ウエイブライダー型のZガンダムはメキシコシティ郊外の上空を通過し、20キロほど離れ
た森の中を選んでしなやかに着地した。
「お疲れ、アムロ。もう出ていいぞ」
「ふわあ…さすがにちょっとしんどいや」
コクピットのハッチが開くとまず青い頭がぴょこっと出た。続いて赤毛が覗いて、連邦制
服の腕がくーっと伸びる。やっと狭い座席の裏から解放されて、アムロはため息の連続だっ
た。ほんのちょっとだけ自分が小さくて良かったと想う一瞬である。
「降りなよ、ほら」
カミーユはさっさと座席から飛び降りていた。アムロもそれに倣って飛び降りを敢行しよ
うとしたが、身を乗り出したところでカミーユの腕に支えられ、ひょいと下ろされる。まる
で子供のような扱いにアムロは内心憤慨したのだが、カミーユの嬉しそうな顔を見たら抗議
する気は失せてしまった。だって、本当にあんまり嬉しそうだったから。
「さって…じゃ、まずこいつを少し隠すか」
そう言って腕まくりなぞするカミーユを見て、アムロはくすりと小さな笑みを零す。
<ホント、調子狂うなぁ…なんかもう他人とも思えないし…>
何時間も狭い空間にふたりっきりで、とりとめのない話をしながら美しい空模様や海原を
眺めているうちに、どうやら思考もちょっとばかり混じり合ったらしい。元々鋭敏な感覚を
持つニュータイプ同士だ。感応はきわめて容易く、かつ早い。
<…それに、どうしてカミーユは僕のことをこんなに気遣ってくれるんだろう…>
カミーユは間違いなく自分を昔?から知っているのに自分には覚えがない。だからカミー
ユが抱いている「未来のアムロ」への危惧も、今のアムロには想像しようもなかった。ただ
漠然と、カミーユが何かをとてつもなく怖がっていて、その何か、に自分を近づけたくない
ということくらいしか、アムロには判別がつかなかった。
<せめて、もう少しくらい事情を話してくれたらいいのにな…>
カミーユがボディ脇の小さな収納スペースから迷彩カバーを取り出してばさりと広げると
ころにアムロも手助けに入る。ハッチをしめて上から適当に覆って、ついでにそこらの木の
枝も折って被せる。間近でみたらもちろん一目瞭然なのだが、数百メートルも上空から見る
限りでは誤魔化しがきく筈だ。後はこの人気のなさそうな森の中深くに誰も来ないことを祈
るばかりである。
「あ〜…街まで大分離れてるんだよな、ここ」
「うん。街っぽいところからけっこう飛んだよ。半日は歩く覚悟かなあ」
「半日、か…」
カミーユはとっさに空を見上げた。現地時間は正確にはわからないが、太陽の位置と空の
色具合からして夕暮れは近い。どう頑張っても明るいうちにこの森を出ることはできないだ
ろう。
「どうする? 街へ歩き出してみる? 今日中には着かないだろうけど」
アムロも同じような危惧を抱いたのか、ちらちらと周りを確認しながら言った。カミーユ
は、Zとアムロとを交互に見つつちょっと腕組み。やっぱりもう少し街寄りに着陸するべき
だったろうか。いや、でもZを隠すにはこれでも近いくらいなのだ。
「…そうだな。どこかで野宿する羽目にはなると思う。だったら少しでも歩いておいた方が
いいかも」
アムロは頷いた。カミーユは非常食セットを取り出して、小荷物をまとめる。Zの位置は
自分のポケコンで判るから敢えてこの場所に目立つ標を残す必要もない。街への方向はきわ
めて原始的に小さな方位磁針で見て、後は勘に任せろとばかりにカミーユは歩き出した。す
ぐにアムロもその後を追った。
2時間ほど歩いたところで、すっかり日は落ちた。
なるべく見通しのよさそうな場所を探しながら進んでいた二人は、今小さな川沿いでひと
休憩中である。幸いにも空には満月で、夜でも影が落ちるくらい辺りは明るかった。
アムロは、川の水でばしゃばしゃと顔を洗っている。歩き通しで暑くなったのだろう。カ
ミーユもそれに倣って適当に顔を冷やした。ぬるい気温の割に水は冷たかった。
「ここ、割と見晴らしいいし…交替でちょっと寝ようか」
アムロが巨大な岩影の隅に腰を下ろしたのを見て、カミーユは側に寄った。上着を脱いで
アムロの肩に掛けてやる。アムロはあわてて「まだいいよ」と上着を返そうとしたが、カミ
ーユは意図的に語調を強めて言い含めた。
「ちょっとでも寝ないと保たないぞ。俺も後で休むから、だから先に寝といて。ちゃんと起
こしてやるからさ」
「…そっか。うん。判った、じゃあ…先にごめん」
アムロは意外にもあっさり引き下がった。多分みかけより随分疲れていたのだろう。背中
を岩壁に押しつけて目を閉じるとたちまち眠りに落ちた。ことん、とカミーユの肩に赤毛の
頭が乗る。まだ頼りないとも言える重さのそれに、カミーユは知らずため息を零した。
通常なら眠るには少し早すぎる時間の筈だ。なのに、アムロは気を失うかのように意識を
落とした。乗り慣れたZでのほほんと哨戒中だったカミーユは今のところ気力、体力とも十
分余裕があったが、アムロは無体な上司に乱暴されかかっているところを無理矢理連れ出さ
れてきたのだ。勿論その前にだって色々あっただろう。そのことに気付いてカミーユは今更
ながら己の不甲斐なさを悔やんだ。
<明るい間なら、Zの側でまず休ませてやればよかったんだ…俺って>
ごめん、と小さく口の中でだけ囁いて俯いた。肩に触れるアムロの体温がひどく愛おしく
感じて、なんだか涙が出そうになった。…もちろん堪えたけれど。
──ああ。本当に、どうするのが一番いいのだろう。
<…砂の上の城、だよな…>
自嘲的な思考が不意に意識を圧倒してきた。
本来居るべきではない自分がいくらこの時間で頑張ったところで、やっぱり未来(いや、
過去というべきか)は変えられないんじゃないか。無闇にはりきったところで、あまりにも
不確かな仮定と憶測の積み重ねでしかない。
だいたいどうやって連邦から7年もアムロを匿っていける? 自分は元の時間に戻ってし
まうかもしれないのに?
<どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?>
カミーユには、自分が今生きるか死ぬかといった切迫感はなかった。単に「時間」への漠
然とした焦りだけがあった。とてつもなく嫌なものが自分たちの背後から忍び寄る気配。い
つか「時」が来たらそいつはカミーユを無視し隣のアムロだけを捕まえて攫っていく…。
何故か確信だった。
<…でも!>
カミーユは不愉快な思考を振り払うかのようにぶんぶんと頭を振った。
<でも、だからって今この手の中にあるものを…手放して…諦めていいってことじゃないだ
ろう!!? せっかく、せっかく俺は今ここに居るのに!>
唐突に、懐かしいロンド・ベル隊でのアムロの姿を思い出した。
シャイアン基地から救出した彼は、やつれて疲れ切っていたが優しい笑みを絶やさなかっ
た。初めて間近に見たときは、連邦の軍服を着て尚、軍人とは思えなかった。最初の数日こ
そとまどっていたものの、ブライト艦長やクワトロ大尉と見知った仲だということもあって
すぐにロンド・ベルに馴染んだ。一度馴染めば年若いパイロットたちが彼に懐くのも実にす
ばやかった。…懐かれやすい性質なのかもしれない。
カミーユも、その年若なメンバーの例に漏れずアムロに憧れるようになった。天の邪鬼な
性格が災いして反発した態度をとってしまうことばかりだったが、アムロはカミーユの反抗
なぞそよ風のように受け流し、逆に良く構ってくれた。
優しい人なんだ、とカミーユは嬉しかったのだ。
「アムロ…」
肩に寄りかかるふわふわの赤毛の頭をそうっと撫でる。まだ小さな彼。もう他人とは絶対
思えない、自分よりも細くて頼りないアムロ。
──この人にふりかかるすべての苦難から、守ってやりたい、のに。
「………」
さわさわと、遠くの梢が揺れる音。穏やかに絶え間なく続く水音。それから、風の音。
不意に自分の存在が希薄になった感じがした。代わりに、肩に触れた温かな気配がより強
くなる。アムロが無意識に広げる思惟の波にカミーユは浸った。
「アムロ…」
切なく呟いた。自覚していたよりもずっとずっと、深く強く自分はアムロを大切に思って
いることに気が付いてしまったのだった。
明けて翌日。
二人は昼前にはメキシコ・シティの郊外に徒歩でたどり着いていた。連邦の制服を着たま
まではさすがにまずいだろうとカミーユは自分の上着をアムロに着せてやる。随分ぶかぶか
だったが、適当に袖口を折ってどうにか調整した。
「最初に服を調達しなくっちゃな。とは言っても俺、金ないんだけど…」
「お金? …ああ。僕カード持ってるよ。ただこれ使うと確実に居場所ばれるけど」
「……カードはダメに決まってんだろ!?」
アムロが脱走した直後から(誘拐されたとの見方をしても)、地球各地の連邦基地に連絡
はいっている筈だ。アムロ・レイ中尉の口座からメキシコの銀行経由で現金が引き下ろされ
た、となればすぐにも近場の基地から軍警察が飛んで来るだろう。
「判ってるよ〜。でも、どうしても、って時は引き下ろしてすぐ逃げればいいじゃない」
カミーユに怒鳴られても尚、のんきな顔でアムロは提言した。なんというか、いつ捕まっ
ても全然怖くないといった様子丸出しだ。カミーユはつくづく呆れた。
そういえば、もともと「カミーユがジャブローを脱出するまでは」一緒に居る、と曖昧な
返事だった。アムロのことだから、いよいよ連邦にみつかりそうになったらきっとカミーユ
を逃がすためにわざと捕まるに違いない。
<…くっそーそんなこと、させるもんか!>
「カードがダメとなると…あっと…ちょっと待って」
束ねた荷物の中から自分の青い制服を引きずり出して、内ポケットやら胸ポケットやらを
探ったアムロは、やがて「あ」と叫んで目的のものを掴み出した。得意げにカミーユを振り
向いてみたりして。
「ハイ、現金」
カミーユは差し出された手と、その手が掴む紙幣とを交互に見た。うーん、我が儘言って
連れ出した挙げ句にお金まで相手の世話になるのか。カミーユはなんだか自分自身に幻滅し
てしまった。…だけどしょうがない、いつか(ロンド・ベルのアムロにでも)返そう。
「けど、服なんてひとそろい買ったらなくなるね」
「…古着屋とかあるだろ。上着だけ用意すればいいんだよ、ちょっと誤魔化すだけなんだか
らさ」
「あ、そっか…」
そうこうするうちに、だんだん通行人が増えていく。なんとはなしに街の中心部の方へと
歩いていく二人の少年を見とがめる者はとりあえず居なかった。
「カイさぁん、これ一体何撮ったんスか?」
馴染みの写真屋の奥で、若い男が素っ頓狂な声を上げている。ちょうどフィルムが一杯に
なったところだったので現像を頼んだのだが(ヤバイネタの場合は自分で現像することも多
いが、今回は暇つぶしみたいなものばかりだった)、なんか変なのを映したっけな?とカイ
は首を傾げた。
「なになに? 心霊写真でもできあがったか?」
店先の小さなテーブルで勝手知ったる風に煙草をくゆらす青年はカイだ。まだ少年とも言
える年若さで、しかしすっかり風貌は大人びていた。WBを降りて以来半年もの間、ずっと
カメラを片手に世界中を歩き回っている。写真はまだちっとも金にはならないが、日雇いの
仕事などで適当に食いつなぐ術は心得ていた。
「あー、それ近いっスよ」
「げっ嘘!」
男が奥の部屋から写真を持って出てくる。
「ほら。だってこれ」
男が数枚の写真をテーブルの上に載せた。青い空と雲と…何か、が映っていた。
「…な、なんだこれ…」
映っている、というのは間違いかもしれない。正確には「何もない空間」だった。不思議
なのは、何もなければ空や雲がそこにあるだろうに、それすらないのだ。ただぼんやりと白
く切り取られたその形は、確かに昨日カイが発見した機影を描いていた。だが。
「電波障害…か? いや…こんな風には絶対ならねえな…」
「ね、気味悪いっしょ?」
カイは、真剣な顔でしばらくそれらを睨んだ。3枚とも同じように白い闇が切り抜かれて
いて、まるでたちの悪い悪戯写真のようだ。
「…なんだか…妙に引き下がれない気分になってきやがったぜ…。あの機体、北東に飛んで
いったっけな…」
畜生、探し出してやる。カイが不敵に呟くのを店の男は「やれやれ」とため息だけで放っ
ておいた。こんなのは彼にとっていつものことだった。
「世話んなったな。じゃ、代金だ。またな」
「はあ、毎度」
気のない相づちで送り出された彼は、謎の写真をポケットに収め店を出た。そのまますぐ
にジャンク屋にでも行ってボロいバイクでも手に入れようと思っていたのだが、ふと街角に
見たくもなかった地球連邦軍の制服をみかけてにわかに眉をひそめた。
<ここいらにはしばらくみかけなかったんだがな…うざってえ…>
制服の男たちはとりたてて急いでいる様子ではなかったが、明らかに何かを探している風
に見えた。この街には慣れていないようで、ときおり怯え気味の通行人を捕まえてはなにや
ら尋ねている。こんな辺境までご苦労なことだ、とカイは鼻で笑った。
「ま、なんにせよ俺には関係ねえな」
連邦の男たちを避けるように裏路地を曲がって、ごたついた下町へ入る。がらくたの散ら
ばる通りを抜けてうさんくさそうな小さな店先に辿り着いたところで、突然思わぬ呼び声が
背中からかかった。
…忘れもしない、懐かしい仲間の声。
「…カイさん!!?」
振り向くと、半年前と変わらぬ姿のアムロがそこにいた。
To be contenued...
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