アムロには秘密がある。
実は、秘密だと思っているのは本人だけで、意外と勘のいいロンド・ベルの面々にはバレまく
りなのだが。それでもまあ当人が隠しているつもりなのだから一応秘密、である。アムロにはこ
ういった、どこか抜けたところがある。
それがまた可愛い、と幸せそうに浸る者も若干一名ほど居る。誰とは言うまいが。
秘密。
ごたいそうな響きだが、真剣この上ないのはやっぱり当人だけだった。なんのことはない、自
分とクワトロ大尉との「関係」が誰にも気付かれていない、とアムロは信じているのだった。
「んー…」
通信機の呼び出し音が、薄暗い部屋に響き渡っている。ぼんやりと意識に聞こえてきた電子音
は気が付けば最大ボリュームにまで上がっていて、相当長い時間呼び出されているものと予想が
ついた。
一旦起きてしまえば、眠っていられたのが不思議なくらいにけたたましい。クワトロは隣に丸
まってまだ安眠を貪っているアムロをちょいと横に転がすと、スイッチを切るつもりでコンソー
ルの上に腕を伸ばした。
ぴっ、と指先がボタンに触るやいなや、すごい怒鳴り声と共に前面のモニターが起動する。し
まったと思ったときには遅かった。
<…よくもまあこれだけ鳴らして出ないなアムロ!? 具合でも悪いのか!!?>
艦長のブライトの声だった。暗くて手元が狂ったのだろう、双方向回線を開いてしまったよう
だった。当然、TVモニター付きだからお互いの様子が手に取るように分かる。
<アムロ……っ…???? あ、あぁ? し、失敬、クワトロ大尉の部屋、だったか?>
クワトロは、画面の前で凍ったようなひきつり笑みを浮かべた。
いや、ここは確かにアムロの部屋だ。だがこんな状況で、一体どんな顔をしろと?
<え…やっぱりアムロの部屋の筈だよな…、…た、大尉?>
「──アムロなら眠っている。どうしてもというなら起こすが?」
クワトロは開き直って平然と答えた。裸のままモニターの前に居座るのも少々気まずいので床
に落ちていた自分の上着を軽く羽織る。傍らで赤ん坊のように丸まっているアムロも裸だったが
そっちは多分シーツに隠れて見えないだろう。
もっとも、今更そんな考慮は不要かもしれないが。
<…た…た…大尉…>
気の毒に、ブライトは今にも泡を吹いて倒れんばかりのあわてようだ。だが、弁解なぞするの
もあほらしい。クワトロは淡々と尋ねた。
「大した用ではないのなら、起こさないで欲しい。…で、どうする? 艦長」
まあ、あれだけしつこくずっと呼び出し音を鳴らしていたのだからそれなりの用には違いない
のだろうがな、とほとんど嫌味のように付け足すと、ブライトはとうとう意を決したらしい。モ
ニターの前で、ひとつ、深呼吸をするのが見えた。
<クワトロ大尉>
声が震えている。
「何か?」
<…今すぐ艦長室に来て欲しい。…いや、命令だ。出頭を命じる!>
意外な返答だった。クワトロは軽く肩を竦めて「了解した」とあっさり告げ、今度こそ回線の
スイッチを切った。
驚くべきことに、アムロはまだ寝ていた。よほど疲れているらしい。身支度をすばやく整えた
クワトロ・バジーナ大尉ことシャア・アズナブルは、そんなアムロの頬を丁寧にひと撫ですると
サングラスをかけて悠然とアムロの部屋から出ていった。
「クワトロ・バジーナ大尉、指名により出頭した」
まだ少々不慣れなリーンホースJrの艦長室前に立ったクワトロは、とても階級が下とは思え
ないほど尊大な口調で名乗りをあげた。
「入ってくれ」
言われるままに、部屋の中に入る。ブライトが笑えるほど難しい顔をして座っていた。
「そこに、かけるといい」
脇に用意された応接セットのソファに座ると、ブライトが執務用の自分の椅子から立ち上がっ
てクワトロの目の前に座り直した。こほん、と咳払いなどして。
「…先に用件から言おう。もともと、アムロを呼ぼうとした用というのは、だな」
クワトロのサングラスの下で僅かに目が細まる。が、その表情が変わったことをブライトは気
付く訳もなく、努めて冷静な口調を保ちながら続ける。
「…ユウキが、ヒュッケバインのT-LINKシステムの調整でどうしても見てもらいたいところが
あるからアムロを呼んで欲しいと…。まさかこの時間から寝て…眠っているとは思わなかったも
ので…」
寝て、というところで明らかに動揺し、ブライトは口ごもった。シャアは苦笑した。
「ものすごい形相で出頭なぞ命ぜられたから、てっきり始めに修正がくるかと思っていた。カミ
ーユはいないのか? 少しならアムロの代わりはできるだろう?」
「修正されるようなことをしている自覚があるんだったら、留保しておこう。…カミーユは今、
ファたちと艦を降りている。ちょっとした買い物だそうだ」
T-LINKシステムは何しろ謎の多い代物で、生半可な整備員では手が出せない。勿論リーンホー
スJrに乗っている整備員たちは特丸がつくほど優秀で、しかもご大層なスーパーロボット軍団
をも扱っているから、まだしも少しは整備できるのだが、細かい調整をしようとなるとやはり指
折りのメカきちが欲しいところだ。当然真っ先に指名されるのがアムロである。おまけに最強ク
ラスのニュータイプなのだから、T-LINKシステムについて彼の助けをほしがるユウキの気持ち
は良く判る。
判る、のだが。
「…艦長」
とんとん、と優美な仕草で組んでいた自分の腕の肘あたりを指でたたく。音はしないが、や
けに目に付くな、とブライトは全然関係ないことを考えた。クワトロは重ねて言った。
「艦長。今に始まったことではないがね。アムロはパイロットだ。しかも指揮官級のだ。前線
において最も貴重な人材なのだ。…他のパイロットと区別しろとは思わないが、整備員代わり
に他のマシンの整備にまでこきつかわれるのはほどほどにしてもらえんか?」
差し出がましいことを言っている、とは思いつつも訂正する気にはなれなかった。ブライト
も多分、ずっとそう思っていたのだろう。やけに納得した風の顔で、ため息。
「もちろんなるべく気を付ける。少なくとも休憩時間を削るような真似はできるだけしないよ
う考慮しよう。ただ…」
「ただ?」
「当のアムロが、頼みもしないうちから整備に没頭してしまうんでな。そういうのを見かけた
ら、時と場合によっては大尉が引き剥がして構わない、と言っておこう」
クワトロは、再び苦笑を浮かべた。
「…なるほど。了解した」
ブライトも微かな笑みを返した。どうやらそういう「協定」が締結したようだった。
「で、本来アムロに伝える用件とはこれで終わりだ。が、大尉には他に2〜3質問がある。い
いかな」
おや、話は済んだのではなかったのか。クワトロは既に浮かしかけていた腰をまたもや下に
おろさざるを得なかった。やれやれ、今度こそ説教か? それこそ野暮というものだ。
「…野暮なこととは承知の上だ」
ちょうど同じことを言われて、少しだけクワトロはぎくりと身を正した。まさか呟きが聞こ
えた訳ではないだろうが。
「あえて聞いておこう。…アムロは…当然認めているんだろうな?」
「認めて、とは?」
さらりと返すとブライトは途端に真っ赤になった。怒鳴るように言い直す。
「だっだから…! その…大尉とのことだ!」
いきおいあまって立ち上がったブライトを、クワトロはどうどうと宥めた。これじゃあまる
で娘を取られる父親の反応だ。
というか、…艦長はけっこうアムロのことを気にしているのか?
<まさか、いくらなんでもその考えはいきすぎだ>
クワトロは内心で己を戒めた。自分がアムロを特別に思っていたからといって、回りの人間
までが特別に思っているんじゃないかと疑うのはあまりに「盲目」な気がしたのだ。
できるだけ冷静を装って、クワトロは答えた。
「認められていなかったら同衾は難しいだろうな。まあ、いつもはたいして嫌がってもいない
ようだしいいんじゃないのか」
まるで人事である。ブライトは、といえば「大してってどういうことだ!」とまたもや激し
たが今度はクワトロの回答はなかった。
ブライトは、質問の矛先を変えた。
「野暮ついでだ。さきほど修正がどうのと言っていたが、それは自分がアムロに対して「申し
訳ない」ことをしたという意味か?」
なかなか鋭いところを突いてくる、とクワトロは肩を竦めた。
そう。確かに今日は非常にやましい気分ではあったのだ。何故かというと、今日に限ってア
ムロが珍しく盛大に抵抗してきたからだった。いつもならもう少しなし崩し的に事に及ぶのに
と愚痴りつつも、さすがは「我が道を行く」シャア・アズナブル、決して諦めることなく、上
手に戴いてしまった。最後の方ではアムロはもう気を失う寸前だった。
あれほどの呼び出し音の中でぴくりとも動かなかったのは、何も日頃のオーバーワークのせ
いばかりではない。
「だいたいさっきだって、あれだけ呼び出しておいて起きないなんていくらなんでもおかしい
だろうに」
酷いこと、をしたんじゃないのか。ブライトは厳格親父も顔負けの視線で睨む。それはまさ
に、大事な娘をとられまいとする父のようだった。
「…一種(第一種戦闘配備)招集のサイレンならば、アムロだって飛び起きたとも」
「そんなもんを目覚まし代わりに使ってたまるか!」
クワトロは、とうとう立ち上がった。もう説教はごめんだった。
「まあ、いいじゃないか。平和な証拠とでも思ってくれ。私がアムロの代わりにヒュッケバイ
ンを少し見る。あまり成果があがるとは思えないが努力だけは買ってもらおう」
有無を言わさず部屋を退出するクワトロに、ブライトは大仰なため息で応えた。
最後にひとこと。
「…アムロには何も言うなよ」
「当然だ」
それから1時間もしないうちに、今度はアムロ当人が艦長室を訪れていた。
ブライトは平静なそぶりをすることに全神経を費やさねばならなかったが、もともと少しば
かり鈍いアムロは艦長の異変に何ら気付く様子もない。
「すまない、ちょっとうたた寝してしまって…それで、ファンネルの改造なんだけれど…」
「あ、ああ。予算オーバーなのか?」
「うーん。オーバーっていうか、そもそも全然マイナスになるから話にもならないんだ。それ
で…」
ごくごく真面目な面もちのアムロをじっと見つめて、ブライトは内心でまたまた大仰なため
息。なるほどねえ、あのシャアと、そういう関係なのか。確かに艦内のあちらこちらで二人が
やたらと仲がいいから怪しいとかなんとか、噂も飛んでいたが。
それにしては劇的な変化は見られない。もしかして意外と慣れていたりするんだろうか。
…そもそも、7年間も不当に軟禁されていて、その間にいろいろあったりとか…?
<──今ものすごい失礼な想像をした気がするぞ…いい加減にしろ!!>
「ブライト? どうしたんだ?」
はっ! とブライトは我に返る。あわてて生真面目な表情を作って気持ちを改めた。
「すまん。ちょっと意識が飛んでいたらしいな。で? 話を続けてくれ」
…とりあえずは、黙って見守るとしようか。馬に蹴られるのは御免だからな。
そんなこんなで、アムロの秘密、は未だ守られ続けている。
アムロが知らない「秘密」である。
|