Calling




                                             


 多分、運命なんだと思う。だからどうしようもない。
 …少なくともそう思いこんでしまった方が、楽だった。




 アーガマは、今南アタリアへと向けて太平洋を横断中である。
 突然見知らぬ世界に放り出され、しかも突然そこの世界(バイストン・ウェルというらしい)
での国家間紛争に巻き込まれる形となった一行は、おかげで数日パニック状態だった。
 結局、なにかのどさくさで地上には戻れたのだが、出たのはなんと東京都心ど真ん中。せっか
く極東支部を旅立ったというのにふり出しに戻ってしまったのだ。
 もっとも、バイストン・ウェルでも新たに仲間を迎え、戦力的にはなかなか心強くなってきて
いる。不幸中の幸い、とでもいおうか。さすが悪運だけは並はずれたアーガマ御一行だ。
 ともかくも、相変わらずどこか緊迫感の薄い軍艦は白銀のボディをきらめかせて海と空の間を
ひた駆けていた。
 中の人間たちも、ようやく長い戦闘配備からつかの間解放され、それぞれ交替しながら休息を
取る。アムロは、ほとんど不休で酷使してしまったリ・ガズィを整備しなきゃ、と格納庫にしば
らく張り付いていたが、アストナージに怒られ、外に追い出されてしまった。まるきり休んでい
ないのはアムロも同様だったからである。
 それを言うならアーガマのメンバー全員が疲れている筈だ、という言い訳は通じなかった。実
際、ときどきめまいがするほど眠かったので大人しくアストナージの言に従うことにした。
 そんな訳でほてほてと自室に戻ってきたアムロは、扉の前で泰然と腕を組みながら壁に寄りか
かっている赤い服の男を発見することとなった。あろうことか、彼はさも当たり前のようにアム
ロを出迎えた。
「…シャ…クワトロ大尉!?」
「お帰り、アムロ」
 お帰りだって? アムロは思わずたじろいだ。なんだってこの男にそんな台詞を言われねばな
らない? それとも今のは聞き間違いだろうか?
「…な…なんて言った?」
 クワトロ、もといシャアは穏やかに微笑んだ。その、きれいな笑顔にどきりとして、アムロは
無意識に自分の胸元を押さえる。彼の前ではいつもどうしても冷静でいられない…。
「お帰り、と言ったのだよ。…ただいま、は?」
 これまた当然のように言われて、アムロは深く考えずに「ただいま」と返した。それから一瞬
だけ置いて、「あれ?」と首をかしげる。なんで俺までただいまとか言ってるんだ…?
「そういえばラウの国とやらに君を送り出して以来、君の顔をまともに見ていない気がしてね、
ここでずっと待っていた。遅かったな」
「あ、ああ…リ・ガズィの整備してて…でもアストナージに追い出されたから…」
 アムロは律儀に言い訳を口にしてから、あれあれ?とまた少しだけ首をひねった。
 違う、こんなことが言いたいんじゃなくって…えーと。
「当然だ、君は殆ど寝ていないんだろう?」
 彼は苦笑混じりにそう言って、寄りかかっていた壁から背を離した。僅か三歩でアムロの眼前
に立つ。酷い威圧感を感じて思わずアムロは後ろによろめいた。
「…おっと」
 バランスを崩したアムロの身体を、すかさずクワトロが支える。ただでさえ寝不足でふらつい
ていたので、細身の身体は抵抗もなく腕の中に収まった。
「危ないな…よくこれで戦闘ができたものだ」
「…大丈夫なんだよ。コックピットの中に居るときは意識が張りつめてるから…って、俺が貴方
に言いたいのはそういうことじゃなくって!」
 アムロはやけになって怒鳴った。もう頭の中が混乱していて、何がなんだか判らない。自分が
何に対してこんなに感情を高ぶらせているのか、どんな気持ちなのかさえ。
「そういうことじゃなくて?」
 アムロを釘付けにするアイスブルーの瞳。
「ご、ごめん、悪い。自分で立てる…」
 アムロは恥ずかしくなって自分の肩を掴むクワトロの手をやんわりおしのけようとした。けれ
ども思いの他頑強に固定されたそれは、アムロの力では外れない。その力の差に、思わず唖然と
相手を見上げる。
「だ…大丈夫だって言ってるだろ」
「大丈夫じゃ、ない。放っておけない」
「なんで貴方にそんな心配…」
 言葉は途中で切れ、代わりに小さな悲鳴があがった。クワトロがアムロを正面からいきなり抱
えあげたのだ。子供のように「抱っこ」されてしまって、もう抗議の言葉すら出ない。クワトロ
はそのまま、勝手にアムロの私室のドアロックを外して中に入った。ご丁寧に中からもう一度施
錠し直す。まったく悪びれもしないその態度に、肩口にしがみついていたアムロはついぽかりと
一発背中をたたいてやった。
「だいたい貴方の今考えてることが判ったよ」
「そうかね?」
 クワトロは、アムロをベッドの上に座らせた。ふわりと極上の笑み。
「だったらこれからやろうとしていることもお見通しなのだろう?」
 ぬけぬけと。アムロはお返しに、あからさま〜な嫌な顔をしてみせた。
 本当は、彼の瞳に捕まった時点で降参なのだけれど。
「俺は眠いんですけど」
 言っても無駄とは知りつつ、言ってみる。勿論返答は分かり切っている。
「私もだ。だから…良く眠れるようにしてあげるとも」




 運命、と口で言うのは容易い。
 そんなものに振り回されるのは嫌いだし、そもそもそういう考え方は本来アムロの得意とす
る分野ではなかった。
 でも。嫌いだろうが苦手だろうが。
 ──確かにそんな風にしか、言い表せないものもある。例えば、自分とシャア、とか。
<…シャア、貴方…呼んだろう? 僕を>
 最初に見知らぬ世界──バイストン・ウェルに飛ばされた時。ドレイクという男と交渉する
ため敵戦艦に赴いた。クワトロはブライト艦長に付き添っていったが、その交渉が決裂したと
真っ先に気付いたのは他ならぬアムロだった。
 声が、聞こえたから。彼が、自分を呼ぶ声を。
 ニュータイプとしての勘が空間を超えて他人の意思を運んだのかもしれない。そういうこと
は確かに戦場で良くあった。何もシャアの声ばかりを聞いた訳ではない。けれどそれでもやは
り、彼と自分とは運命なのだと判ってしまう。
 まるで初めから用意されていた一対のように。
 「ニュータイプ」が本当はどんな存在なのか、自分には未だに良く判らないし、ある意味で
はアムロはどうでもよかった。人類の革新とはもっと普遍的鳥瞰的何かだ。自分を含めたごく
一部の人間が重力から解放されることによって脳神経が多少発達し、そのおかげでどうやら戦
争の道具と成り得てしまうことなどは、ほんのささやかな付随的結果に過ぎない。(どうも、
シャアはそのことこそが最も唾棄すべき地球人類の罪だと思っているようだったが)
 どんなに感覚が鋭敏だろうが、上手に人殺しができようが、人は人以上の何者にもなれない
からだ。ニュータイプでなくたって戦争の道具になる人間はどこにでもいる。道具にする人種
とされる人種。そういった社会を嫌いだとは思うが、だからといって厭世的になるのは問題か
ら逃げるだけなんじゃないかと、そう思うから…。
<運命だ、なんて言うのは簡単なんだけれどね>
 そんな目にも見えない訳のわからない引力に振り回される側としては、誰にともなく文句を
言ってやりたい気分で一杯だった。こういう感情は本当に手に負えない。
 いっそもっと単純に「アイシテル」とかで括ってしまえたらいいのに。でもそれもどこか違
う気がする。
<シャアは、必ず、どこにいても僕を呼ぶ…その声を僕は必ず聞くんだ…>
 そしてなにより。
「…シャ…ア…」
 かすれた声で呼ぶ。呼ぶ度になんだかどうしようもなく切なくなる。
 ──彼もまた、きっと、自分の声を聞いている筈だった。
「ん?」
 微かな喘ぎと共にすがりついてきた赤毛の頭を片手でそっと押し包むようにかかえて、クワ
トロはくすりとひとつ、笑いを漏らした。
「そういえば、アムロ」
 残った手をアムロの、一回りも小さい掌にからめて。
「さっき、君の声が良く聞こえた。誰よりも鮮明だったな。…とりわけ君と私の間には通信機
なぞ無用の長物かもしれん」
 アムロは、目を見張った。心底嬉しそうに笑む男の姿。
 ──まったく、他になんと言えばいいのか。こんな関係を。
「そんなに便利にはいかないさ。…いっそそうだったら笑ってすましてやるんだけどな」
 たった今まで考えていたことを言い当てられた気分で、諦めたように笑った。
「…今は、俺の声が聞こえる?」
「少しだけ、な」
「へえ。何て?」
 クワトロは、…シャアはアムロの額に唇をあてた。

「私の名前を、呼んでいるのだろう?」




 多分、こういうのは運命なんだろう。
 …だからそれなら、それでもいいやとアムロは思った。恋人でも夫婦でもないけれど、もし
かしたらそれよりもずっと強い、…一対。
 ──うん、まあ…悪くない。