Air Pocket_9






                                          



 …予感が、したのだ。そのとき。
 もの凄くイヤな予感。当たって欲しくない、と世界の何処にもいない神様にそれでも懸命
に祈ってしまうような…。


 手を、離したくない、の、に、…


(───ッ…ミー…ユ…ッ!)


 突然の衝撃と、それから優しく切ない声が聞こえた。




<止めろッ! 攻撃するんじゃない!>
 隊長機の制止も間に合わず、旋回しながら戦局を窺っていたコア・ブースターの一機がZ
にミサイルを放った。彼はアムロが生身でMSの手に握られ見せつけられたこともTV局が
側にいることも判っていたが、カミーユの呼びかけ自体は聞いていなかった。なので、逆上
した未知のMSがてっきりアムロを殺そうとしているとばかり思いこんで後先考えずに攻撃
をかけたのだ。どうせ人質が助からないのならば、と覚悟を決めたのだった。
「うわぁッ!!」
「あァッ!」
 真後ろから攻撃を食らったZはつんのめるように前方に倒れ込んだ。しかも、緩めに握っ
ていたのが災いして、倒れた拍子にアムロの小さな身体は指の隙間から零れてしまった。し
かもZが体勢を直す間も与えず第二弾が飛来する。
「しっ信じらんないッ連邦のクソ野郎ッ! はじめっからアムロごと殺す気かよォッ!」
 カミーユは思わず吐き捨てるように叫んでいた。
「莫迦者めぇっ! 生放送だったらどう始末をつけるつもりだ!」
 舌打ちしながら隊長機が飛び出す。カミーユはぶるぶると頭を振って必死にZを起こした
が、続けてたたき込まれた攻撃に再び倒れ伏した。Zの掌と地面との落差は僅か1m足らず
で、そのままだったらアムロは自力で立てる筈だった。だが第二波のミサイルが飛来したと
き生身のアムロにはちょうど盾となる掌から転げ落ちたところだった。
 ぴん、と清冽な水のようにカミーユの意識に突き刺さる、細い思念の糸。
(カミー…ユ…)
 とっさに目を瞑ったカミーユの脳裏に、青い制服姿がよぎった。
 ──モニタは死んでいた。映像はカミーユの頭の中にだけ存在した。
「ア…ムロ…ッ」
 それは、爆風に吹き飛ばされるアムロだった。
 まるでスローモーションのように、鮮やかに美しい。
「…アムロォッ!!」
 たて続けに直撃を食らったZは黒煙を吹いて完全に沈黙した。コクピットが潰されないで
済んだのは奇跡だったが、中に居るカミーユもまた決して無傷ではいられなかった。
<敵MS沈黙!>
<よし! 中のヤツを取り押さえる! お前は人質の方を探せッ! その辺に居る筈だ!>
<ハッ>
 カミーユは、茫然とシートに埋もれた。衝撃で割れたパネルが降ってきて、パイロットス
ーツも着ていないままだったカミーユはあちこち傷だらけになっていた。痛みと、それから
焦りで息が荒い。
「く…っそ…ぉ…ッ…」
 Zはもはや動かない。アムロを助けられない。どうしていいか判らない危機的状態に、そ
れでも何故か自分の命が危ないとかはまったく意識にもなく、ただアムロのことだけを思っ
て叫んだ。
「アムローーーーッ!」


 その時。
 その場に居合わせた総ての者の目に説明し難い不可思議な現象が起こった。
 Zは、…いや、未知のMSは、一瞬だけ蒼い眩しい光に包まれたかと思うや、みるみる陽
炎のように消えて無くなってしまったのだった。
 見守っていた者たちは、言葉もなかった。青いMSが煙一筋も残さずその場から消滅して
いくその非現実的な様を、連邦軍の兵たちも、TV局のヘリに乗った男たちも黙って眺める
しかなかったのである…。




 追うべき対象を失った連邦軍は、やむを得ず、残った「人質」を回収した。
 爆発の余波を生身で食らって吹き飛んだアムロは、その後の捜索で茂みの中からやがて発
見され、そのまま基地付属の病院まで運ばれた。あちこち切り傷や打撲・火傷だらけだった
が幸い目立った致命傷はなく、ただ酷く頭を打ったようで長いこと目を覚まさなかった。
 連邦は、それを盾に、「意識不明の重体」として病院内の奥深くに封印し、アムロをマス
コミから遠ざけたのだった。
 一部始終を映していた筈のTV局のカメラには、Zの姿はほとんど残っていなかった。ほ
とんど、といったのは、何故か消える間際のつかの間だけ、Zはぼんやりとそのシルエット
を晒していたのだ。あまり画像解像度の良くないそれは、それでも連邦軍とコロニー公社と
の間で行われた「非常に高度な政治取引」により連邦軍の所持するものとなった。
 アムロのその後の処遇は、人質だったとして罪に問われることはなかったが、もっと自由
のないシャイアンに身柄を移されることが決まった。が、当の本人はシャイアンに護送され
る直前まで病院のベッドでずっと無意識の海の中だった。
(…カミーユ…君は…君の居るべきところに帰れたよね…大丈夫だよね…)
 キャリフォルニアベース内の連邦付属病院に入院中、意識のないアムロをたまたま見舞い
いに来た人物が居た。偶然のたまものといっていい。意識がないからこそ、面会が許された
のだ。元ホワイトベースの艦長・ブライトだった。
「…こんな風に再会するなんて思ってもみなかったが…とても元気そうだとは言えないが…
それでもお前に会えてよかったよ、アムロ」
 あんまり変わらないな、お前。と苦笑して、ふわりと頭を撫でる。
 指先が触れた瞬間、何故だかとてつもなく懐かしい遠い情景が見えた。たくさんの仲間た
ちと、アムロと、自分と。…まだ知らない誰かと。
「またいつか…今度はお前も元気なときに、逢えることを楽しみにしている」
(…そうだね…そのときは……も一緒に…ね…)
「ン? …何か言ったか? アムロ」
 眠ったままのアムロに何か語りかけられた気がしたが、「まさかな」とブライトはまた苦
笑をこぼした。

(僕も、きっと、いつか、居るべきところに戻れる気がするから…)
 アムロは無意識の海をひたすらに漂う。
(だから、そうしたらまた逢えるよね、…カミーユ)



 傷がいくらか癒えたころ、アムロはシャイアンに異動する。
 が、どうしたことか、謎の少年に「攫われた」辺りの記憶を、意識が戻ってからのアムロ
はすっかり失っていたのであった。よって結局、この事件はまったくの迷宮入りとなり、軍
によって封印、抹消されることとなる…。








 ピッ。ピッ。ピッ。
 軽い電子音が耳について、カミーユはぼんやり目を開けた。システムアウトの警告音みた
いだ、と思いながら起きあがろうと身体に力を込めた途端、全身に鋭い痛みが走った。
「…ッ…いっつぅ…」
 それでも必死で頭を巡らせて、そこがZのコクピットではないことにふと気が付く。そう
いえばさっき天井白かった。何処だ一体、と自由に動かせる視線だけでなんとか辺りを探ろ
うとする。腕とか肩とか足とか、とにかくどこもかしこもずきずき痛かった。
「あっカミーユ起きたのか!? よかったー」
 横たわるカミーユの視界に、意外な顔がひょっこりと覗いた。
「あんまし動かねー方がいいぜ。結構傷深いらしいから。だいじょぶか? しゃべれる?
なんかしてもらいたいこと、ある?」
 ジュドー。…だった。まさか、とカミーユは目を見開いた。
(そんな、…そんな莫迦な…本当に、全部、夢…だったのか?)
 さっきの、システムエラーアラートのような電子音はサイドテーブルに置いてあったタイ
マーらしかった。カミーユは泣き出したいくらい切なくなってきて、しばらく天井の白さだ
けをひたすらに睨み付けた。…そんな莫迦な!
「ここ、どこ?」
 カミーユはぶっきらぼうにそう尋ねた。ジュドーはきょとんとしてから「カミーユ、お前
マジ平気? 頭打った?」などと訊いてくる。カミーユは頭にきて痛みにも構わず「何処の
部屋って訊いてんだよ!」と怒鳴り返した。
「え? ああ、医務室だよ、医務室。ラー・カイラムの」
 ちっ、と酷く悔しげに舌打ちするカミーユを、なんだか不気味そうにジュドーが眺める。
「で、俺のZは?」
「Z? あーそうそう、Zはぐっちゃぐちゃ。アストナージさんが泣きながら今必死で修理
始めてるよ。おっと思い出した…」
 ジュドーは唐突にポケットから一枚の写真を取り出した。ぴらり、とカミーユの目の前に
それを突き出す。カミーユはもう一度まさか、と目を見開いた。
 ──あの、写真だった。カイさんが撮った不可思議な現象の。
 日付は80年8月。ぼんやりと白いシルエットが青空に映っている。…Zだ。
「お前の着てた上着のポケットにこれが入ってたからって、ファさんが。お前の服洗濯しよ
うと思ってみっけたんだとさ」
 ジュドーは、カミーユの胸の辺りにぺん、とそれを置いて「わりいちょっと待って」と席
を立った。ブリッジに連絡をつけるように頼まれたことを思い出したのだ。医務室の通信機
を使ってブリッジを呼び出す。
「…あっブライト艦長? カミーユ目ぇ覚めたぜ。ん、けっこう元気そう」
 ジュドーがしゃべるのもまるで聞こえない風に、カミーユは痛む腕を伸ばして胸の上に置
かれた写真をつまみあげた。まじまじと確認する。
 …確かに、あの時の写真だ。間違いない。
「アムロ大尉にも伝えてやってくれよ、すんげえ心配してたから…って、え? 今…? 繋
がってる? あっじゃあさ、だいじょぶそうって言ってやって…は? ウソ! 戻るって?
だって大尉、今戦闘中だろーーー?」
 アムロ、の名前にカミーユがはたと振り向く。通信機からは、聞こえにくいがブライトの
声が響いていた。
<…アムロのヤツ通信を切ったぞ。速攻でラー・カイラムに戻るそうだ。後でクワトロ大尉
に恨まれんようにな、ジュドー>
「んな殺生なーーッ! だってそんなん俺のせいじゃないぜ? そりゃカミーユが抜けて前
線きっついのは判ってっけど恨むならカミーユかアムロ大尉だろー??」
 カミーユは今まで前線を張っていたエースパイロットだ。彼の突然の欠場で他のメンバー
に負担が掛かっているだろうことは容易に想像がつく。それに加えていきなりアムロまで引
きさがったりしたらそりゃあクワトロが怒るのは判る気もするが。
「俺はアムロ大尉に頼まれてだだけだぜ? 目覚ましたら真っ先に連絡って…」
<いいから、お前はそこで待っていろ。長引くようならお前に代わりに出てもらう>
「出せるMS今ねえよ! ZZは調整中!」
<アムロのνを借りるか?>
「そんな怖いことぜってーやだ!」
 そこで通信を切ったジュドーは、カミーユが尚も必死で写真を手に持って眺めていること
に気が付いた。なんだろう、そんなに大切な写真なんだろうか?
「おーい、傷開くぜそんなことしてると。見たいんなら持ってやるよ、ほら」
「…あ、悪い…サンキュ…」
 カミーユの口から皮肉も何もなくあっさりと感謝の言葉が漏れたことに、ジュドーは意外
な顔で固まった。が、そんなことにも気付かず、まだも写真を見つめ続けるカミーユ。
(これが…ここにあるということは…夢じゃないって…夢じゃなかったって思っていいんだ
よな? 俺は…7年前のアムロに…アムロさんに逢ったんだよ…な…)
 涙が溢れそうになって、必死で堪えた。
 胸が熱くなった。夢じゃない。夢じゃなかったけど…。


 ──…ああ、俺、帰ってきちゃったんだ…!!








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