夢へと続く道




                                            


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「どうしてベッドを抜け出したりしたんだ!」
 医師に診察しなおして貰って、どうにか「傷が開いて再手術」だけは免れたらしいアムロは絶対
安静を言い渡されていた。こみいった話をしたいから、と医師には席を外してもらい、シャアとア
ムロと、それからセイラの三人になる。途端、始まった怒声がこれだった。
 アムロは、わたわたと慌てて弁解した。やっぱり息がすぐ切れるのが気になる。
「あっ…や…その…だって…」
 子供のように怒られて、アムロは柄にもなく酷くうろたえる。どうして長いながいこと宿敵だっ
た相手から親父みたいな説教をくらっているのか、すっかりパニックになっていたのだ。
「だってもあさってもない! 理由は明確に言え!」
「うっ…」
 アムロはまだしばらくごにょごにょと言いよどんでいたが、やっと言葉を選んだらしい。不規則
になりがちな呼吸を懸命に整えてシャアを睨み付けてやった。対するシャアは、睨まれているとは
露ほども思っていなかったが。
「だって、また…あんたと戦わなくちゃならないと思ったら…ッ…嫌だったんだよ!」
 シャアもセイラもお互いの顔を見合わせてから、アムロをもう一度みやった。
「戦う?」
「だ、だって…そうだろ? 俺達はずっと戦ってきたんだ。言っとくけど、協力してくれなんて言
っても無駄だぞ! 俺はあんたがどんな高尚な目的を掲げたって戦いには協力しない! 絶対に、
だ! あんたの戦いはどうやったって破壊しか生まないんだ! てゆーか戦いなんて全部、破壊し
かないんだ!」
 そこまで勢いよく叫んだら、また息が切れてぜえぜえと息継ぎしなければならなかった。シャア
がそんなアムロの肩口に手を伸ばす。なだめてやろうと思っただけだったのだが、その指先が肩に
触れた瞬間、アムロはびくっとたじろいだ。シャアもびっくりして手を離してしまった。
 …怯えられている?
「また…あんたと殺し合うのはもう沢山だ! 戦いたくなんてないんだ! …あんたはいつだって
俺を手玉に取ろうとしやがる…戦うつもりならどうして助けたりするんだよ! どうしてサイコフ
レームの情報なんか流したりして…ッ…う…」
 叫びながら、随分支離滅裂なことを言っているとアムロは自覚していた。けれど状況の不透明さ
が更にシャアに対する不信感を煽っていた。元々この男はひどく信用ならないのだ。
「アムロ。私は君と戦うつもりはもう…」
「…兄さん。待って」
 みかねてセイラが口を挟んだ。シャアが、気まずい表情で黙る。
「アムロはたった今目覚めたばかりなのよ。アムロの中ではまだ兄さんとの対決から時が流れてい
ないの。少し、時間をあげなければ」
 確かにその通りだった。シャアは視線を床に落とした。
 シャアは、アムロが目覚めるまでの2週間もの間、ずっとアムロに付き添いながら一人で様々な
ことを思い返していた。14年間の、アムロとの邂逅部分だけを何度も巻き戻しながら思い出に浸
り、己の心に問いかけ、想いを確かめることができたのだ。だがアムロはその間中ずっと夢うつつ
だった。ネオ・ジオン総帥としての自分に怯えるのは当然だろう。
「ねえアムロ。さっき、ベッドに戻ったら色々説明するって約束したわね」
 セイラが、代わりにアムロに話しかけた。兄をちらと振り仰いで。
「…少しだけアムロと二人にさせて、兄さん。落ち着いたら呼ぶわ」
 兄は了解して、すいと扉の向こうに消えた。アムロはシャアの後ろ姿にちょっとだけ罪悪感を覚
えてしまう。何か悪いことを言ってしまっただろうか?
「さあ、最初から説明するわ。私の言葉も信用ならない?」
 セイラのにこやかな笑みに、アムロはほっと息をついた。「いいえ」と穏やかに笑みを返した。



 そこは、フィンランド、ヘルシンキ郊外の小さな慈善病院だった。
「この病院のオーナーが私なの。この辺りは病院が少なくてね。私財を投じて…やっと最近形にな
ってきたばかり。貴方の周りのスタッフは特に口の堅い「地球政府嫌い」を選んであるわ。もし貴
方があのアムロ・レイ大尉だと判っても、間違っても連邦にタレコミなんてしない筈。安心して」
 もっとも、兄の正体はさすがにばらせないけれどね。セイラは苦く笑ってみせた。
「…どれほど寛大な心の持ち主でも、地球に隕石を落とす莫迦な総帥を見逃せるアースノイドなん
てそうそう居やしなくてよ。妹の私でさえ、何度殺そうと思ったか」
 セイラの言葉は本気だ。アムロは彼女の激しい感情に酷くゆさぶられた。それがまた、不思議と
あのシャアを身近に感じさせる。
「…でもね、アムロ。兄はとても変わったのよ。いい意味でね」
「変わった?」
「貴方が死にかけているからと、泣いて私に頼んできたのよ、あの兄が。実際目にした私でも信じ
られない光景だったわね。貴方は信じられて? アムロ」
 言われて、アムロはシャアが泣いて縋ってきたコクピット内でのことを思い出した。確かにあれ
は実際に目にしてもなかなか脳まで浸透しなかった。シャアが、泣くなんて。
「ううん…あんまり…」
 アムロの煮え切らない返答にセイラは笑った。そうしてしばらく黙ったまま、彼女はぼんやり窓
の外を見ていた。季節はようやく春を迎え、いささか異常気象気味ながらも穏やかな天候だった。
「ねえセイラさん」
 セイラは、アムロの方から呼ばれてやっと振り向いた。
「何かしら」
「俺は、連邦政府に今でも探されているんでしょうか? …シャアも」
 当然気にかかる問題だ。セイラは頷いた。
「最初の一週はアクシズ一帯をくまなく捜索隊が嗅ぎ回っていたわね。その段階で貴方のνガンダ
ムは、サザビーと共に残骸が発見されたそうよ。ひとまず貴方と兄は揃って死亡確定となっている
わ。連邦がどこまでそれを信じているかは難しいところだけれど」
「そうか…」
「ついでに、ネオ・ジオン残党も少し動き回ってるみたい。当分注意はしないと。でもまさか宿敵
同士が仲良く一緒に地球の辺境に居るなんてどちらも考えもしないと思うわ」
 ただ、シャトルの航跡だけは見つかると言い訳しにくいので、金の力に任せて乗客記録を空港か
ら抹消させた。連邦の名をちらつかせながら(アムロの、連邦軍のバッヂを拝借して)シャトルを
丸ごと航空会社に譲ってやるというと喜んで塗装までやり直してくれた。よほど調べあげない限り
「新フィンランド航空」とペイントされた民間シャトルの中身が元アクシズの脱出用シャトルだっ
たとは判らないだろう。
「…そうだ、ブライトたちは? ロンド・ベル隊は今どうなってるんでしょう」
「問題ないみたいよ。ティターンズの時と違って今の地球政府は臆病者が多いから。金の力にも弱
いしね。もう地球に降りてきている筈だから、もうすこし時期を見れば連絡もつくわ」
「そうか…よかった…」
 どう? 落ち着いた? そう尋ねられて、アムロはやっと頷いた。セイラも「よかった」と呟い
て、ふとまた視線を窓に向けた。暖かな光の差す方向がやけに美しかった。
「ねえアムロ。私は貴方にとても…とても感謝しなければいけないわ」
 セイラはまるで独り言みたいにいきなり話し出した。アムロの方は見ないままだった。
「さっき、兄は変わったと言ったわね。それは妹の私が保証するわ。…でもね、兄を変えたのは私
ではなくてよ」
「…? …どういう意味ですか?」
 セイラは、静かに枕元に歩み寄ってアムロの腕にそっと触れた。ふふ、と嬉しそうに笑う。
「私もね、貴方が生きていてくれて本当に嬉しい。でも、多分世界で一番それを喜んでいるのは私
ではなくて兄さんなの。だからね。兄が少しばかりまともに改心してくれたのは、アムロ、きっと
貴方のおかげなのよ? それを貴方は自覚していて?」
<…俺が…シャアを…変えた…???>
 アムロは言葉もなくセイラを見守った。だがセイラは言うだけ言うと、すいと優美な指を扉の向
こうに向けて話を変えた。
「落ち着いたなら、兄さんとも話してあげてくれないかしら? 多分そこのドアの裏側で焦れてい
ると思うのだけれど」




 アムロがまだも躊躇って返事を渋っている間に、セイラはさっさと扉を開けていた。予想通り扉
の真ん前でシャアが黙然と棒立ちしていて、セイラの姿を見るなりほっとした顔になった。
「…アルテイシア?」
「とりあえず、さっきよりはマシに話が出来ると思うわ。でも弁解は兄さんご自身でなさって」
「承知した」
 セイラは、そのまま部屋を出ていってしまった。二人きりの方が色々と話しやすいだろうと気を
遣ったのだ。ご丁寧に扉を閉めた後「面会謝絶」の札までひっくりかえしておいた。
 アムロは、セイラの立ち去る足音が遠ざかるのをぼうっと耳で追っていた。さて、どんな顔で彼
と話せばいいのやらまるっきり見当もつかない。
「アムロ…」
 シャアは、生真面目な表情ですたすたと寄ってきた。違う髪の色がなんだか似合わなくておかし
い。また、ちょっとだけ笑ってしまった。
「…どこから話せばいいのやら…私はもはやネオ・ジオン総帥ではないのだよ」
 だから戦う理由もないし、ましてせっかく助かった君を戦いに出させるような真似も金輪際しな
いと約束する。シャアはきっぱりと言って、アムロに手を伸ばした。
 拒絶されたら怖い、と伸ばした手が訴えていた。冷静さを装ったシャアの青い双眸が、とてつも
ない不安に揺れていた。アムロはそれを一目で見てとった。
「…君が…生きていてくれて良かったと、本当に思っているのだ。…それは判って貰えないだろう
か? 決して企み在ってのことではないと」
 さっきとはうってかわって躊躇いがちに触れてきた指先。アムロは少しだけたじろいだが、今度
はあからさまな怯え方はしなかった。ほっとしたシャアは、そうっと壊れ物を扱うみたいな手つき
でアムロの頬を撫でた。指先がほんのり温かかった。
 もう、触られるのは厭ではなかった。むしろこれは安心できる手だ。
<この…手…夢の中でずっと…落ち着かせてくれた…?>
 アムロが、もうあまり自分に怯えていないと判って、シャアもほっと息をつく。汗ではりついた
柔らかな赤毛を丁寧に払ってやりながら、何度も何度もゆっくりと頬や額を撫でた。
「少なくとも私にはもう、掲げるべき目的とやらも倒すべき宿敵とやらも残っていない。掛け値な
しの本音だ。背負わねばならぬ悪業を余るほど抱えた罪深き身の上だが、敢えて生き延びたとなれ
ば新しい道を模索するのが人というものだろう」
 シャアは、そこでちょっと言葉を切った。くすり、と自嘲的な笑みを浮かべた。
「そうでなければ…私がまた再び悪業を繰り返すような愚かな男なら、君よりも先にまずたったひ
とりの私の妹が私を殺しに来るそうだよ。安心したまえ」
 まじまじと二人は視線を合わせた。真剣なシャアの青い瞳とアムロのまっすぐな琥珀の瞳が互い
をひたと釘付けにした。今までのことが怒濤のごとく脳裏に閃いては消えた。そうして、随分長い
こと二人とも動かなかった。
「…アムロ」
 先に口を開いたのはシャアだった。呼ばれて琥珀色の双眸がぱちりとひとつまばたいた。
「アクシズで、君は私に沢山のことを語ってくれたな。覚えているか? それとも夢うつつで忘れ
てしまった?」
「──覚えてるよ」
 アムロは穏やかに答えた。うっすらと笑みさえ浮かべられた。ここに至ってやっと、アムロは安
らかな気分になっていたのだ。アクシズでの会話、その前のコクピット内での言い合い。初めて見
た宿敵の涙──。
「…あんたは子供みたいに泣いてた」
「嬉し泣きだよ。悪いかね?」
 なんだ、真っ先に言う言葉がそれか、とシャアは呆れて鼻を鳴らした。だが拗ねた台詞とはうら
はらに、面もちは明るく、嬉しそうだった。長いこと心を煩わせていた憑き物が落ちたかのように
彼の心は晴れやかだったのである。そしてそれはアムロもまったく同様だった。
「もっと早く、あんたに言えば良かったと思った。あんたの苦しみを…俺は知ってたって」
「アムロ」
 アムロはちょっと複雑そうに、照れ臭そうに笑った。
「判ってたんだ。…でも認めたくなかった。俺も莫迦だったよ…」
「…アムロ…」
 なあ、とアムロは呟いた。シャアに手を伸ばすと、シャアがその手を取ってくれた。
「ごめん、俺さっき、命の恩人のこと怒鳴りちらしちゃった」
 とりあえず御礼は言わなきゃだよな、とアムロは言って、シャアの手を精一杯握り返した。
 …そう。もういいのだ。戦いは全部済んだ。14年も回り道したけど、本当はちゃんと、この人
と話し合って理解し合いたかった。大切なララァへの思いを共有できるのも、世界でたったひとり
この人だけなのだから。
 シャアは、感極まって息をのんでいた。しばらく穴のあくほどアムロを見つめていたが、やや置
いて、ようやく声を絞り出した。
「…判っている、と言ってくれたな…」
 もう一度言ってくれ。シャアは耳元にかがみ込んで囁いた。え?と不思議そうな顔のアムロに、
それはそれは極上の笑みで。
「もう一度、言ってくれ。判っていると」
「…判ってるよ」
 ああもう、この人は。アムロは今度はおかしくて笑ってしまった。それでも素直に、ちゃんと答
えてやった。どうせなら飽きるほど繰り返して。
「判ってる、判ってる、判ってるって。大丈夫、判ってるから」
「…もっと」
「理解ってるよ…ああ、あんたって…」
 呆れて笑い出すアムロの顔のすぐ脇に置かれたシャアの手が、ゆっくりとアムロの頭に回った。
そうっと頭だけを抱きしめられながらアムロはまた彼が泣いているのに気付く。
 ふわりと優しい微笑みが滲んだ。
「…なんか最近、涙脆いよな」
「いいじゃないか…もう一生にこれっきりだよ…」
 嗚咽をこらえながら、シャアも微笑った。




                              (2001.7.7) 







…ぐはあッ… 下手にコメントすると自爆装置作動!! しかーし、ラブラブまではまだ
あと一歩。つーか起き抜けにこんな会話できません。絶対ドクターストップ入ります、と
かつっこんじゃいけませんよ!! はっはっ…がくり。               
あっ今日七夕じゃん。織り姫彦星ネタにでもすりゃよかった>嘘!?