夢へと続く道




                                            


                   <5>



 スウェーデンのストックホルムから対岸のフィンランドまで、船は数百の島をすり抜けた。古び
た観光船は見かけよりずっとすべらかに、実に気持ちよさそうにヘルシンキを目指した。甲板に出
て悠長に景色を眺める客はほんの僅かだったが。
「ね、カミーユ」
 吹きつける海風に黒髪を舞い上がらせながら、ファは隣のカミーユをみやった。さらさらした群
青の髪がファと同じように風になぶられていた。カミーユは生真面目に、常に海の向こうを睨んで
いたのだ。
「何考えてるの? さっきからずうっと黙ったままで」
「…ん? ああごめん。静かで綺麗だなって思ってたんだ、それだけだよ」
「そう、ならいいんだけれど…」
 ファはそれ以上深く聞かなかった。カミーユは明らかに目の前の景色とは全然別のことを考えて
いるだろうと判っていたのだが、それを取りざたしてカミーユの心を傷つけたくなかった。
 多分、口には出したくないのだろう。真面目な顔で、黙って。
 ファは自分も黙って、カミーユと同じ方向を眺めた。
<…やっと、やっと全部戦いが終わったのよね…>
 ファは、しみじみと時の流れを振り返った。長い、長い戦いの日々だった。カミーユが心をなく
してしまったときの絶望といったら!
 それでも義務感に助けられながらファは彼を看病し続けた。自分たちが地球に残っている間に、
宇宙では新たな少年少女たちがガンダムに乗って必死に戦ってくれた。懐かしいアーガマとの出逢
いもあった。
 カミーユがすっかり元の心を取り戻してくれてからは二人の生活は順調だった。現実面では大分
苦しかったが、何とかやっていけないほどのこともなかった。カミーユは我が儘な少年期から脱皮
し、美しく凛々しい青年へと成長した。剥き出しのナイーブな精神を守る術をいつのまにか彼は身
につけていた。
 …それが、ネオ・ジオンからの宣戦布告。
 地球全土がどれほどの混乱と無秩序に覆われたかは、ファはもう思い返したくもない。
「綺麗だな…ファ」
 カミーユは突然話しかけてきた。え?と振り向くファに、カミーユは静かに呟く。
「こんな綺麗な景色が壊されなくて済んで、本当に良かったと思わないか? 大尉も…あの人もこ
ういう景色、ちゃんと見なけりゃいけなかったんだよ。まったくさ」
 ファは、頷いてみせた。本当に、あの人に見せたかった。
「アムロさんは、さ。多分判ってたんじゃないかな。大尉が寂しい人だって。だから、きっと…差
し違えるつもりで…」
「カミーユ」
 カミーユの瞳は今にも涙がこぼれそうなほど揺らいで光っていた。けれど、カミーユは精一杯の
笑みを浮かべてみせた。ファは思わずすがりついた。
「ねえ、ねえカミーユ、元気出して。あのオーロラ、とても綺麗だったじゃない。ね」
「うん、ごめん。大丈夫だよ。俺は大丈夫」
 抱きついてきたファを優しく受け止めて、カミーユはふふ、とまた笑った。
「…ホントはね、今だから言うけど、俺、ロンド・ベル隊に志願したことがあるんだ」
「なんですって?」
「志願書をロンドンの連邦支部に提出したら、その3日後くらいかな、アムロさんが俺のところに
連絡をくれたよ。5年振りにアムロさんの顔を見た。モニタ越しだけどさ」
 ファは、びっくりしてカミーユから離れた。まじまじとカミーユを眺めて。そんな話、ちっとも
聞いていなかった。
「ファには悪いけど内緒でいこうかと思ってたんだ。言ったら止められるから」
「あ、当たり前よ!」
「でもね、アムロさんに速攻で断られたよ。なんといおうと志願書は受理しないって」
 風に顔を当てて、カミーユは目を閉じた。フィフス墜落の一月ほど前だったか。ファが仕事から
まだ帰ってきていない、とある夜。
<ロンドン支部には俺の知り合いが居てね。君の志願書が正式に受け付けられる前にこっそり俺の
方に寄越してくれた。…ダメだよ。カミーユは連れていかない>
<ッ…何故ですかアムロさん! 俺だって戦える! 昔みたいに自分の心の殻になんて閉じこもっ
たりしない! ネオ・ジオン総帥があのクワトロ大尉だっていうんだったら、俺にも戦わなきゃい
けない義務がある筈だ!>
 クワトロの無謀な試みをやめさせなければ、と思ったのだ。話せば判ると信じたかった。
 だが、アムロは弱く笑みを浮かべてきっぱりと断った。
<カミーユに、シャアが殺せるとは思えない。自滅するだけだよ>
 カミーユは二の句が継げなかった。モニタの中のアムロは更に冷たい台詞をあびせた。
<シャアを、…クワトロ大尉を殺す気がないのなら足手まといだ。向こうはとっくに覚悟を決めて
俺たちを…地球を滅ぼすつもりでやってくる。半端な志願者は要らない>
<…アムロさんは、じゃあクワトロ大尉を殺せるんですか?>
 アムロは一瞬黙った。そのとき見た切ない笑顔が、カミーユの胸を酷くしめつけた。
<そうだね、…殺すよ>
 またも言葉を失ったカミーユに、アムロはたたみかけるように言った。
<君を犠牲にしたくない。カミーユ、君には生きていて欲しい。この戦いは始めっから終わってる
んだ。こんな戦争で君まで失ってしまったら…あんまり俺も辛いよ。だから連れていかない>
 志願書は俺の方で始末させてもらうよ、とそう言ってアムロはカミーユに笑いかけた。
<…元気でな。久しぶりに懐かしい顔に出逢えて、とても嬉しかったよ>
 アムロさん…──。

「カミーユ」
 ファの呼び声に、カミーユは目を開けた。ヘルシンキの港はもうすぐだった。
「ごめんな、ファ。黙ってて。…でももう何処にも行かないから」
 ファはもう一度カミーユにしがみついた。当たり前よ、と半泣きで。
「いつもいつも、鉄砲玉みたいに私から離れていっちゃうのはもうやめてよね」

 …だが結局、ファとの約束をカミーユは港に入った直後から破ってしまった。
 懐かしい、とても懐かしくて優しい気配を感じたのだった。




「…あ」
 ヘルシンキの港が真横に見える、小さなプライベートビーチ。小島ひとつがまるごと個人の邸宅
なのだが(そしてそれはマス家の持ち物なのだが)、そのビーチに椅子を出してもらってパジャマ
のままくつろいでいたアムロは、突然感じた懐かしい人の気配にあわわと口元を押さえた。
「ええと…」
 目覚めてから一週間。病院内は人目が多いからと何とか退院許可をもぎとって、この邸宅に移っ
て更に半月。アムロは自力ではまだほとんど動けない。
 本当は海風に当たるのも良くないのだろうが、あんまり部屋の天井ばかり見つめるのは飽きたと
愚痴をもらしたら、シャアが笑ってこの椅子を出してくれた。膝には毛布。肩にも厚手のガウンを
かけてもらって。
「…さすがというか…なんというか…凄く嬉しいんだけど…」
 アムロは、うう〜ん、と唸ってこめかみを軽くもんだ。嬉しい気配。逢えるものなら逢いたいと
思っていた懐かしい人物のひとりだ。だが時期が尚早すぎる。ましてこの館には地球的規模の超危
険人物が居座っている。
「ああ、ダメか。逃げる時間もなさそうだ…早いな…」
 港からここまでの距離は実はけっこう短い。波もないこの付近の海では、島同士が細い桟橋や道
路で繋がりあっているから孤立した島とはいっても陸続きに近い。普通なら個人の邸宅に飛び込ん
でくるような輩はいないから、アムロは安心してビーチに出ていたのだが、港の方から感じる気配
には誤魔化しがきかなかった。
「まあ、いつかは逢いに行こうと思ってたし。しょうがないか」



「カミーユ! カミーユ待ってよ! ちょっと!」
 カミーユは船を下りるなり血相を変えて走り出したのだ。ファは手持ちの旅行鞄が重くてとても
カミーユの走る速度についていけない。憤慨して怒鳴る。
「待ってったら! 荷物も私も置いていく気?」
 カミーユははっと振り返った。さすがに気まずかったのか、ばたばたと戻ってきて、ファから鞄
をもぎ取る。さあ、とファの手をとって促して。
「早く! こっちだ!」
 カミーユがためらいもなく走り出した方向は、明らかに巨大な個人の敷地内だった。細い橋を渡
りながらファは必死にカミーユに尋ねた。
「ねえなんなの? こっちは誰かの家の庭じゃない? いいの?」
「いいから! 早く!!」
 とうとうファが息切れして、立ち止まってしまった。せっかちなカミーユはもうそれで我慢しき
れなくなって、鞄をファに預け直すと今度こそひとりで駆け出した。「ごめん! 先に行く!」と
短く叫ぶのを聞いて、ファはぷんぷん怒り出した。
「も、もぉ…ッ…!! カミーユの…莫迦っ!」
 後ろからのファの声もカミーユの耳には届かない。本格的に走り出してからは外界の音なぞすべ
て雑音としか認識しないのだ。探すのは懐かしい気配。それだけ。
<こっち…この家…>
 品のいい豪邸の門で一度立ち止まる。一瞬だけ考えてから、すぐに裏の小道に滑り込んだ。屋敷
を囲む美しい庭をぐるりと回って、ビーチへ抜け出た。視界がばっと開けて海が見えた。
 …そうして、小さなそのビーチの片隅にぽつりと一人の青年。
 まさかと思うような、人物だった。
「あ、あ、あ…!」
「やっぱり、カミーユだったね…」
 アムロは柔らかな笑みを浮かべて、手を差し伸べた。本当は立ち上がりたかったのだが、それは
できない。カミーユはしばらく無言でアムロの顔をまじまじとみやっていた。が、にわかにぱらり
と涙を零すといきなり凄い勢いで抱きついてきた。
「アムロさん! アムロさん! アムロさん!!!」
「あ、わ…痛…ッ…」
 あんまり猛烈な勢いだったので、胸の傷がきしんでしまった。アムロの小さな悲鳴に気が付いた
カミーユはわたわたと腕を離し、照れたように「すみません」と頭を下げる。それから、また改め
てじっくりとアムロを見て。弾みで零れた涙を手の甲で無造作に拭った。
「生きていてくれて良かった…ホントに良かったです…でもどうして…?」
「う〜ん、その説明はすごく長くなるんだよな…後でじゃダメかい?」
 困ったように照れ笑いをして、アムロも幸せそうにカミーユを見つめた。大きくなったね、と言
われて初めて、自分がいつのまにかアムロの体格を追い越していることに気が付いた。
 良く注意してみれば、アムロは驚くほどほっそりと痩せている。こんなに酷く華奢な人だったっ
け?と不安にさえなった。一見して病人のようだったから、きっと大変な怪我でもして長いこと寝
たきりだったのかもしれない。カミーユは気遣わしげに膝の毛布をかけなおしてやった。
「本当はね、俺の方から…もっと時期が経ってから連絡するつもりだったんだ。元気そうで何より
だよ、カミーユはどうしてここに?」
「…ただ、旅行したかったんです。それだけです」
「すごい偶然だね、…一人で?」
「いいえ。ファも一緒ですよ。あ、そうだ、ファを置いてきちゃった」
 とぼけた返答に、アムロは呆れてくすくすと笑った。
「呼んできてあげなよ。可哀想に」
「あ、は、ハイ」
 カミーユは素直に頷いて、そそくさと庭の方に戻ろうとした。そういえば人んちに無断で入り込
んでいたのだ。なんとなく気まずい。この家にアムロしか居なければいいんだけど、と願いつつ柵
の野バラを分けて小道に入った。
 途端、屋敷の方から呼び声が響いた。
「…アムロ? 誰かそこに居るのか?」
 うわやばっ! とカミーユは身を竦めた。とっさに縮こまった後で、あれ、とカミーユはその声
のした方向を見た。…今の、ものすごく聞き覚えのある声じゃなかったか?
「アムロ」
 呼び声の主は、からりと窓を開けて外を覗いた。当然、目の前にいるカミーユを一番最初に見つ
けて絶句する。ちょうどさっきのカミーユのように。
「か、か、か…」
 カミーユ、という言葉を待つまでもなかった。カミーユは驚きより怒りで頭が真っ白になった。
 なんで地球を壊そうとした張本人がこんなところでのんきに生きてるんだよ!!
「あああーーーーっ!!」
 カミーユは無意識のうちにシャアに殴りかかっていた。




「思い切り殴られたんですって? いい気味だわ」
 場所は変わって屋敷の中に一同は居る。出会い頭に一発殴り飛ばされたシャアは、二発目までは
甘んじて受けたが、さすがにカミーユが本気で「キレ」ているのに気が付いて防戦した。アムロが
必死でカミーユを止めようと叫んでいて、庭が騒がしいと気が付いたセイラが降りてきた頃にはア
ムロは椅子から転げ落ちて酷い呼吸困難を起こしかけており、その事態が結局カミーユの暴走を止
めることになった。ファは後から探して連れてこられた。彼女はクワトロ大尉の姿にすっかり仰天
してしまっていた。
「…アルテイシア」
「あら、だってそうでしょう? 兄さんは少しくらいのされた方がいいのよ」
 ベッドに戻されてしまったアムロの周りを、カミーユとファが囲んでいる。部屋の隅にはシャア
が憮然と壁に寄りかかり、セイラが二人のお客のために紅茶を入れてきてくれた。
「…すいません…こんなにアムロさんの具合が悪いなんて…」
「こんなに…って哀れまれるほどひどかないよ…ちょっとまだ傷が完全じゃないだけさ」
「傷が良くなっても、激しい運動は厳禁なんだがな」
 すかさず入ったシャアのひとことに、カミーユとファの顔色が曇る。アムロはむかっとして壁際
のシャアを振り仰いだ。
「関係ないだろ、今はそんな話」
 それから、にこりと機嫌よく笑ってみせて、カミーユたちを慰めた。
「シャアのヤツに恨みがあるのは判ってる。俺だって彼を許すのには時間がかかったよ。最初から
数えるなら14年間もね。…でもね、一応向こうにも言い分があるみたいだから、それくらいは聞
いてやってくれないかな」
 二人は戸惑い、互いの顔を見合わせた。
 恨みがあるかといえば、本当はないのだ。敢えていうならフィフス落とし、アクシズ落としの罪
だろうが、個人的にはエウーゴで共に戦い、助けてもらった思い出の方が強かった。クワトロ大尉
を本気で嫌いにはなれないのだ。
 いや、もっと個人的な感情でいうなら、カミーユはクワトロのことを決して好きにはなれなかっ
たのだが。
「私、もういいんです。もう隕石が落ちてこないのなら」
 ファが決心したようにやっと言った。クワトロ大尉、と呟いてシャアを振り向いた。
「…もう誰にも死んで欲しくないんです。戦争は終わったんでしょう? 大尉?」
 シャアはゆっくり頷いた。償いの時は今始まったばかりなのだ。
「ああ、終わった。二度と過ちは犯さない」
「大人って…ホントに都合がいいんだから…」
「カミーユ」
 カミーユの呟きをファはたしなめた。アムロを見ると、彼は終始優しい笑みで二人を見守ってく
れていた。ファはほっとして、もう一度カミーユをたしなめた。
「カミーユ。貴方だって大人になったでしょう? もう、いいじゃない、ね?」
「…わかったよ」
 カミーユもやっと折れた。ちらりとアムロを見る。やっぱりずっと優しく見ていてくれた。その
笑顔に包まれるような安心感を覚えながらカミーユは貰った紅茶をひとくちすすった。
「…アムロさんがいいって言ってるんなら、もういいよ。けど、アムロさんに免じてだからな」



「ね、カミーユ」
 好きなだけ滞在してちょうだい、とセイラに勧められて(実はそのときシャアはすごーーく不満
そうな顔をしたのだが幸い二人とも見なかった)、カミーユはテラスがついている窓の大きな部屋
を、ファはその隣の部屋を貸してもらった。今はカミーユの部屋の方にファが来ていた。
「いい景色…」
 言いながら、ファはテラスに出た。夕暮れ時の海辺は息がとまるほど美しい。カミーユもファの
後に続いて出る。至高の宝石にも勝る茜色の夕焼け。
「この景色を、壊さないで良かったと思ってくれてるかしらね。大尉は」
「どうだかな。やっぱしあの人は勝手だよ。ちっとも変わってない」
「そうかしら? 私、すごく変わったように見えたわ。優しくなった」
 ファの言葉に、う、とカミーユは詰まる。確かに変わっていたからだ。でもなんだかむかっ腹が
立っていたので認めたくなかった。
「大尉には平和な景色が似合わないとずっと思ってたけど、…そうでもなかった。よかったなと思
うわ。ね、カミーユ。私アムロさんには今日初めて会ったけど」
 嬉しそうに声を弾ませた。
「1年戦争の英雄とか伝説のパイロットとか色々聞いてたから、びっくりしちゃった。だってとっ
ても優しそうで可愛い人だったんだもの」
「か、可愛い?」
 うん、それは俺も今日改めて思った。とカミーユは密かに付け足したが、…まさかファにまで言
われるなんて。
「5年前はもう少しとげとげしてたよ。優しかったけど、疲れてる感じだった」
「そうなの? でもよかった、凄くいい人そうで」
 カミーユは幸せそうに笑った。ファをちょっとひきよせて。
「うん、凄くいい人だよ。ちょっとほっとけないくらい」
 綺麗だな、とカミーユの呟きは風に溶けた。燃える太陽が今しも水平線に沈むところだった。

                              (2001.7.7) 







…カミファプッシュ、でもカミーユはちょっとアムロにくらっ…な超絶勝手な話にしてし
まいました…なんてご都合な…つーか邪道乙女としてはかなり失格かも…>< いや私、
ファ大好きなんですよ、真剣に。うあー。だったらアムロ出すなってとこか。いやんアム
ロに対する感情はまた別なのよ、とか妄想が妄想が…ごめんなさい(即刻退場っ!)