慟 哭






                                            



 底冷えのする静けさが、辺りを覆っていた。
 
 アクシズは地球から離れ、光の藻のようなものにからみとられて虚空を漂う。さきほどまで摩
擦熱で燃え上がっていた岩壁も、底部にめりこんだままの小さな赤い脱出ポッドも、今はひんや
りと凍えていた。
 シャアは、ぼんやりと目を覚まし、自分がまだ生きていることを知るとあからさまにがっかり
した様子でひとつ、大仰なため息を零した。こんな無様な生き残り方をするとは。
 生き延びるつもりは、もとよりなかった。初めから、アクシズ落としに成功しようがしまいが
この作戦が終わった後に生きていようとは思っていなかった。アムロと戦い、決着をつけられれ
ばそれで良かった。しかも、ベストの状態でのアムロに勝てる自信など、本当は無かった。
 …なんだ? 私は初めからアムロに負けるつもりで戦いを挑んだのか? シャアは独語し、そ
のあまりの滑稽さに笑いがこみ上げてきた。
 わざわざサイコフレームの情報までくれてやって、私はアムロに負けるために戦っていたとで
も? そんな莫迦な話はない。
 そんな筈はない。私はアムロに勝ちたかった。勝って、勝利を誇りたかった。
 で、結局決着はついたのか? シャアは、死んでしまったモニタ類をあちこちいじってなんと
か外の様子を見ようと苦心した。νは? νガンダムはどこにいるのだ。
「…ええい!《
 外のカメラは全滅だった。シャアは、自分のノーマルスーツの何処にも傷がついていないこと
を確かめると、放り出してあったヘルメットを被り、単身宇宙に流れ出た。νガンダムは奇跡的
にすぐ側にただよっていた。外装は見る影もなくボロボロだったがとりあえず原型はとどめてい
た。
 シャアは、νの非常用ハッチ開閉ボタンを探してしばらくはりついた後、ようやくそれらしい
ものを見つけだして、開けた。
 ふわり、と沢山の小さな金属片が宇宙に舞った。一通り舞い散ったあとに、座席に座ったまま
ぐったりと動かない青年を見つけ、奇妙な感慨に捕らわれた。
 アムロはヘルメットをちゃんと被っていたので、表情まではすぐに見られなかった。生きてい
るかどうかも判らないまま、シャアは無意識にコクピットの中に滑り込み、ハッチを閉じた。内
部空気圧を設定するスイッチを探してひねる。ヘルメットを取りたかったのだ。
「…アムロ?《
 まず、鬱陶しい自分のヘルメットを脱ぎ捨てる。それから、用心深くアムロのヘルメットに手
をのばし、ゆっくり、丁寧に脱がせた。指先が酷く震えていた。何故かは判らない。
「………アムロ…?《
 取ったヘルメットが、シャアの手から離れ、ふわと漂った。
 アムロは、きつく目を閉じていた。恐ろしく青ざめた頬だった。口元からぱらぱらと血泡がこ
ぼれ、小さな珠になってコクピット内に散らばった。それを茫然とみやって、シャアは、数秒の
間息をすることも忘れた。
 思い立ってスーツの手袋を外した。おそるおそる首筋に指先を当てる。まだ温かい。生きては
いるらしい。が、触れる脈は酷く弱々しく、多分放っておけば確実に死ぬだろう。
 シャアは、しばらくぼんやりと、アムロを見下ろした。自分がこれからどうすればいいのか、
まったく判らなかった。判らないままに、するり、と自分の両手をアムロの首に巻いていた。
 思いの外、細い首だった。それに、随分白かった。
 ゆっくりと、指先に力を込めた。
 ───殺すのか。頭の中に冷たい声が響いた。
 アムロを殺すのか。生身の無防備な、傷ついたこのアムロを。生身で。
「…ッ…《
 アムロが、弱く身じろいだ。
 途端、シャアもつられてぎくりと身を竦めてしまう。すると、もうそれっきり指に力が入らな
くなっていた。ぶるぶると手が震えた。懸命に締めようと思ってもどうしても指が動かず、その
うちに全身が震えてきた。
 シャアは、唇を堅くかみしめた。必死でアムロへの憎しみをかきたてた。殺したかったのでは
ないのかシャア!? だから、戦いたかったのでは、ないのか?
 ───違う。
 私は、こんな風にアムロを殺したかった訳じゃない。殺したかったのなら、もっと簡単にもっ
とずっと前に出来た。そうしなかったのは──。
 アムロは自分にとって永遠の宿敵だった。いや、目標だった。強いていうなら己の理想像でも
あった。こうでありたかったと願い続けたニュータイプとしての存在そのもの。それはアムロを
見ていると、己がいかに上完全な生き物かということを嫌というほど思い知らされる、というこ
とでもあった。だからとてつもなく憎かった。そしてそんな風に思う自分もまた憎かった。
 憎くて憎くて、…まるで自分自身を想うように執着した。それがねじれすぎた愛だとは、シャ
アは14年もの間考えてもみなかった。
 一度は志を共にしたこともあった。理解り合おうと思えばできた。それなのに!
 …何故、こんな風にしか自分とアムロは関わり合えなかった? なにか何処かで自分は間違え
たのだろうか。アムロが、…彼がもっと自分を判ってくれさえすれば──。
「…貴様が…もっとちゃんと世界を…私を判ってくれていれば…こんな戦争なぞ起こさずに済ん
だのに──!!《
 たまらず喚いた。瞬間、ぱらと小さな滴が舞った。
 …涙、だった。


 シャアは、自分の涙に心底驚いた。唖然として、けれど涙は止まらず、ぱらぱらと尽きること
なくこぼれては辺りに舞い飛んだ。震える指をようやくアムロの首から外して、代わりに自分の
胸元を、まるでかきむしるように掴んだ。
 慟哭。
「…そうだ! 判って欲しかったんだ! 私は! なのにいつまでたっても君は哀れな傀儡の立
場に甘んじたままで…のうのうと私の正面に立つ!《
 シャアは、言いながらまだ泣き続けていた。泣きながら、それでも叫んだ。
「どうだ! 判るか今の私の気持ちが! 何故こんな堪らない思いをせねばならん! 悔しくて
身が千切れそうだ! 私は…私は…!《
 苦しげに俯いて。しばらく黙ってから、シャアはゆるゆると口を開いた。
「…私は…連邦に…地球に君を奪われるのが許せなかった…もうこれ以上…どうしても…許して
おけなかったのだよ…《
 そうして、言葉の代わりに小さな嗚咽が続いた。シャアは、アムロの身体をそっと自分の方に
抱き寄せた。しっかりと、赤毛の頭をくるむように。
 アムロ特有の、優しく柔らかな思念波がシャアに触れた。そのときに思いがけなく感じた幸福
感に、シャアの嗚咽はやがて微かながらも泣き笑いになった。
 ──ああ。
 私は、アムロを…憎んでいただけではない。
 いとおしかったのだ。
「…判る、か…? 君なら私を…判ってくれる…だろう…?《
 飛び散った涙の滴がいくつも、アムロの頬をたたいた。アムロはまた身じろいだ。
 アムロの目が億劫そうに開く。
「…シャア……?《

 シャアは、生まれて初めて、心から嬉しそうに笑んだ。また、涙がひとつぶこぼれた。



                              (2001.6.23) END.







ここ3日ほど、ずっと考えていたシーン(特に首締め。古典的〜)でする。初逆シャア。
どんなもんでしょか? …とか聞けるほどマシな代物じゃねえよなあ…>< あーうー。
別バージョンでアムロ側から、が(頭の中には)あります。そのうち、多分、いつか…。
そんでもって、こんな感じで逆シャアその後とかやらかしたら…怒られるかしら…