「カミーユ」
優しい声音が耳に心地良い。あんまり自分の名前が好きではないカミーユも、限定一名に呼ば
るときだけは幸せな響きだった。…完全な一方通行の、自己満足だったが。
「カミーユ。ごめん。ちょっといいかな」
書類の束を片手に、タラップを上がってくるのはアムロだ。今のところ階級は大尉だが、ここ
ロンド・ベル内ではブライト艦長に次ぐほどの権限を持つ。いや、…相手によっては艦長よりも
アムロの発言の方が百倍効き目があることまである。
「…もちろん。構いませんよ、どうぞ?」
アムロはタラップを固定すると、開いたハッチからひょっこりと頭を覗かせた。狭いコクピッ
ト内で間近に接近されて、カミーユはどきまぎと慌てる。いや、間近といってもまさか抱きつか
れた訳ではないし慌てる理由はないのは判っているのだが、いかんせんカミーユは必要以上に彼
を意識しすぎだった。手なんか触れたらそれだけで赤面ものである。まるで恋に落ちたばかりの
女学生だ。
<…ああ…なんでこんな…びびってんだろ俺…>
初めて出会った時から、ものすごく気にかかる人だった。恋愛感情なのかどうかはこの際置い
ておくとしても、とにかく好印象を持たれたい、もっと良く知りたい、…仲良くなりたい。それ
ばかり思ってカミーユは必死だった。
だが生来の天の邪鬼な性格がたたって、意識すればするほど失敗する。カミーユはそれが自分
でもいやでいやで仕方なかった。
「実はね、実は…カミーユに協力して欲しいことがあるんだ。カミーユにしか頼めないんだ」
うわ〜〜〜。と、カミーユはみるみる真っ赤になった。そんな可愛い言い方されたら絶対断れ
ないじゃないか!!
<…こんなむちゃくちゃな言い方してくるってことはメカ実験だな。決まってる。この人ってば
機械いじりに関してだけはまるっきり子供みたいなんだから…>
「協力…できるものならしますけど…危ないことじゃないでしょうね?」
カミーユは内心の動揺を精一杯押し隠して、わざとらしいほど冷静な声音を作った。アムロは
うんうん、と軽々しく頷いてみせる。
「あ、うん。危険はない。大丈夫。多分…」
「多分!?」
途端に怒鳴られて、アムロはあわてて訂正を入れた。
「ッ…あ、いや、ぜったい、うん」
あやしい…。
カミーユは確信してしまった。これは、絶対危ない橋だぞ。どうする?カミーユ。
「…判りました。ご一緒、しましょう」
カミーユは相当長い間逡巡した挙げ句、やっと答えた。これは、下手に反対して一人でこっそ
りやられるよりも、自分の目の届く範囲でされるほうが(例えどんな危ない実験であれ)まだし
もマシかと結論付けたのであった。アムロはほっとした顔で、嬉しそうにカミーユの手を握る。
「よかった…ありがとうカミーユ! 恩に着るよ!」
カミーユはもう一度、今度こそゆでダコのようになってしまった。
手なんて握られたらてきめんなのだ。
「あッ…アムロさんッ…あのッ…俺の手…今汚いんで…(わーーっ!!)」
思わず怒ったようなそぶりで手を振り払ってしまう。アムロはその、いかにも不機嫌そうな様
子にちょっとだけ申し訳なさそうにひとこと「ごめん」と呟いた。どうもカミーユにはあまり好
かれていないのかもしれない、とまるで見当違いなことを思っている顔だった。
ああ。カミーユはがっくりうなだれる。
<どうして俺って…こういう態度しかとれないんだろ…やんなるなあ…>
「んで、結局何を手伝わせたいんですか?」
気を取り直して、極力明るい声でカミーユは尋ねた。Zのコクピットからは降りて、格納庫を
歩く最中である。その名も高い連邦軍極東支部独立部隊ロンド・ベルの格納庫はさながらロボッ
ト展覧会のごとき有様で、ぐるりと見渡すだけで笑えてくる。
だいたい、どうしてこんな重量のモノたちを満載して平気なのだろうか、この艦は。
「ヒュッケバインのT-Linkシステムを調べてみたいんだ。…俺個人的に」
「…ヒュッケバイン…て、あれですか?」
珍しいことに、格納庫には二人以外誰もいなかった。ちょうど昼食時で整備員も交替時間だか
ら、とアムロが事前に手回しして人払いをしたのだった。非常招集がかかればいやでも集合する
場所だから、たまには人気がなくていいかもしれない。
「…うん、ちょっといじらせて欲しいってユウキに頼んでおいたんだ。アストナージが、あれは
サイコミュシステムに近いものがあるっていうから」
「…サイコミュ、ねえ…」
てことは、脳波コントロール系か。確かヒュッケバインには特定パイロット登録がされていた
からまさか自分で乗り込みやしないだろうけど。そんな未知のシステムに己の身を実験体にする
なんてまさかそんなことは…。
「そう、そのシステムをちょっと試してみたいんだよ、自分で」
…ッ…!!! まさか!!?
「の、乗るつもりですか? アムロさん!」
「いけないかい?」
よからぬ予想が当たってしまったことに片手でこめかみを軽くおさえてしまうカミーユ。自分
に協力を求めてきた理由もやっと判った。
「…そのヒュッケバインは特定パイロット登録で、ユウキにしか乗れないようになってる筈です
よね? じゃあ、俺を呼んだのはその登録を解除するため、とか?」
「鋭いね。カミーユ。実はそうなんだ」
…あああ、このひとはもう…。
「…いきなり解除なんて無茶ですよ。せめて2〜3日もらえればパスワードクラックくらいなら
できるかもしれないですけど、だいたい今までとは全く違う、未知のシステムで…」
「割り込みソフトは俺が用意してみたよ。ごまかし急造だから保証はできないけど、エマージェ
ンシーが立ち上がって特定登録が一時的に解除される、ってな仕様にしてある。もちろん本体の
操縦はできない。でも脳波をリンクさせてみることができたら、それでいいんだ」
ひらひら、と胸ポケットから小さなディスクを取り出してアムロは振ってみせた。それはそれ
は無邪気な喜びを瞳に湛えて。
なるほど。カミーユは心底自分の決断を誉めた。ここまで用意してあれば、もしさっき自分が
反対していたとしても勝手に一人でやったろう。ついてきてよかった…。
<ほんっと…この人って…ほっとけないんだ…なんかあぶなっかしくってさ…>
「こっちはカミーユが手伝ってくれる用の外部入力端末。俺だけだと自信がなくてさ。アストナ
ージが2日も完徹して作ってくれた。みんな、この謎の機体には興味津々なんだよな」
「…貴方が一番、興味津々なんでしょ」
「うーん。まあ、確かに、気になって夜も眠れない、かな」
このメカきちめ! 思わず自分のことを棚に上げてぼやくカミーユであった。
30分ほど接続の時間がかかったが、あとは思ったより容易い仕事だった。
特定パイロット登録のセキュリティは大して堅くもなく、システムOSもどちらかといえば騙
しやすい構造だった。未知なる存在はT-Linkそのもの、いや機体そのものだった。
「アムロさん、こっちはもうオールクリアしました」
「ありがとう。こっちも入ったよ。パイロット一時登録解除、完了。操縦システムダウン。そん
でもってT-Linkチェック始動、と」
アムロの声は心なしか弾んでいる。まあね。そりゃ嬉しいだろうさ。カミーユはこっそり影で
ため息を漏らした。
…が、次の瞬間、カミーユは何かとてつもなくいやな予感に襲われた。ヒュッケバインが微か
な唸りに震えたのと同時、まさに起動した一瞬だ。カミーユは端末を投げ捨てるように置いて、
半開きのハッチに飛びついた。
「アムロさんッ!」
アムロは、真っ青な顔でコクピットに収まったまま凍り付いていた。カミーユの呼びかけにも
動こうとはせず、それどころかカミーユを認識してもいなかった。なにかショックなことでも、
と心配したカミーユがアムロの肩を掴む。
「…うわッ!」
アムロに触れた途端、カミーユの意識に濁流のような雑多なデータが流れ込んできた。
「な、な…なんだぁ今の…!!」
驚いて手を離してしまったのでほんの一瞬だったが、それでもあまりの情報量の多さに眩暈が
する。じんじんと頭の両端がしびれて痛んだ。カミーユはゆるく首を振った。
「ちょ、ちょっと…まさか…今の…こんな…こんなデータをいっぺんに受け入れてんじゃないだ
ろーなーーーーっ!!! アムロさんッ!!」
もう一度肩を掴んで揺すってやろうかと思ったが、自分まで影響を受けて卒倒でもしたらアム
ロを助けられない。しばし躊躇したカミーユは、アムロの身体に触れないように細心の注意を払
いながら中のメインパネルに手を伸ばした。電源を切ろうというのだ。
が、もう少しで届く、というところでうっかりアムロの頬に腕が触ってしまった。びりっ、と
まるきり電流みたいな衝撃が走って、…今度はデータだけでなくアムロ本人の思念波まで流れて
きた。カミーユの意識と、それは無意識に直結した。
覚醒ニュータイプならではの相互感応だ。
「っつう……!」
その感応がきっかけだった。痛みにも似た、ニュータイプ特有の強大なプレッシャーが音もな
く辺り一帯を、おそらくはアーガマ全体を押し包んだ。
アムロは、多分もう気を失っているだろう。彼は潜在意識だけでT-Linkシステムに、ヒュッケ
バインに対抗しようとしているのだった。さすがはニュータイプ中のニュータイプと評されるだ
けのことはある。そのプレッシャーといったら言語に尽くし難い。
張りつめきった大気が音を立てて弾けそうなほどの威圧感だった。
「くっそぉ…強制終了してやる…ッ!」
カミーユは必死で身を乗り出した。起動電源スイッチを力任せに拳で叩くとモーター駆動音はす
ぐに止み、コクピット内の明かりもモニタ類も全部消えた。
そして同時に、プレッシャーもウソのように凪いだ。
「…ふう…」
やれやれ、と額の汗を拭う。ずきずきと頭痛がいつまでも後をひいていたが、それどころで
はない。アムロはきっともっと酷い状態なのだ!
アムロを覗きこむと、やっぱり完全に気を失っていた。そろそろと改めて肩を支えながら抱
き上げかけたが、みかけよりずっと細い身体にぎょっとして思わずがばっと離す。…が、反動
でまたアムロの身体がかしいだのでわたわたともう一度抱き留めた。
非常時なんだ。照れるのは後!
「…それにしても…アムロさん…」
カミーユはぼそっと呟く。
「こ、こわかった〜〜〜〜〜殺されるかと思いましたよ…!!」
NEXT
|