──心の平野へ
アムロは、つい今し方まで目の前に居た男のことを思い返して、泣きたくなってしまった。
「…畜生…」
あまりにも理不尽に、あまりにも横暴に男は叫んだ。
地球に住む人間などは屑だ、と。地球を覆い尽くし汚していくばかりの蚤だ、と。
だから、粛清しなければならない、と。
「ばっかじゃないのか…シャア」
虚空に浮かぶジェガンの中、アムロは狭いコクピット内で嘆息する。
たまたま哨戒に回っていたときに、シャアのサザビーと出逢うなんて出来すぎだ。もしかしなく
ても向こうは計算づくでこちらの目の前に現れたのかもしれない。
「アンタは…どうしようもないよ…ホントに…」
判ってる、判ってた。シャアが、この「戦争」を始めようとしたときから、いやもっとずっと前
から、人間そのものを憎んでいることに。おそらくは自分自身も含めて。
人間はあまりにも愚かだ。ちっぽけでかよわくてはかなくて卑しい生き物だ。
けれど、それを全否定してしまったら、後に一体なにが残るというのだろう? シャアはたった
一人で凄まじいことをやろうとしている。アムロには、その痛いほどの決意がとても可哀想でなら
なかった。誰も彼の心を救えなかったのだろうか。
──キサマが地球に残って何が出来た? ネズミのようにうろちょろと歩き回るばかりで改革の
ひとつもできないで! 人の革新を真に望むなら、薄汚い地球の人間どもは抹殺するべきなのだ!
理解しろ、とシャアは叫んだ。その叫びはつまり、アムロへの救済を求めるものだった。
アムロは、彼のあまりにも乱暴な意見の中に、声なき声を聞いたのだ。彼は、政治家よろしく改
革案を持ち出した訳では決してない。ただ、救われたかった。人間というものへの失意と絶望に挫
かれた己を、それらにまみれ堕ちてしまいそうになる自分の存在を、「理想を貫く」という行為に
よって守りたかったのだ。
「死ぬつもりか…シャア」
ああ。アムロは目を閉じた。目を閉じるとさっきの彼の姿がまるですぐそばにいるかのように思
い出せた。畜生、ばっかじゃないのかアイツ。なんだって俺をそんな面倒くさいことに巻き込みた
がるんだよ、俺じゃなくたって、もっと誰か居るだろ、お前を大事にしてくれるヤツ、お前を救っ
てくれるヤツが。
ぼんやりと、口の中だけでぼやきながら、アムロは「彼を救える」人間がおそらく自分以外には
もう居ないのを肌で判っていた。ララァは居ない。だって自分が殺したから。
理屈ではなく感じる、彼との忌々しい絆。もはや彼を本当の意味で理解してやれるのは、かつて
同じ位置に立つことができ、かつ真正面に立つことのできるアムロしか、居ない。
「止めてやらなきゃ、いけないのか…」
そう呟くと、とうとう涙が出てきた。そばに誰もいなくてよかった。アムロは何度もため息をこ
ぼしながら泣いた。
どうしてそんなに遠くへ行こうとするんだ、シャア。
シャアは、酷く満ち足りた思いで新型MSのコクピットに収まっていた。
アムロが居た。凍えるほどに広い真空の海で、まるで自分を待っていたように居た。向こうはこ
ちらが全てを計算して接近したとでも思っているかもしれないが、本当に偶然だった。
だとしたら、それを運命と呼ぶのだろう。
「あいかわらず奇妙な存在感の在るヤツだ…」
シャアは、自分のしようとしていることが、とてつもなくアムロに恨まれることを知っていた。
だが、だからどうしたというのだ。アイツがいくら恨み言を言おうとも、私は諦めてやる筋合いな
ぞない。私のそばに来ようともしないくせに何もかも判ったような口を聞いて。
私だとて判っているとも。お前の考えていることくらい。
大方私のことを愚かしいだとか、口汚くののしっているだろうが、言いたければいくらでも言う
がいい。私はそれでもやり遂げる。世界のために。そして何よりお前に思い知らせるために。
「…腕は鈍っていないようだったが…あんなスペックのMSではな…」
ZやZZは厳重に封印されているらしいから、アムロはきっと新しいガンダムを作り始めている
だろう。それならそれを待ってやるのが好敵手というものだ。
「フォン・ブラウンにはいくつものコネがある。面白いものを提供しよう…アムロ」
シャアは呟いた。何故アムロのことを考えるだけでこれほどに満ち足りるのかという根本的な疑
問には、シャアは注意を払わなかった。
彼にだけは血を吐くような心情を吐露してしまう。
どこか懐かしいような気持ちにさえなって。
その心を何と呼ぶのか、彼は知らない。
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