ自
分の存在価値そのものが危うい処まで来てしまった。宇宙移民者の独立と主権は、シャアにとっ
ては建前でしかなかった。
いや、それがなければネオ・ジオン総帥などという愚かしい地位に立たなかったであろうから
もちろん大切な建前なのだが、それよりも優先したい感情が強すぎたのだ。だが、シャアはそれ
でいいと考えた。政治的主張を活かす為には戦いに勝たねばならず、そして戦いに勝つためには
感情も原動力である、と。
シャアは、立ち上がった。もうすぐこの戦艦の総指揮を執るために司令室へと出向かねばなら
なかった。…その後には大きな作戦が待っている。
コロニー落としという偉大な粛清が。
「アムロ…待っていろ。私の主義を受け入れなかったことを死ぬほど後悔させてやる」
映像の中の少年アムロ・レイは、14年の隔たりを超えてシャアの強い視線を受け止めた。ま
るでたったいまのシャアの言葉に返答するかのようなタイミングで。
「…う、う…あッ!!」
がばりとシーツをはねあげて、アムロは飛び起きた。暗闇の中に酷く荒い息づかいだけがしば
らく響く。ややおいて、ようやく深呼吸の余裕を取り戻したのか長いため息が零れた。
「くそっ何て夢だ…」
ぼんやりと霞みがかかったかのように頭が重い。夢の中で金の髪の宿敵と対峙するのは何もこ
の夜が初めてではないが、ここ最近は特になにやら酷く現実めいた感触がつきまとう。
額に、自分がつけた傷を持つ男。強い眼差しでもっていつもアムロを縛り付ける。
「…シャアめ…なんでこんなに拘っちまう…」
アムロは、自分が頻繁に宿敵の夢を見てしまう理由をなんとなく悟っていた。とあるニュース
番組を見て以来である。もちろんそれより以前からぼんやりとは夢を見ていたが、抽象的なイメ
ージだけの、会話すら交わさない断片的なものばかりだった。なのに、突然まるで現実のように
色も匂いも感触までしっかりついた映画のような夢に悩まされるようになった。
…ニュース。それはシャアがネオ・ジオン総帥として正式に独立宣言をし、のみならず地球連
邦政府に向けて開戦宣言をしてのけた放送だ。自分の記憶の中の彼よりもブラウン管の向こうの
男はやや老けており、かつよりいっそう眼差しがきつくなっていた。彼の視線を受け止めた瞬間
アムロは戦慄した。
彼は待っているのだ。自分が出てくるのを。
14年前には自分の前に強敵として立ちふさがり、また5年前には頑迷な同志として僅かな邂
逅を果たした宿命のライバル。どちらの出逢いも彼はその本質をまったくといっていいほど根強
く守ったままだった。ならば今度自分の前に現れるときも変わっていないだろう。
「…ちっ」
苛立ちに耐えきれず舌打ちなぞして、アムロは立ち上がった。とりあえず汗でべたべたの身体
をシャワーで早く洗い流したかった。
まだ、身体のあちこちに、夢の中での「彼」の気配が残っている気がした。
「…5thルナ周辺にネオジオン艦隊が?」
ラー・カイラム艦橋に上がってきたアムロの第一声に、艦長席に座ったブライトが答えた。
「哨戒中のラー・チャターからの報告だ。まさかこんなに行動が早いとは思わなかった。ロンド
・ベル艦隊としては初めての実戦になる。気をひきしめんとな」
「交戦はさけられそうにないか…」
アムロは苦く呟いた。今まで2年間というもの、実のないコロニー調査と危機感のない新兵た
ちの訓練ばかりで、平和といえば平和だったがアムロとしては不安だらけだった。その「平和」
が単なる「嵐の前の静けさ」でしかないことは、ブライトやアムロには良く判っていて、けれど
シャアという人物を知らない他の皆にとっては「偽りない長い平和のひととき」としか思ってい
ない節があったからである。
「お前のνガンダムが届いていればまだしもだったが…やはり間に合わなかったな」
「仕方ないさ、あるヤツでなんとかするよ」
「頼む、なるべく早く戦闘態勢を……ン? お前なんか顔色悪くないか?」
アムロは苦笑した。
「参ったな。ちょっと寝不足っぽい顔はしてるかもしれないけど、別に体調は悪かないぞ」
だが、あっけらかんとした返答の割にはやはり全体的に疲労の色が濃いように見える。それに
いつにも増してなんだかほっそりとしていた。29歳にもなって時折欠食児童のように思えるの
は問題じゃないのか、アムロ。ブライトは口の中でぼやいた。
「だいたい今はそんな場合じゃないだろ艦長。…もうすぐ戦争だぞ」
「だから言ってるんだろうが。俺にまで意地を張ってウソつくなよアムロ」
アムロは今度は嬉しそうに笑ってみせた。その笑顔に、ブライトは少しだけほっとする。
いつものアムロのように見える。…多分。
「具合が悪かろうがなんだろうが戦争は始まるのさ。…ホントに大丈夫だよ。ただ最近寝不足で
さ。栄養剤でも余分に飲んどくよ」
「…そうしてくれ。第一種戦闘配置に入るまでは少しでも休息しろ」
艦長、世話焼き女房みたいっすね、とオペレーターの一人がちゃかしてきた。「こら」とそれ
には怒声をあげながら、それでもひらひらと手を振って立ち去るアムロに手を振り返した。
大丈夫、…だと思う。
ブライトはそう思った。思いたかった。信じていたかった。
アムロが、…1年戦争以来の旧友が、何か強大な見えないチカラによって引き寄せられ、巻き
込まれていく。「宿敵」の待つ対決の場へ命を賭けて、飛んで行ってしまう。29歳というには
妙に小柄で細い友の姿を見るたびに、ブライトは胸が痛んだ。
(あいつは…ものすごく理不尽なモノにいつだって自分自身を持ってかれる…)
大丈夫であって欲しい。切実にそう思った。
いつもそうであったように、必ず生きて…生き延びて戻ってきて欲しい。そうさ、いつだって
どんな敵に出逢ってもアムロは勝って帰ってきた。あの1年戦争のときだって…。
(シャアの意識に…取り込まれるなよ…戻ってこい、アムロ…)
「…5thのエンジン、火が入ります!」
真空の暗闇の中で核エンジンが、情熱的な炎を噴いた。
それは見る人によっては美しい彩りで、地球へ死神の口づけをせんと加速を始めた。
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