逢いたい




 今日は、いつにも増して圧迫感のある気配がMS(モビルスーツ)デッキに満ちていた。
(こんなのも判らないなんて、オールドタイプは、だから鈍くてうざい)
 ギュネイは軽く舌打ちをしながら、コクピットのハッチを開けてシートから立ち上がった。途端に舞い込む油臭い空気をやけ気味に吸い込む。普段ならこの匂いだってむしろ嗅ぎ慣れて好ましいくらいなのに、今日はその圧迫感のせいでべっとりとまとわりつくように思える。
 そんな空間の中でも、沢山のメカニックマンたちは右へ左へと無重力浮遊を繰り返しながらせわしなく働き続けていた。誰も何も気付かぬ風に、或いはもし気付いていたとしてもギュネイほどには鋭敏には感じず、いつもと同じように作業し続けていた。それが、ギュネイには気にくわなかった。
(うざったくてやってられねえ…)
 やっともらった専用機ヤクト・ドーガ。ナナイに命じられてデータの追加入力をしていたのだが、最低限の入力だけでひとまず切り上げることにしたのだ。本当は時間を作って頭部にちょこっとペイントでも施してやる計画だったのにとんだ誤算だ。
 やれやれ、とひとつ伸びをしてからギュネイはひらり、と勢いをつけてコクピットから出た。十数m下にある鋼鉄の床に靴裏の磁石をきっちりつけて。
(…つうか、欲求不満なんじゃねえの、あのヒト)
 そう。実は、この強い圧迫感を伴う気配の出所は始めから判っているのだ。
 ちらりと、斜め前方にそびえ立つ赤いMSに目を移し、ギュネイは知らずため息を零す。
「一応アレでもNT(ニュータイプ)ってことか」
 つい口に出して呟いてから、ほんの一拍ほど置いてギュネイはぎょっとたじろいだ。当の本人がいつの間にやらその赤いMSの、すぐ足下にまでやってきていたのである。
 目に見えない超感覚で他人を圧迫し得る人物、このネオジオンの総帥。シャアだ。
「どうかな、ナイチンゲールは」
「ハッ、今のところ初動には問題はありません」
 どうかな、じゃねえだろ。ギュネイは口の中でぼやく。
(とにかくそのうっとい気配、どーにかしろっつの。総帥のくせに)
 ところが内心のみでぼやきまくっていたギュネイに、シャアがちらと視線を合わせてきた。あっやべ、と思う間もなくシャアは手招きまでしてくる。
 総帥のお呼びでは、無視する訳にはいかない。仕方なく渋々、歩み寄った。
「…お疲れさまです、大佐」
 当たり障りのない台詞を選んでギュネイが頭を下げると、シャアは一見ご機嫌そうに笑んでみせた。
 ああ、目が…笑ってない…。
「ちょうどいいところに居たな、ギュネイ」
「何がちょうどいいですって?」
 シャアは、さも当たり前のようにすぐ傍らの赤いMSに向かって顎をしゃくってみせた。
「そろそろエンジンを暖めたい気分だ。慣らし飛行に出る。護衛につきあえ」
「えええ?」
 まだ無理です、と途端に近くで控えていたメカニックマンが叫ぶ。当たり前だ。やっとメインジェネレーターの調整が大詰めに入った状態の、標準武装も載せられない機体なのだ。かろうじて基本OSがインストールされている程度の。
 が、勿論一旦こうと決めたら絶対に後には引かないのが、シャアという男である。
「何もこれから戦闘に出る訳ではない。宙空間飛行で感覚を取り戻したいだけだ」
「し、しかし」
「さっき初動には問題が無い、と言っていたろう」
「いえ、ですが」
「せっかくロールアウト寸前の大事な機体を壊して帰ってきたりはせんよ。PC内でのデータではなく宇宙での実データを提供してやるから、黙って見逃したまえ」
 まるで子供のイタズラを見逃せと言わんばかりの軽い口調に、メカニックマンは呆れて物も言えない。ギュネイはそんなやりとりを間近で見守りながらやはり呆れて口も挟めなかった。代わりにこっそりため息をつきつつ、改めて問題のMSを見上げる。
 これほど目立つ色もあるまいというど派手な赤、しかもクソむかつくくらい鮮やかで上品?な光沢の真紅だ。
 戦場で映える赤。莫迦じゃねえのコイツ、超絶目立ちたがりめ。
(ていうか、ジェネレータの最終調整くらい済ませてから乗れよ。どうせちょっとくらいアンバランスでも乗りこなす自信があるんだろうけどさ、立ち上がりでコケたら笑ってやる)
「…私たちは、むしろ機体の問題ではなく総帥ご本人の心配をしているのですが」
「ああ、それも言われると思ったがな」
 別の整備士の言葉に、シャアは皮肉な笑いを浮かべた。
「私がいずれ戦場に出撃することになるのは、皆も承知の筈だ。慣らし飛行なぞそれに比べれば安全なものだよ。もっともどんな戦場でも生きて戻ってくるのが私の信条で、違えるつもりはないがね」
 技士たちは、それを聞いてようやく黙った。処置無し、と思ったに違いない。シャアは、そしてすかさずギュネイに視線を戻してきた。
「おまえのヤクトも実飛行で慣らすといい。追加プログラムをインストールしたのだろう?」




 総帥自らが、まだ未調整のナイチンゲールに試乗するため宇宙に出る、と聞いてデッキ内は一時騒然となった。当然のことながら成り行きを知らないナナイが艦橋からの通信で必死に止めたが、やはりシャアは聞く耳持たない。ギュネイはその通信を横目で眺めつつ苦笑いに口元をひきつらせていた。
 プレッシャーが、さっきより更に、酷い…。
(クソ、何で他の連中は平気なんだ。サイテーだぞ、これ)
「ギュネイは先に出て外で待っていろ」
「…は」
 つい、不審たっぷりの眼差しで見返してから、ギュネイはぎょっと立ちすくむ。シャアが、明らかに自分の視線に気が付いて微かな含み笑いを浮かべていたのだ。それも大人が、子供を見るような色で。
(…むかつく。ていうか、このプレッシャー、なんとかしろよ、超うざい…)
「ギュネイ」
「………はい」
 さすがに顔に出ちまったか、と己の不敬に肩を竦めかけたギュネイを、意外にもシャアは更なる笑みで応じた。
「この、私のプレッシャーを感じているのだろう? すまないな」
「へ」
 ギュネイが答える言葉を持てずに居る間に、シャアは自嘲気味に続ける。
「すまない、とは思うが正直これは私にも抑えられないのだよ。何故なら、この感情こそが、私を戦いに導くのだから」
 何言ってんだこのおっさん、と思いつつもギュネイはたた頷くしかできなかった。
 シャアのプレッシャーが傍に居るギュネイを圧迫する。攻撃的で好戦的な、それでいて優しさも苛立ちも混じった不可解な感情。説明し難い、焦燥感にも似た思い…。
「メカニックマンはカタパルトデッキより退避! ヤクト・ドーガ01、第一カタパルトへ!」
「デッキ内減圧開始まで一分! 急げ!」
 飛び交う大声と、急速に唸り出すモーター音。
「…俺、行きます、大佐」
 ギュネイはこれ以上意味不明なことを言われるよりは、とシャアに略式敬礼だけ済ませるとひらり、と宙に浮いて自分のヤクト・ドーガの方へ流れた。誰かがシャアに声を掛けるのが耳に入った。
「大佐! せめてノーマルスーツを!」
「…必要ない」
 ギュネイは、ヤクトのコクピットに収まり、深呼吸を何度も繰り返した。プレッシャーが痛い。そろそろ明確な言語になって聞こえてきても可笑しくない質感だ。
 …でも、何て言ってるんだろう…。
「デッキ内減圧開始! 80秒後にヤクト・ドーガ射出!」
 きっかり80秒後にギュネイは宇宙へと飛び出した。ヤクトの仕上がりは上々だ。知らず嬉しさにぺろりと唇の端を舐める。戦いを好んでいる訳ではないと自覚していても、このMSに乗っているときの高揚感、そして自分の強化された能力が面白いほどに開花していく躍動感は何にも代え難い快感だった。革命に参加している、という自負が更にそれを後押しした。
 でなければこのネオ・ジオン軍を選び、進んで実験体となった甲斐もないではないか。
(…ちっ…早いな)
 次いで、ナイチンゲールがカタパルトから発進した。未調整とは思えないほど鮮やかにまっすぐ、ギュネイの乗るヤクト・ドーガのすぐ傍まで飛来する。それと同時にさっきまで感じていた総帥のプレッシャーが明瞭な「形」となった。
「…うッ…!!」
 ぶるり、とひとつ頭を振る。酔狂な総帥の試乗、に付き合ってあわてて出たのでギュネイもノーマルスーツを着てはいなかった。当然ヘルメットもないので、いつもより開放感が増している。
<……い…たい…>
 とっさに、耳元に手を当てて掠めた言葉を捕らえようとした。けれど、掴みきれず言葉は霧散する。時を置かずシャアのナイチンゲールから通信が入った。
<一回りする、ついてこい>
「…了解」
 ギュネイはぶすっとした声のまま、返答する。シャアはそんなギュネイの声色に苦笑しつつも文句はつけなかった。ごっ、と両脚のスラスターを思う様ふかせて鮮やかな光跡を作る。
 全天球モニタに映る、初飛行のナイチンゲール。宇宙の暗闇に浮かぶ、不吉な小夜鳴き鳥。
(ナイチンゲールって…鳥の方は赤くは…ないよな…似合わない名前だと思ったけど…)
 死を招く鳥だというから、死に神到来とでも言いたいのだろうか。確かに悔しいほどに美しい機体だ。超重量級のくせに鳥みたいに軽やかに飛翔する。
 シャアはこの感情が自分を戦いに導く、と言った。何を寝ぼけたことを、とギュネイは瞬間思ったものだ。感情で戦争するだなんて部下に公言する総帥がいったいどこの世界に居る?
 いや、ここに居るだろうが、とひとりツッコミしつつ、更にため息。
 …大佐が、一年戦争のときにアムロ・レイと対決して目にかけていた女を殺された、という噂は聞いている。13年経った今でも大佐は未だにその女に執着していて、だからアムロを殺したいほど憎んでいるとも。
(殺したいほど…憎んでるのか、アレは。ホントに)
 いや、違う。何故かは知らないが直感で違うと分かる。そんな単純な憎しみでくくれるものなら彼はあんなにこだわったりしない。
 シャアは、時折会話の合間にアムロのことを言及するのだが、…およそ敵だと思っている風では、なかったのだ。
(むしろ…ララァって例の死んじまった女より…ずっと、執着してるくらいな…)
 旗艦からの通信で、あまり離れないようにと言われたがシャアは当然無視した。そうするだろうな、とギュネイも思っていたので驚かず、「自分が護衛についておりますので」と一応言い添えてやった。ヤクトには武装がある。
<大佐! あまりわがままを言われては困ります! 兵の志気にも…>
「ナイチンゲールの調子を整えるのが志気にかかわるのか? MSに乗っている間は口出しをしないという約束だぞ、ナナイ」
<ですが、この宙域はいつ連邦軍のパトロールが入ってくるかも判らないのですよ。まだ完成していない機体を無理に出して子供のようにはしゃぐのはおやめください>
「正直、待ちくたびれて辟易しているのだよ、私は」
<…大佐…>
 また、言葉が脳内を掠めた。ギュネイは思わずあらぬ方に視線を泳がせた。
「な…に…?」

<──逢いたい>

 その言葉は電撃のようにギュネイを貫いた。理屈でなく、判ってしまった。
 ああ、とギュネイは嘆息する。
(あんたが逢いたいのは、女の方じゃなくって…アムロか…)

 すとん、とギュネイの心の内で全てが納得できてしまった。そうか、総帥はアムロに逢いたいのだ。
 逢いたい、戦いたい、ありとあらゆる感情を彼に、ぶつけたい。焦がれるような熱情の全てを、彼に。
(それって、恋とかより凄くないか…)
 まだ見ぬ連邦軍のアムロとやらに、ギュネイは心底同情する。こんな、狼がキバをかちならしているみたいな、それでいて頬ずりせんばかりに好きで好きで堪らないみたいな無茶苦茶な感情を一身に受けるとは。男だったから良かったものの女だったらきっと世にも無体な…。
(や、待てよ男だって…いやいやいや…)
 不快なものを想像しそうになってギュネイは必死に振り払う。そんなことはともかく!
 ギュネイはナイチンゲールの動向に意識を戻した。軽やかにターンを繰り返し、どんどん旗艦から離れていく赤い機体をサーチして追っていく。頭の中では、もうすっかり言語化された例の「思念」が壊れたレコードみたいに何度も何度もリピートする。
 言葉にされるとそれはそれでうっとうしいけれど。デッキに居たときの不愉快さは薄らいだからまあマシとして。
<逢いたい>
 あんた、アムロに逢いたいから戦争すんだろ。ギュネイはぼそっと呟いた。そうして、本当に呆れ果ててしまった。
 もしかしたら総帥にとってネオ・ジオンとは体裁だけのシロモノで、本当は…。
(でも、俺は、あんたに従ってるつもりはないからいいんだ)
 不思議と、腹も立てずにギュネイはヤクトを駆っていた。
(今はあんたの部下でもいい。でも絶対このままでは終わらない。戦って強くなって、生き延びて、それで…)
 しかし、今はまだ明確な未来も描けず、いつか、いつかとだけ繰り返し。
 若者の無鉄砲さと一途さだけを武器にギュネイはMSに乗るのだ。




 シャアは、漆黒の闇の向こうに宿敵の気配を夢見る。
「アムロ…待っていろ。私のナイチンゲールはもうすぐ完成だ」
 うっとりと目を閉じれば、今でも鮮明に甦るアムロの姿。ジオン独立戦争のとき、グリプス戦役のとき。想像の中だけの、現在のアムロ…。彼を想うたび引き裂いて殺したくなるような、反対にとてつもなく愛おしいような、不可思議な気分に陥る。
 待ち望んでいた革命の日は、もうそこまで迫っている。




         2006/1/4