…そういえば、いつの間にこんな関係になったのだろう。
ブライトは、自分の部屋で自分のベッドを我が物顔に占領しとろとろと眠りに落ちかけている
赤毛の青年をぼんやりと眺めやりながら、パジャマのボタンをぷちぷちと留めた。
別段、俺はこの男を恋人だと思っている訳じゃないぞ、ブライトは独語する。
(そうだとも。…それにコイツもきっと…)
赤毛の青年は裸だった。彼の青い軍服がベッド脇の足下でくしゃくしゃになっているのを見て
ブライトはそれを丁寧に拾い、軽くはたいてから椅子の背もたれに引っかけてやった。親切…と
いうよりもそれを「最中」に床に投げ捨てたのが本人だったので。…まあついでに言えば当然脱
がせたのもブライトなのだが。
「アムロ。こっちで寝るのか? 自分の部屋に戻らないのか?」
きっちりパジャマを着込んでから、ブライトは部下でもあるその青年に呼びかけた。アムロ、
と何度もしつこく呼ばれておまけにくしゃりと頭をかきまぜられて、ようやく濃青の目が半開き
になる。ちら、と上司をみやってから、またとろんと目が閉じられた。
「ン〜…眠い…もー動けない…ここでいい…」
「…しょうがないな…ったく…」
半ば予想していた答えに、ブライトは軽くため息。とりあえず後で自分の寝るスペースを確保
しなければならないが、こんなことは初めてではないのでいい加減慣れっこになっていた。
アムロはかなり酔っていて、そういうときは自分の部屋にちゃんと帰れた試しがないのだ。
(俺と「こういう」ことをするのもそういえば酔ったときだけだな)
ブライトは控えめにベッドの端に腰掛けた。アムロはほとんど眠りかけていた。軍人というに
はどうも細すぎるように見える体躯がまるで猫のように丸くなっている。すっかり汗も引いて冷
たくなっている肌にブライトは毛布を掛けてやった。まあ、空調も効いて寒くはないから風邪を
引いたりはしないだろう。
「蹴飛ばしたりしたら、ただじゃおかんぞ。アムロ」
答えが返ってこないことを承知で、ブライトは呟いた。アムロは「ンにゃ?」とか何だか訳の
判らない言語で返してきたが、ブライトの方も真面目には聞かなかった。要するに寝ぼけている
人間に何を言っても無駄なのである。
一応、何度もアムロを同じベッドで寝かせてやったが、まだ一度も蹴られたことはない。
ブライトは、毛布の中でいい案配に落ち着き小さな寝息を立て出したアムロをしみじみとみつ
めていたが、自分がまだちっとも飲み足りないことに気が付いて、一人またウイスキーの瓶を傾
ける。眠ると子供みたいに見える、思い切り童顔な彼の寝姿を酒の肴にすることに決めた。
きっかけは、多分やっぱり酒だった筈だ。ロンド・ベルで再び共に行動するようになってから
二人は割合頻繁にプライベートでもそれなりにお互いに付き合った。例えば僅かな休憩時間にや
ることもなく食堂で語らったりとか、艦から降りたときも少しは一緒に飲んだりとか。
勿論、軍務中でイヤというほど顔をつきあわせる仲だから本当はプライベートくらい別行動に
なってもよかったのだろうが、二人は周囲が意外に思うほど馬が合うようだった。もしかしたら
1年戦争での苦しい経験が13年という年月で上手に昇華され、逆にお互いを最も信頼できる仲
間と感じているのかもしれなかった。少なくともアムロの方からは、ブライトはロンド・ベルの
中で一番気が許せる相手のようだった。ブライトの方がアムロに対して相当気を遣っていたが、
それは多分彼が、1年戦争時代の自分の若さを、特にアムロに関して「悔いて」いるからであっ
た。二度と取り戻せない時間というものを切なくも思っていた。
<結局、俺っていう人間は戦争の道具でしか使えないんだよ>
アムロはよくそんなことをぼやいて、自嘲気味に笑った。ブライトも苦笑した。
<お前でなくたって道具にされてるヤツはいくらでもいるさ。この俺を見ろ>
<何言ってんだ、自分で士官になったくせして。…でも、上手くいかないもんだよな>
<そもそも何もかもがちゃんと上手くいってれば軍隊なんぞいらん>
<そりゃそうだ>
アムロは、あんまり酒には強くなかった。ブライトに言わせれば「あんまり」どころか「まる
で」だ。ウイスキーなら薄い水割りでもほんの2杯も開ければつぶれてしまう。ワインも同じよ
うなもので、しかもアムロはビールが嫌いだった。だが、酒に誘うのは必ずといっていいくらい
アムロの方からなのだ。物好きだとしか言いようがない。
酒の力に任せて愚痴でも言うかと思いきや、そうでもなかった。これはブライトにとっては意
外だった。失礼な言いぐさだが、もうちょっとため込んだ不平不満をぶちまけてくるかと思って
いたのだ。だが実際は飲むと少しだけいつもより陽気になるだけで、ほどよく酔いが回るや否や
あっという間につぶれてしまう。そんなことの繰り返しだった。まあ共に飲むには別段困る相手
ではなかった。
だが、とある日。…その日だけは様子が違った。
いったいアムロにその日、何があったのか、ブライトは今でも知る由はない。いつものように
ほど良く飲んでさっさと酔いつぶれて寝てしまうかと思いきや、…アムロは突然シャイアン時代
の自らの生活について語り出したのだった。
「──悪夢の連続さ! 毎日毎日飽きもせず俺をじっと監視してる使用人ども! みんな半年か
1年くらいすると勝手に入れ替わって…しかもどうしようもないヤツばっかりよこしやがる!」
珍しい、アムロが本気で愚痴っている。ブライトはその驚きで始めのうちこそ内容にはあまり
関心を持たなかったが、アムロのうち明け話は段々と深みを増していった。
恐ろしく昏い、聞くのも憚るような話に。
「多いときは週に一回。少なくとも月一で基地に出向いた。ティターンズが幅を利かせるように
なってからは「向こう」も容赦なくなってきて…ろくでもない機械にかけられて頭ん中シェイク
されるようなことばかりだった。…でも、それ「だけ」ならまだ耐えられたかもしれない。救い
ようがなかったのは、下種なホモ野郎が俺の担当になってさ…」
そいつ頭コレなんだよ、とアムロは自分の頭の横で指をくるくる回してみせた。
「ヤク中っぽくてさ。凄いサイテーなプレイを強要する訳。ヒトのことベッドにくくりつけて卑
猥な単語連発して…そのくせ下手くそだし…」
ブライトは真っ青になってアムロの口を塞ぎにかかった。飲んでいたのはロンデニオンの繁華
街、通りすがりに入ってみただけの民間の小さなバーだ。まさかとは思うが、一応アムロも自分
もそれなりには(とりわけアムロは)有名人な筈なので下手なことは聞かせたくない。それに、
何よりまず自分がそんな場所でそんな辛い話を聞きたくなかった。
「…ア、アムロ、ちょっと待て。な、宿舎…いや部屋…に戻らないか?」
アムロは、青い目で不思議そうにブライトを見た。はんなりと笑ってみせて。
「ああ、刺激強すぎた?」
「そうじゃなくて、ここは…ほら…いや、俺が部屋に戻りたいんだよ! な、頼む、部屋に戻っ
てから続きを聞かせてくれ」
「続き、聞きたいの?」
今度も笑ってアムロは尋ねた。「いいから来い!」とブライトはアムロを引きずり上げて、か
なり強引にそのバーを出た。少し多めの金を置いて店主を睨んでやると、含み笑いをしていた彼
は途端に黙った。
タクシーにアムロを放り込み、自分も乗り込んで宿舎に向かう。アムロはぐったりと身体をブ
ライトにもたせかけていて、これは相当酔っているな、と判った。余計なことを口走り始めたら
すぐ口元を塞ぐつもりでブライトはアムロを胸元に抱き寄せた。だが、タクシーが止まるまでア
ムロは黙ったままだった。
ぐでんぐでんのアムロを当人の部屋に連れて行き、カードキーを奪って暗証番号を聞き出す。
ベッドに直行して、ぽいっとその上に投げ置いた。
まったく、とブライトは肩を竦める。一体今日はどういう心境の変化なんだか。
(付き合いきれんな)
どうせこのまま放っておけば寝るだろう。そう判断してブライトは部屋を立ち去ろうとした。
だが、ぐったりと埋もれる赤毛をみつめ、制服のままでは窮屈かもしれないと思い直す。上着く
らい脱がせてやってもいいだろう。
横たわったまま服を脱がせるのは、けっこうな苦労だった。力の入らない身体を抱き上げなが
ら、なんだか細いな、と妙なことが気になった。よくこんなのでMS隊長が務まるものだ、と心
配にさえなってくる。MSの操縦自体には力はあまり要らないが、ときには不眠不休で整備も手
伝いながら新兵の訓練を一手に引き受け、いつもろくに休憩も挟んでいない筈だ。それでいて全
く疲れを見せない素振りに、随分タフな印象を受けていた。
でももしかしたら、それも半分以上「振り」なのかもしれない。
「…話。聞く?」
アムロがぼんやりと青い目を開いていた。ブライトは呆れ顔で、「目が覚めているなら自分で
脱げ」と言ってやったが、アムロは意に介した様子はなかった。しょうがない、とようやく上着
を脱がせ、ついでに「シャツは?」と尋ねる。「脱がせて」と甘えた声が返ってきた。
半身を起こし、白いアンダーシャツをずぼっと引っこ抜く。取り去ったシャツを几帳面に畳ん
で側にあったテーブルの上に置いてから「ほら」ともう一度細い身体をベッドに横倒しにしてや
ると、白い腕の内側にほんのかすか、影が射したように見えた。
遠くから見る分には気付かないほどの、小さな、…無数の傷痕。注射痕だった。
「……」
ああ、そういえば、コイツ肘から上見せたことなかったな…。
「訳わかんないヤバイ薬、イッパイ打たれたことあるよ…ヘロインとかコカインとかも」
アムロは、そういう雰囲気の変化にはものすごく聡い。案の定ズバリ言ってきて、ブライトは
言葉を失った。気まずい…。
「ホモ野郎もさ、一人じゃないんだよ、それともけっこう軍隊って多いのかな? もしかしてわ
ざとホモばっかり俺の近くに配備してたんだったら、…サイテーだよな…」
だが、アムロの口調は段々としおれてきた。酔っているせいか心境がそのまま声音に出る。今
は酷く傷ついているようだった。バーでやけくそな話をしていたときよりもずっと。
「俺も…最初のうちは死んでもイヤだとか、くそホモ野郎、とか思ってたんだけどさ…さすがに
3年も4年も繰り返されると慣れちゃうんだよな…それが一番サイテーなことなんだけど…」
そこまで言うと、アムロは不意に黙った。
くそ、何もそこで黙ることはないだろうアムロ! ブライトはいよいよ気まずくなった。だが
ここでもし逃げだしでもしたなら、きっと明日以降まともにアムロの顔が見られない気もして、
とても恐ろしかった。
そう。ダメだ。こんなことでアムロと溝を作りたくはない。そのくらいなら…そのくらいなら
…ええいいったいどうしたらいいんだ???
「気にすることはないんじゃないのか? 別に」
ようやくブライトが絞り出した答えに、アムロはにょこ、と頭だけもたげた。だがすぐにまた
ぽふ、とシーツに逆戻りする。
「ブライトは、気持ち悪いと思わない? 俺のこと」
「想像したこともないから判らん。でもお前が可哀想だとは思う。そういう言い方が気に食わな
かったら悪いがな」
(──慰めて欲しいんじゃないのか、甘えたいんだ、コイツは…ただ単純に)
「可哀想?」
「お前の意に反して無理矢理、だったんだろう? それはお前のせいじゃない」
(──もしかして、俺を試している?)
「でも俺が実は喜んでたって言ったら?」
「快楽なんて本能だろ。お前がよしんば自分から…その、そういうことを求めたとしても、それ
はそれで構わんと思うが?」
(──いや、…むしろ誘って…る…とか?)
「んじゃ…今、俺がしようって言ったらブライトはしてくれる?」
「!!!!!」
コイツ、酔ってる。もう猛烈にタチ悪く酔いまくってるぞ。ブライトはさすがにすぐ返答でき
ず、脂汗だらけになった。それでも後から思えば不思議だったのが、そのときのブライトに、ア
ムロが危惧していたような「気色悪い」感覚はまったくなかった。
ただ、あまりにも想像外だったのだ。
「…ごめん、忘れて」
アムロはぽつりと謝ると、またそれきり黙ってしまった。さあどうしよう、とブライトは頭を
かかえてしまう。本当にタチが悪い。こんな、駆け引きみたいな会話は狡いと思う。
(あーもう…なんでこんな莫迦げたことで悩んどるんだ俺は!)
これも、後から判ったことなのだが、もしここでアムロに手を出さなくてもブライトは彼との
間に溝を作らずに済んだのだった。何故ならこの時本当にものすごくアムロは酔っていたので、
自分の言動をあまり覚えていなかったのだ。むしろ翌朝アムロの方が驚いていた。
だが、ブライトは先ほど決意したように、こうなったらもうどうとでもなれ、と思っていた。
いわゆるやけくそだった。
「甘えたいんだったら、もっと素直に誘え。アムロ」
アムロのすぐ脇に座って、ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜてやる。微かに笑ってみせて。
「だいたいさっきからお前は狡いぞ、俺にばかり尋ねて、自分はちっとも答えを出さない」
「…答え?」
「要するに、大事なのはお前がやりたいのかどうかってことだろ?」
ブライトは、精一杯照れを押し隠して言った。こういう駆け引きは慣れていないのだ。
「…言っとくが俺は…お、男とはやったことないからな。どうやってやるんだかも判らん。それ
でもいいんだったらお前の望むようにしてやる」
アムロは、ぱちぱち、と目をしばたたかせた。酔った頭にどのくらいその言葉がちゃんと浸透
したのかは謎だった。でもちゃんと頷いた。微かに。
一度「関係」してしまうと、後は割合なし崩し、だった。
初めてのその次の朝。おぼろげに自分の情けない過去やセックス歴など愚痴ったことを思い出
したアムロは酷い二日酔いでガンガン痛む頭を押さえながら起きたが、隣で眠っているブライト
の存在に驚きまくってベッドから飛び跳ねた。
その後、アムロにたたき起こされた気の毒な艦長はすっかり開き直りの域に達しており、さら
りと「大した問題じゃない」と一言。彼は夕べの内に既に一人で一生分?悩み果てていたのであ
る。人生には開き直りも肝心なのだ。
アムロも、自分から誘ったことはな〜んとなく覚えていたので、結局同じように開き直る。少
なくともブライトが相手だったらイヤな気分はしないので「事故」だと思うことにした。
「事故」のつもりがいつのまにか「なし崩し」に変わったのは…もう覚えていない。ただ、そ
れほどお互いに飢えている(笑)訳でもないので、実際にベッドにまで至るのはそれほど頻繁で
はなかった。
(まあ、ときどき欲求不満解消になって、便利といえば便利かな)
ブライトは、ふと思う。
コイツはもしかして、あの「シャア」が好きなんじゃないだろうか?
昔はそんな莫迦な、と思っていたが、実際腕の中に抱くようになるとなんとなくアムロの寂し
い表情が気になった。シャアの話をすると、それが特に顕著だった。
アムロはいつも、シャアを懐かしんでいた。憎んではおらず、むしろ彼の理想主義を憐れんで
さえいた。話をすればするほど、アムロは誰よりもシャアの理解者だった。いつかもしかしたら
アムロはふらりと居なくなってネオジオンに行ってしまうかもしれない、そう思うとブライトは
酷く恐ろしかった。
…だがその一方で、絶対、死んでもアムロはそんな道は選ばないと信じていた。いや、選ばな
いというより、選べない。アムロは、連邦を生涯裏切ることはできまい。
それはブライトの直感だった。
(もし、シャアが本当に旗揚げをするつもりでいるなら…アムロはアイツと殺し合うのか…)
寝顔をそっと撫でてやった。今はまだ安らかな表情のそれが、たまらなく愛おしかった。
気付けばグラスは空になっていた。もういいかげんで止めてもいい、と思う。
「…おい、ちょっとどけアムロ」
ようやくグラスから手を離して、ブライトはアムロのすぐ脇に潜り込んだ。口調こそぶっきら
ぼうだが、一応それなりに優しくアムロを押しのける。アムロはもう起きる気配もなかった。
これは自分のベッドだ。ちゃんと領土は確保する。
「…蹴飛ばすなよ」
そう言って、甘いシャンプーの匂いがする赤毛を顎の下辺りに固定した。枕元の明かりを消し
て自分も目を閉じる。
こんな日常ができるだけ長く続くといい、と思いながら。
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