霧、だった。辺り一面が乳白色の世界だ。
「ちっ…なんだってんだ…この霧は…」
雲ではない。確かにさっきまでは雲の上を飛行していたが、大した厚みはなく、大きさも
たかがしれていた。天気は非常によかったのだ。眼下にはまだ美しさを残す広大な富士の樹
海が広がっていて(確かコンバトラーチームの本拠地が近くにあった筈で)ラー・カイラム
に戻る途中で。
カミーユはウェイブライダー型Zを駆って軽い哨戒飛行に出たのだった。哨戒、というよ
りははっきりいって整備が上がった機体の肩慣らしだったのだが。
「位置がまったくつかめない…ミノフスキー粒子なんかぜんぜんないのになんか凄い電磁波
でも浴びてるみたいだ。…通信もできないし…おかしいぞ、こんなの」
あらゆるレーダーがうんともすんとも反応しない。高度さえ判らなかった。いきなり目の
前に山でも現れたら即!激突である。だからといって今より速度を落としたら今度は失速し
てしまうし。せめて障害物探知レーダーくらい生きていてくれれば。
「通信回路、無駄だと思うけどあけとくか…うわっ!!!」
回線のスイッチを入れようとして、カミーユは突如飛び出した岩壁にあわてて機体を傾け
た。やっぱり山だ。こんなところで激突はまっぴらごめんだというのに!
「よけ…られないッ…!!」
カミーユは自分の悲鳴のような叫びをやけに鮮明に聞いた。
…そして、視界が闇に染まる…。
ピッ。ピッ。ピッ。
軽い電子音が耳について、カミーユは目を開けた。コンソールの前につっぷしていて、ど
うやら怪我ひとつないようだった。
「うっわ…生きてる…俺って悪運強い…?」
がばっと跳ね起きて、手早く計器類をチェックする。モニタの一部は死んでいたものの、
奇跡のように軽傷ですんだZはウェイブライダー型のまま砂地に半分埋まっていた。辺りは
暗く、岩の天井が見える。巨大な洞窟なのだろう。
モニタに映る映像から確認するに、巨大な鍾乳洞のような場所だった。本来は暗闇の筈の
地下がぼんやりと薄く照らされているのは、そこが明らかに人間の手によって整備されてい
る証だ。遠くの方に人工灯の明かりが見えた。
何かの基地の一部のようだ。
「それにしても…どこだ、ここ…」
通信はまったくできなかった。とにかく降りてみるしかない、とカミーユはZをそのまま
に外に出る。しばらく歩くと舗装された道路まで見えたので、カミーユはそちらに向かって
用心深く歩いていった。
<…けて…!>
ふと、頭の中に声が響いた。
「え? だ、だ、誰だ今の声!?」
ぎょっとして立ち止まる。きょろきょろと辺りを見渡したが、今はまだ目に映るものとい
えば岩陰ばかりだ。
それでもカミーユには感じる。誰かが近くに居る。…助けを求めてる。
<やめ…て…ッ… イヤだ…>
「誰…なんだ…いったい…」
カミーユは声を頼りに走り出した。頭の中だけに響く不思議な声は、何故か、とても馴染
み深い優しい感じだった。ずっと前から知っているみたいな…。
<………イヤ…助け……>
「君は誰だ? 何処にいるんだ? 答えてくれよ!」
舗装道路に出ると、すぐ近くに無骨で巨大な鉄筋の建物があった。いかにも何かの工場と
いった雰囲気だ。軍事関係の匂いがするな、と思いながらその建物沿いにしばらく道路を駆
ける。声はだんだん小さく、弱くなっていった。カミーユは必死に叫んだ。
「くそっ…! 何処だ! 何処に居る! もっとちゃんと呼べよ! 俺を!」
長々と続いていた道はカーブを描いて何かの施設の敷地内に入り、唐突に切れた。きょろ
きょろと辺りを見回しながら小走りに進むと、一台のバギーが施設の壁際に寄せて止めてあ
るのが見える。最初、遠目には誰も乗っていないように見えたのだが、黙って拝借してしま
おうか、と近寄ってみて初めて、人影が中で揉み合っているのが判った。
…地球連邦軍の士官服を着た男が、もうひとり、よくみえないが多分少年を押し倒して乱
暴を強いている。時折小さな悲鳴が聞こえてくる。
「な、何やってんだよぉ! いい大人がぁ!」
カミーユは爆発した。乱暴といえばまだマシだった。こともあろうに男は、少年を半裸に
剥いて犯していたのである。少年の、まだ幼いとも言える細い手足だけが男の身体の隙間か
らのぞいていて、無体な行為に小さく震えていた。
「なんだ貴様! どこから入った!?」
「だからこんな大人は修正してやるんだーーーーっっ!」
言うなりカミーユは拳を振り上げた。いきなりのことに、もちろん男は避ける間もありは
しない。顔面と後頭部をしたたかに殴りつけられ、あっという間にその場でのびた。
失神した士官をカミーユは、思いっきり汚いものを持つような顔でバギーからひきずり下
ろし、地面に放る。そうしてやっと、少年と目を合わせて。
「こんなヤツ、気にすることはないよ…………ッッ!!??」
少年はあっけにとられて硬直していた。が、目があった瞬間、カミーユまでも硬直してし
まった。さっきまで自分を呼んでいた声はこの少年だ。言葉なぞ交わさずとも判る。
…だが。
「あ、あ、あ、アムロ…さん…???」
赤茶けたふわふわのくせっ毛。大きな瞳。少年兵用の青い連邦服。14〜5歳だろうかと
いうみかけの。
彼はアムロにそっくりだったのだ。…ただひとつ、年齢を除いては。
そんな莫迦な!
カミーユは混乱しきって、ぐしゃぐしゃと前髪をかきまぜながら呻く。
<アムロさんはラー・カイラムにいる筈じゃあなかったっけ? てゆーかなんで小さくなっ
てるんだよ? た、他人の空似…か?>
「……どうして、僕の名前を知ってるんですか?」
アムロは(やっぱりアムロだった)、おどおどと口を開いた。カミーユはしばらく答える
言葉も失ってその場で凍り付いていたのだが、アムロに再三「あのう…」と声をかけられ、
ようやく覚醒したらしい。とりあえずぶるっと頭を一振りして気持ちを切り替える。
「アムロさん、なんですね。ホントに…」
カミーユはそうっとアムロの肩に手をかけ、ぬげかけの制服を丁寧に着せ直してやった。
なにしろ半裸のままでは目のやり場に困ってしまう。多少びくついたものの、アムロは大人
しくカミーユに従った。自分よりずっと小さいアムロだなんて、なんだか不思議な感慨を覚
えてしまう…。
「あの、貴方は…誰なんでしょうか?」
「…さっきまで、俺を呼んでいましたよね。声が、はっきり聞こえた」
カミーユは敢えてアムロからの質問を無視して話し出した。アムロはちょっと考えてから
こくり、と頷く。アムロの方からも、誰かは知らないけれど自分の声を聞き取ってくれる存
在に気が付いてはいたのだ。
カミーユはアムロの制服をきちんと直してやると、軽く頭をひとなでした。
「ここが何処だか教えてくれますか? アムロさん。…それから、ものすごく変な質問です
けど…貴方の年は?」
確かにおかしな質問だ。アムロは奇妙な表情を隠し切れなかった。それでも別段答えて困
る問いではない。もう一度、律儀にこくん、と頷く。
「ここは…そこの建物はMS開発研究所。地球連邦のジャブロー…南米地下基地の中です。
それから僕は…16、ですけど…」
「南米ジャブロー!? 16!?」
そんなに驚かれるような内容とも思えなかったので、アムロはカミーユの大声にびっくり
してしまう。びくびくとたじろぎ気味なアムロに気が付いたカミーユはちょっと照れ臭そう
にこほんと咳払いして、声のトーンをすぐ落とした。
「あ、すみません。こっちの話です。…そうか…16歳…」
カミーユはぶつぶつと一人で何やら呟く。アムロの目には奇異に映るが、一応それなりの
思惑があるのである。
<…ここがジャブローでアムロさんが16歳ってことは…確か連邦とジオンの1年戦争が終
結した直後くらい? ああ、そういえば当時のホワイトベースはジャブローに降りたっきり
連邦政府中央に撤収されて元のクルーは全員下ろされたって…>
どうやら、信じられない現象だが自分は時を飛び越えたのだ。もしかしたら目が覚めたら
全部夢だった、なんてオチもつきそうなほど莫迦な結論だが、今のところどう考えてもそう
としか言いようがない。
ちら、とアムロを見やる。アムロは不安そうにカミーユをみあげている。
<そうか…このままほっといたら…アムロさんはこれからあと7年も連邦政府に軟禁されな
がらMSの開発研究にだけ従事することに…なるのか…>
しかも直後からこの扱いでは、その後の7年が思いやられる。カミーユは足下にのびてい
るあわれな男を見下ろして階級章だけ確認した。大尉、らしい。アムロはその時点では中尉
のようだったから一応上司ということになる。
それにしても、いやがる少年を無理矢理、車の中なんかで犯す上司とは!
「あ…あの…何処から来たんですか?」
カミーユはまたもアムロの質問には答えず、バギーのエンジンをかけた。地面でのびてい
る男をわざとけっとばしてどかすと運転席に乗り込み、自分が元来た方向にいきなり走り出
す。アムロは唖然としてカミーユの横顔をまじまじと見た。
「…ど、何処に行くつもりなんですか?」
「ここから出るんですよ」
「え、ええ?」
アムロにとってはあんまり突拍子もないことを言われ、すっ頓狂な声をあげてしまった。
カミーユは大まじめにバギーを走らせる。とりあえずZのあるところまで戻るつもりなので
ある。
「貴方はこんなとこにいちゃいけません。連邦政府なんかに従うこと、ないです」
過去の世界だという認識は、そのときのカミーユには働かなかった。ただ理不尽さに腹が
立って仕方なかったのだ。…だが。
「だ、駄目です! ここから出るなんて出来ません! それに…困ります!」
アムロの意外な答えに、カミーユは驚いてしまう。てっきりアムロもずっと、ここから抜
け出したいと思っているだろうと決めつけていたのだ。カミーユはバギーの速度を落として
(それでも意地で走り続けて)極力優しく尋ねた。
「アムロさんは逃げたく…ないんですか?」
アムロは、曖昧に首を振った。それは否定にも肯定にも見えて、その心中がいかに複雑か
を物語っていた。
「僕が…このジャブローに残ることが…条件だったんです」
「条件? なんの?」
アムロは答えなかった。
To be contenued...
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