澄み切っていた水が、少しずつ濁ってきていた。アマゾンの本流が近いのだ。
アムロは感慨深げに揺らめく水の世界を眺めていたが、ふと小さく呟く。
「…本当はここだって動物たちの住処だったのに…こんなご大層な基地を作っちゃったせい
てたくさん巻き込まれて死んで…」
可哀想に、という言葉は実際には声にならなかった。それでもカミーユにははっきりと聞
こえた。アムロの言葉は直接脳裏に入ってくるから。
「…しかも、こんなとこでドンパチやっちゃうしな…人間ってしょうがない生き物だって、
ホントイヤになるよ」
それでも、黙って殺される訳にはいかなかったから戦い出した。それはカミーユにとって
もアムロにとっても同じことだ。そんな意識の共有が二人を穏やかに包む。
「ねえ…やっぱり連邦はやめよう、アムロ」
カミーユは、精一杯真剣にそう言ってみた。だがアムロは譲らなかった。
「僕だって連邦に好きで居る訳じゃないけど…でも駄目だよ」
「なんで!? どうせ腐った大人しかいない世界なのに」
「だから放っておけないんじゃないか。…大したことができなくても、外から壊すんじゃあ
テロリストと同じだろ。中で頑張る人間だっていなきゃ困るよ」
この時点では、連邦はまだ1年戦争を終えたばかりでティターンズも台頭していない。辛
い戦乱を終結に導いた直後では、連邦組織に期待を抱いてしまうアムロの気持ちも判らなく
はなかった。…ましてたかが16歳の少年だ。だが。
「…状況によっちゃテロリストにだってなってやるさ」
カミーユがぼそっと言うと、途端、アムロからずわっと威圧的なプレッシャーが滲み出て
きた。どうやら怒ったらしい。カミーユはあわてて訂正した。
「べ、別に何も人を殺していいなんて俺は言ってないぞ、ただ荒療治が必要なときだってあ
るだろって…」
「それって大人の言い訳みたいだな。自分や周りの人たちが危なくなったときに抵抗してい
いのと、危なそうなヤツだから先に殴りかかっていい、っていうのは別だろ?」
「う…」
駄目だ、理屈では完璧に負ける。どうやったらこの、誰より戦いに長けているくせに筋金
入りの理想民主主義なニュータイプを説得できるというのだろう。カミーユはさっぱり判ら
なくなってしまった。
<…ああ〜!!! いっそ俺が未来の人間だってうち明けて…どっちみち連邦はティターン
ズにのっとられてネオ・ジオンも出てきて、とか言ってしまった方が…>
横からアムロに思考を見られないように、精一杯ガードする。アムロは、(実は無理矢理
覗こうと思えばできるのだが)カミーユが「知られたくない」考え事をしていることに気が
ついてため息だけもらした。何を隠しているのやら。
だが、いつまでもカミーユを思考の海に沈めておく訳にもいかなかった。僅かだが、危険
な気配を察知してアムロは声を高くする。
「カミーユ! ミサイル!」
「え、嘘、どこから?」
「右後方。5時方向から3発。…大した速度じゃないけど追尾型だから落とした方がいい」
即座に小型ミサイルを撃ち出す。それぞれ一発ずつ対消滅し、水中が一瞬揺らぐ。
「…見つかったのかな。追いかけてくるか?」
「いや、多分今のはセンサー式だと思う。ここ2ヶ月ほどは連邦は忙しくて、実は警備とか
かなり杜撰だから」
EOTとかなり揉めてるんだよね。アムロは苦く笑ってみせた。なるほど、謎の物体(そ
れがマクロスであることはカミーユは知っているが)が落下してまだまもない時期だから、
地球は今どこもばたばたしているのだ。
…でも、今自分が問題にしてるのはそんなことじゃない。アムロ個人の身柄だけだ。
「決めた」
カミーユは、唐突にきっぱりと言った。
「何を?」と尋ねるアムロにふふんと不敵な笑み。
「俺は誘拐犯だから。アムロの言うことなんか聞かないことにした」
「えええ? そ、それはまずいよ…」
「いいんだよ。それにさっき言ったろ。もし途中で捕まったりしてもアムロは誘拐されただ
けなんだから何も弁解する必要ないって。もっとも、捕まりゃしないけどな」
アムロはあわててカミーユの袖を掴んだ。
「だ、だから僕がここに残らないと…」
「誰か人質とか、身柄の交換条件とか、居るんだろ? そしたら、その人たちだって順番に
助けてきちゃえばいいだけじゃないか。アムロ一人が泣き寝入りすることなんてない!」
あまりに楽観的で希望に満ちた物言いに、むしろあっけにとられた。アムロは思わず掴ん
でいた袖をはたと手放してしまう。
「ひとりで何でも解決しようとするのはアムロのよくない癖だ。やれば出来ることだって、
絶対、あるんだよ!」
「…」
ぽかん、とカミーユをみつめるアムロ。
しばらく言葉もなくそうしてじっとしていたが、やがてようやく小さく、頷いた。
「そんな風に言ってもらえたのって…初めてで…ありがとう…」
カミーユは淡く笑んだ。カミーユも嬉しかったのだ。
「これからの計画を少し、練らないとな」
Zは、あれから幾度もセンサー式のミサイルやビーム攻撃に脅かされたものの2人のニュ
ータイプ能力によってかすり傷ひとつ負わずアマゾン河から脱出した。水面から躍り出るな
り瞬時に飛行形態に変わったZは、樹海を出るために河を辿る形で大西洋をめざす。
だが、広大なアマゾンの樹海を低空飛行しながらカミーユはふと、ものすごく気がかりな
ことを2つも思い立ってしまった。
…というか、何故今まで念頭にも浮かばなかったのだろう。
ますひとつ。自分は、もとの時間に戻ることができるか、という懸念だ。
<もし二度と戻れなかったら…いったい俺、どうなるんだろう。今この時間に、グリーンノ
アに居る筈の俺は? 俺が二人居る時間…俺がどこにも居ない時間…どういう法則だってい
うんだこれって…>
もしこのまま7年経ってロンド・ベルに戻ることになれば、もしかして歴史が変わってし
まったりするのか? それとも何か、結局事象の修正が起こる? 俗に言う「タイムパラド
ックス」は…?
<俺はロンド・ベルに参加するまでコロニーを出たことなんてなかったから、地球に居る限
り当分は自分自身と鉢合わせることにはならないと思うけど…>
いや。多分いつかきっと元の時間に戻ることができる。いくらなんでも7年も待たずに済
むとは思う。同じ時空間に同じ人間が誤って存在している状態というのは、ものすごく不安
定だろうから、きっと元に戻る力が働いてくれる筈だ。そう、カミーユは確信する。
この際だから、しばらくの間は自分が元の時間に戻れるかどうかは棚上げしておくことに
した。どっちみち思い悩んだところでどうにかなる訳でもない。
さて。そうすると当面の深刻問題は、むしろもうひとつだ。
自分とアムロの、現実的な対応について、である。
<…アムロを連邦から救い出したくても…俺自身が今現在のこの地球に何の足場もないまま
じゃ、どうにもならない…連邦に追われるばかりか食べるものまで不自由させてしまう>
一体どうすれば、アムロを助けることができるのか。もし、今自分が何かすることで、こ
れから起こり得るアムロの不運な未来を少しでも改善できるのなら。…歴史を変えることが
出来るなら!
「…カミーユ?」
アムロが、おそるおそる声を掛けてきた。
当面の計画を、とか言い出しておきながらそれっきり黙りこくって、無言でZを操縦して
いたのだ。カミーユは、いかにも不安げなアムロの声に気まずく笑ってみせた。
「ご、ごめん考え事してた…ええと、当面の計画、だっけ」
アムロは、またもにょこっと赤毛の頭を前に出してきた。
「…あのさ…僕を攫ったりすると、連邦の追跡がかなり五月蠅いと思う…。この辺はどこも
連邦の勢力圏の中でも強い方だから…」
「やっぱり降ろせ、なんて言っても聞かないぞ、俺は」
言葉尻になんとなく自分を置いていった方が楽だ、と言っているのを感じて、カミーユは
不機嫌な声で答えた。つい、速度を余分に上げてしまったり。
「ち、違うよ。とりあえずこんなとこで降ろせなんて言ってない…てゆーか困るよ」
「…人気のないだだっ広い樹海、だもんな」
下を見れば、アマゾン河の流れはますます幅広く、まるで湖のような大きさになってきて
いた。海はもうすぐそこだった。
「…そろそろ高度をあげても大丈夫かな。ひとまず大西洋上に出よう。適当な島でもあれば
そこで休憩するから、狭くて悪いけど、もうちょっと我慢してくれ」
「あ、うん…大丈夫」
僕、ちびだから。そう言って恥ずかしげに顔をあからめるアムロをちらとみやって、カミ
ーユはけらけらと笑った。…声まで立てて笑ったのなんて何年ぶりだったか。
「いいじゃんか。小さくて、可愛いよ」
嬉しくない。アムロはつまらなそうに答えて、座席の後ろにひっこんだ。本来座席の後ろ
には大したスペースはないのだが、アムロの小さな身体ならさほど苦もなく収まる。
足下のスクリーンに映し出されたアマゾンを、アムロはひどくひたむきな瞳で見た。
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