Air Pocket_4






                                          



「…そうだ、連邦の制服は着ていなかった。青い髪をした16〜7の少年だ」
 ジャブローの基地、MS開発研究所の通信室で連邦士官がテレビモニタに向かって不機嫌
この上ない声をあげていた。
「いきなり殴りかかってきたんだ。…あ? 何処から来たかって? そんなのが見えていた
たむざむざやられはしなかったとも!」
 アムロを車の中で強姦しかけ、カミーユに殴り倒された男だ。彼はかれこれ30分ほども
アスファルトの路面と仲良くしていて、ついさきほど通りかかった事務局員に助けられたの
である。男は痛む腹をおさえ、笑えるほど腫れ上がった頬に濡れタオルを当てながら基地本
部の巡回警備部へ直通連絡を入れたのだった。
「…ああ、アムロ・レイ中尉が脱走した可能性がある。その、正体不明の少年と知り合いか
どうかは知らんがどうやら一緒に逃げたようだ」
 ええ? と警備部から驚きの声が返ってきた。
<アムロ中尉が? 何故脱走したと判るんです? 貴方に襲いかかってきたのなら、アムロ
中尉にも危害を加えたんじゃないんですか?>
「だったらアムロ中尉も私の隣で気絶か、或いは死んででもいなきゃおかしかろう!」
 一論である。警備部はそれ以上はコメントをさし控えた。
 相手の男が対人関係で相当問題のある人物で、アムロのことを不自然にいびっている事実
は一部では既に有名だったが、それだけに下手に刺激したくなかった。
<アムロ中尉は良く知られた方ですから、一応誘拐の線でも考えておきます。港口付近の警
戒ラインの強化と、アマゾン流域内の無人索敵機の総チェックを…え?>
 モニタの向こうで、ちょっとした騒ぎが起こった。男はむむ、と眉をつりあげる。ずきず
き痛む頬に、もうすっかりぬくまってしまったタオルを押し当てた。
<水中砲台のいくつかがミサイルを発射している!? 聞いてませんよそんなの!>
 穏やかならざる空気を感じて、男は怒ったように尋ねた。
「どういうことか説明しろ。アマゾンに逃げたのか? ヤツは」
 警備部の通信係は、あわてて「はい」と返事をしながら、後ろで飛び交う会話にとびとび
で参加した。司令部からの指示待ちではあるが、所属不明機が一機、アマゾンを下っている
ことは確からしかった。
<…あ、すみません。今連絡が…既にMSらしき機体がアマゾンを下ったようです。多分、
そちらの言う謎の少年のものではないかと…>
 男は、ちっ、と悔しげに舌打ちをもらした。
「おい! 司令部に折り返し連絡を入れておけ! その機体には十中八九間違いなくアムロ
中尉が乗っている。誘拐か脱走かは捕らえてみれば判る、とな」



「…アムロ」
「ん?」
 急に生真面目な声になったカミーユに、飽くことなく雲海をみつめていたアムロは目をあ
げた。Zは既に大西洋上を真北に飛行している。雲の切れ間からはときおり青い絨毯のよう
な水面が覗いた。
「話して…くれないかな。誰が連邦に人質になっているのか」
 カミーユの言葉に、アムロは眉をしかめた。
 もちろん座席の後ろにひっこんだアムロのそんな表情の変わり具合などカミーユに見える
筈はなかったのだが、なんとなく空気の感じが違ったことくらい気付いたのだろう。「言い
たくないなら無理にとはいわないけど」と付け足した。
「人質ってほどのものじゃないんだよね…まあ言い方次第かな」
 アムロはしばらく言葉を選んでいた。やや置いて、呟くように話しだす。
「…本当はね、WBのクルーは殆どが現地徴用の民間人だったんだよ。僕もそうだったんだ
けれども…たまたま父がMS開発に携わっていただけで」
「ああ、そういう話は聞いたことがある」
「1年戦争当時、WBは軍属という名目だけ後からくっつけられた、素人の集まりだった。
逃げ込んだ避難船がたまたま最新鋭の軍艦だったから、僕がたまたまMSを動かすことがで
きたから、正規の軍人さんがみんな死んでしまったから…それで成り行きで軍人ってことに
なったんだよ。だからかな、軍規とかそういうのにみんな疎くてね」
 当時のWBの立場は連邦内ではきわめて異色だった。というより厄介者だったのだ。
「…そういう軍属でもなんでもない民間人が勝手に機密を持ち出して好き放題使って、って
ことに連邦はすごくうるさかったんだ、当時から。…それでも戦争やってる最中じゃ文句も
言えないから、どうにか大義名分探してくっつけてWBまるごと1個で独立部隊ってことに
してWBやガンダムを勝手に動かした罪を戦果で帳消しにするって…」
 いかにも「大人」な言い分だ。カミーユは猛烈に腹が立った。
 都合のいいときだけ組織ぶって、さんざんこき使って。そのくせどうでもいいことにまで
いちいち文句をつけてくる。
「それでもね、当時は生き残るのに精一杯だったから、そんな風に扱われててもしょうがな
かった。WBのみんなが同じ思いで頑張ってたし、戦争さえ終わればどうにかなるって思っ
てたんだ。…甘かったんだけどさ」
 アムロはひと呼吸置いた。ためいきが洩れた。
「連邦はね。ニュータイプなんて存在は邪魔なんだよ。よけいな英雄は要らない。民衆にと
っては連邦軍こそが英雄団でなければ困るのさ。ましてジオンの提唱したニュータイプによ
る人の革新論なんてのは…地球連邦の妨げにしかならないんだ」
「…でも、アムロはもう有名になりすぎてて消す訳にもいかない…ってことか?」
「そう、そうだね。それで結局僕は徹底監視という立場になったんだ。ただWBに乗ってい
たメンバー全員は面倒だろ? だから僕がひとりでジャブローに残れば、とある特定のメン
バーなら軍属から外れていいし生活補助も受けられる、って条件を出した」
「…それってホントに人質じゃないか! 泳がせて見張るなんていかにもだ!」
 カミーユの叫びに、アムロは苦く笑って。
「でも、意図的に全員が散り散りにさせられてるからね。文句言ったってどうにもならなか
ったんだよ。無条件に飲むしかなかった。ブライト艦長やハヤトはまだ軍属のままだった筈
なんだけど居所なんて絶対教えてもらえないし。僕は当分ジャブロー勤務だし」
 あ、勤務だった、と言うべきかな。そう言ってアムロはくすくすと声をたてて笑った。
「僕、そういえば攫われちゃったんだっけ」
 カミーユもつられて笑った。
「そうさ! 今度は俺の言うこときかないと承知しないぞ! なんてな」
 ひとしきり二人で笑って、それからちょっと沈黙が横たわる。暖かな雰囲気の静けさ。
「…そっか。まずかつてのWBの面子を探してみよう」
 カミーユはぽつりと呟いた。
「え? ホントに?」
「ブライト艦長、とか居てくれたら相談できるだろ? あと他にいないかな。軍属のまま
の人の方が連邦の事情にも詳しいだろうし」
 カミーユの意見は、アムロには酷く楽観的すぎるように聞こえた。でもカミーユの善意
は本当に嬉しかったし、確かに何もやらずに諦めるのもいけないと思える。このまま永遠
に空を飛び続ける訳にもいかないのだから。
「…うーん、やっぱりアメリカ大陸かな。シャイアン基地に僕の乗ってたガンダムが収容
されてると思ったけど…誰かWBの面子は居たっけな…」
「シャイアン? …ガンダム、盗むつもりなのか?」
 嫌な場所の名前が出て、カミーユはぎくりと振り向いた。アムロは急に振り向かれて驚
ろいたのかきょとんとした顔になったが、「まさか」と苦笑して否定する。ガンダムを盗
みなんてしたら、それこそ世界中から追っ手がかかってしまう。
「今大西洋上空を北に飛んでるだろ? このまままっすぐ…いやもうちょっと左、かな。
とにかく連邦の基地っていったらそこかキャリフォルニアベースが近いんだよ」
 僕ね、シャイアンに飛ばされるかもしれなかったんだ。アムロは付け足してまた笑って
みせた。けれどカミーユは笑い返すことができなかった。
 …だって、そこはアムロがもしかしたら7年後までずっと幽閉される場所なのだ。でき
ることなら近づきたくはない。
「せっかく連邦の基地から逃げてきたのに、また近づくのはやばくないか?」
「…でももしWBのメンバーを探したかったら、連邦の情報をつかまないとだよ。それと
も一旦、一般人に紛れて暮らしてみる? それならこのMSを隠してしまえばメキシコ辺
りとか潜みやすいよ。貧民街は凄く治安が悪いと思うけど」
 カミーユは随分長いこと悩んだ。
 危険を冒してでも協力してくれそうな人物を見つけることから始めるか、それともとこ
とん逃げまくって、その間に今後のことを考えるか。もし連邦基地に潜り込むつもりなら
行動は早い方がいい。ジャブローから指名手配が回ってきたらうかつに出歩けなくなるか
もしれないのだ。
 ほとぼりが冷めるまで人里離れて暮らすには、今の装備品では心もとなかった。
「とりあえず、どこでもいいから街に降りよう。…シャイアン基地へは俺ひとりで行った
方がいい」
 やっと、カミーユは答えた。アムロは不満そうな声をあげたが無視して、Zの機首を東
寄りに傾けた。メキシコに向かうつもりだった。



 メキシコ・シティの郊外で煙草をふかしながらぶらついていた青年が、ふと微かな爆音
に青空を見上げた。
 通常の民間航空機ではない。明らかに超音速の轟きだ。大分速度を下げているのだろう
か、小さな機影が雲の隙間からきらりと光ったがあからさまな騒音にはならなかった。
「…戦闘機…っぽいな…ん? みたことのない機体だ…」
 常備している望遠カメラを機影に向ける。白と青のボディが視界をちらりとかすめたが
肉眼でははっきりとは識別できない。彼は反射的にシャッターを押した。
 3度ほどシャッターを切ったところで、機影は雲の向こうに消えた。青年は、ふん、と
鼻で笑った。
「…いいネタだといいんだけどよ」
 吸いかけの煙草を吹き捨てて地面に踏みつけると、彼…カイ・シデンはカメラを肩に下
げなおして、繁華街の方へと足を向けた。



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