誕生日





                                              


 己が生まれ落ちた日付けなぞ、守護星座との関わり以外には何もないと思っていた。


「シャカ。おまえは誕生日いつなんだ? 知ってるか?」
 まだ夏の盛り、ちょうど獅子座のアイオリアの誕生日のとき。アイオロスが弟のために人馬宮でいつも
より大分ゴージャスな正餐を振る舞ってくれたその昼のことだった。
「守護星が乙女座だから、もうすぐだろう? 自分の生まれた日。判るか?」
「………」
 幼いシャカは返答に窮し、いつもながら無表情で黙りこくったまま臨時・育て親をみつめた。そばでは
一月違いの同い歳・アイオリアが興味津々と身を乗り出してくる。
「ていうか、まさか自分で覚えてる、とか言う?」
 シャカはアイオリアの問いにはふるふる、と軽く頭を振って否定の意をしめした。言葉には出さないが
実は兄のアイオロスも似たような疑問を抱いていたらしい。あからさまにほっとした表情。
「そーだよなあ、覚えてたらオカシイよなあ。オレだって覚えてないもん」
「シャカ? 知らなかったら知らないでいいんだぞ」
「……9月19日」
 シャカは前触れもなくぽつと言った。アイオロスがようやく笑みを浮かべる。
「そうか、よし、楽しみにしてろ。何かプレゼントに欲しいものがあったら受け付けるぞ」
「………」
 また返答に詰まるシャカ。隣りではアイオリアが自分の為に用意されたBDケーキ代わりの大きな焼き
菓子を幸せそうにぱくついている。
「ああ、ほら。シャカ。別に悩むことはない。まだあと一月も先だし」
 アイオロスが、あまり生真面目に彼が眉をひそめている様子に、さすがにたじろいで声をかけた。誕生
日に何か贈ろうといってこれほど深刻な顔をされるのはどうかと思う。
「…私の生まれた日に、何か意味があるのだろうか」
 シャカが、また前触れもなくぽつと言った。その言葉は残り二人にとってあまりに想像外の台詞で、だ
からとっさに二人とも「は?」としか言えなかった。シャカは、自分が吐いた言葉がどれほどの波紋を呼
び起こしたかには気づきもせず、もう一度、ゆっくり、同じ言葉を繰り返した。
 自分の生まれた日付に、何の意味があるのか、と。



 外はまだ夏の名残を残して眩しく暑い。
 シャカは四角く切り取られた窓の向こうの景色をぼんやりと閉じた目で確認した。あれからちょうど一
月が過ぎ、明日には「誕生日」がやってくる。
 アイオロスは、あの後神妙な顔で傍にやってきて、幼いシャカを抱き上げ、己の目の高さまで揃えてか
らこう言った。ちょっと切なそうに、けれどきっぱりと。
 ──もちろん、大切な意味がある。だがそれは他人の口から言っても意味がない。自らで見出してこそ
の価値だろう。これからあと一ヶ月、よく考えてみるんだ。
 そういわれては引き下がれるはずもなく、シャカはその日からことあるごとに瞑想に耽り、ただひたす
らにアイオロスの言った意味を読みとろうと苦心した。が、考えれば考えるほど、判らなかった。神仏に
問うても「人から答えだけ教わっては意味がないと言われなかったか」と返されるだけ。
 不思議だった。あの兄弟はいつも自分の知らなかった自分を目の前で開け放つ。
 意味ってなんだろう。生まれた日に、星座の持つ宿命以外の何があると。常に神仏と対話し、生と死の
概念を理解した筈のこの自分でも判らないとは。
「シャカ」
 ふと気が付くと、処女宮の中にアイオロスが入ってきていた。いつになく昏い面もちだったが、シャカ
の顔を見てかすかな笑顔をみせる。
「…元気そうだな。瞑想もいいが、おまえ、少しは下の訓練場にも降りていけ」
「それは、命令?」
「そうなる前に、自主的に行ってもらいたいものだ」
 では、とシャカは平然と返した。
「努力はしてみます」
 アイオロスは更に笑いを深めた。子供らしさのカケラもないその態度に、けれどようやくマトモに人と
の対話が為せるようになったと感心したのだろう。
「そうか、もう一年になるか。お前も、少しは会話できるようになったし」
 アイオロスは感慨深くシャカを見下ろしていたが、不意に手を伸ばしてシャカを抱きあげた。シャカが
戸惑いの表情でじっと養い親を窺う。
「アイオロス…??」
「ちっさいなあ…リアより小さい…こんなんで、もう宮の主とはな…」
 つい先日のことだ。とうとう女神が現世に降臨なされたとの報が聖域上を駆けめぐった。女神はその名
の通り乙女座の星の下に生まれたらしい。今アイオロスの腕の中に居る小さな聖闘士よりも20日近く早
い、その生誕。
 そして、その日の内に正式に十二宮の主たるべき黄金十二名が宮に居を移すよう触れが出た。まだ早い
とアイオロスは心中で呻いた。もう少し、もう少しだけ猶予が欲しかった。
「やっぱ、もう少し強引にメシ食わせないと、ダメだな。おまえ街の5歳児よりチビだぞ。そうだ、明日
お前の誕生日だから人馬宮に来い。とびっきりのメシを用意してやる」
「誕生日…」
 シャカの呟きに、アイオロスは「あ」と表情を改める。そういえば先月シャカには「宿題」を出したま
まだった。期限はちょうど明日だ。
「もしかして、まだ考えてるのか」
「…だ、だって、答えが出るまで考えろって、アイオロスが…」
 珍しいことにやや憤慨気味だ、照れ隠しとでもいうのだろうか。アイオロスは苦笑した。怒りであれ、
照れであれ、マトモな人間が持ってしかるべき感情が発露するのはいい傾向だ。一年前の、ビスクドール
みたいな生気の無さは、今は大分薄れている。もっと子供らしく笑って欲しいと思う。
「で、判ったのか」
「………」
 口に出さずとも、顔にありありと書いてあった。「悔しい、わからない」と。
「なあ、シャカ。おまえは神仏と対話し、生と死については悟っているつもりだろうが」
 アイオロスは、まじまじと幼いシャカをみやった。シャカは生真面目に改まった。
「お前に出した宿題…いや、発見すべき意味とはな…理論や理屈で導き出すことができる回答ではない。
いくら神仏と対話しようともそのままでは永久に見いだせまい」
 シャカがびっくりして目を開く。その久し振りに見た青さにアイオロスは笑ってみせた。
「残念ながらそれは生まれつき眠っているようなものではない、他人と接して経験値を重ねて初めて身に
付く「感情」だ。お前は万物の流転が手に取るように見えるせいで、肝心の、己の足下を見失っている」
「足下?」
「お前がいくらヒトとしての尋常を超えていようと、感情のすべてを一蹴することはできん。というより
本質を本当に見極めるのならば感情こそもっとも見失ってはいけない」
 アイオロスは、この一年養い子を間近に見て既にはっきりと気づいていた。シャカにいったい何が足り
ないのかを。
 いったいインドでどんな育ち方をすればこうなるのか、シャカは、人間らしい喜怒哀楽という感情を表
に出したことが一切ないのだ。例えそれらが胸に去来しても押し込めるか消滅させてしまう。
「…要するにだな…シャカ」
 こつり、と抱き上げたシャカの頭に己の頭を当てる。
「誰かが、例えば俺がお前を慈しんでいて、そしてお前が自分以外の誰かを愛する、ということがなによ
り重要なのだ」
 シャカは、ますます青い目を見開いてアイオロスを見つめた。彼なりにさわさわと心落ち着かないらし
く、何度か口を開きかけては噤む、を繰り返す。
「それが、こないだの「意味」とやらと、関係がある?」
「ほら、まだ判っていないな。それが理解できれば誕生日に意味がないなどとは言わなくなる」
 アイオロスはそう言うとすとん、とシャカを下ろしてやり、その金の頭をまぜかえした。
「まずは一日早いが、言わせてもらおう。シャカ。誕生日おめでとう。それから正式に乙女座の聖闘士と
しても、おめでとう」
 アイオロスはとてもとても嬉しそうに笑ってみせた。
「お前はアイオリアと同じ、俺の弟だ。血が繋がっていなくても、大切な俺の身内だ。お前がどう感じて
るかはさておいても、俺はお前が生まれてきたことに感謝したい。だから祝うんだ」
 シャカがまた驚いた顔をしている。ややおいて、すごく戸惑ったように手を伸ばすので、その小さな手
をアイオロスは握ってやった。
「あの、ええと…何と答えるべきか知らないのだけれど…」
「そういうときは「ありがとう」だ」
「あ…ありがとう…??」
 そうとも、シャカは感情が生まれつき無い訳ではない。出す術を知らないだけだ。
「そうだ、プレゼントは来年まで延期な。それまでに少しはマトモなリクエストをくれ。その代わり明日
リアを人馬宮に連れてくるのはシャカ、おまえの役目だ」
 約束だから、絶対に違えるなよ。アイオロスはそう念を押すとそのまま上に上がっていった。



 翌日、シャカは言われた通りまず獅子宮に寄ってアイオリアを呼び出した。開口一番彼は誕生日おめで
とうを3回も連発した。スゴイ勢いで言われたのでシャカはたじろいでこくこく頷くだけだった。
 人馬宮まで行く道すがらに、誕生日うんぬんの話をアイオリアに尋ねられ、シャカはその度に返答に困
って立ち止まった。生まれた日を祝う、という慣習が大抵の国であるらしい。
「インドでは、ないのか?」
「…たとえ祝うにせよ、私には身内と呼べる人間はいない」
「そっか。誰も居なかったんじゃしょうがないよな。でも今度っからオレと兄さんとでいっぱい祝ってや
るって。安心しろよ」
 その言葉がずきん、と痛みのように胸を刺す。辛くない、けれど切ない痛みなんてあるのだろうか。
「ごめん。お前になんかプレゼント探したんだけど、結局何も思いつかなかった」
「何故…謝る」
「だって、やっぱあげたかったし、もらってほしかったからさ」
 シャカはまた、どきり、と胸が痛むのを感じた。訳がわからない。…痛みというより、鋭い感情…。
「…私だって先月キミに何も渡していない」
「そういやそうだな。…じゃ来年期待する」
 だからどうして、と詰問したいところをシャカはぐっと堪えた。それよりも、この感情の方がよほど問
題だった。自分で自分が何をどう感じているか、判らないだなんて。
「だからお前の分も来年に繰り越しな。二年分まとめてってことで」
「アイオロスにも、来年まで繰り越すと言われた」
 シャカは歩きながら独り言みたいに言った。いや、アイオリアが聞いていることはもう考えていなかっ
たかもしれない。が、アイオリアが追いすがってきて、シャカは振り向いた。
「兄さんが来年までって、何の話?」
「…プレゼント」
「なんだもらえないのか!! 兄さん金ないんじゃないのか!?」
 そのあとアイオリアがひとしきり笑い転げているのをなんとなく悔しい気分で見守る。まったく、この
獅子と居ると頭の中がいつも忙しい…。
 ──感情のすべてを一蹴することはできん。本質を本当に見極めるのならば感情こそもっとも見失って
 はいけないのだ。
「…ああ」
 シャカは唐突に何かひとつ気が付いたように、声をあげた。こんがらかっていた頭の中のジグゾーパズ
ルのピースがひとつ、はまった気がした。
「なんだよいきなり声あげて。不気味だなあ」
「いいのだ。近づいたのだから」
 今の気持ちは、さっきのアイオリアの言葉のときよりはよほど良く判った。そして、それを感じること
が決して「無駄」ではないということも、なんとなく理解できたのだ。
 そう思うと、生まれた日を誰かに祝ってもらうのもなんだか悪くない気がしてきた。特にこの兄弟の心
に止めておいてもらえるのは、嬉しい。うん。
「へんなヤツ」
「放っておきたまえ」
 アイオリアが、いつものごとくぼそっと言った言葉に、シャカはすかさず返答してやった。珍しく勢い
よく言い返されてアイオリアは意外な表情になる。
「シャカ?」
 シャカは笑っていた。少し得意げに、そして嬉しそうに。
 まだこれから射手座の誕生日が残っている。そうしたら、今度は自分がおめでとうと言ってやるのだ、
と小さな胸に決意して。



  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †




 その日、ささやかに誕生日を祝ってもらったシャカは、しかし言いしれぬ不安を抱いて帰り際にひっそ
りと人馬宮を振り仰いだ。せっかちなアイオリアはもう姿が見えないほど先に行っていて、シャカの挙動
には気が付かなかった。
 なんだろう。初めてアイオロスと逢ったときの、厭な幻覚が目の前をちらつく。
(忘れて…いた…)
 血の色が視界を染める。シャカは吐きそうな気分でその場にうずくまった。
(あれは…どんな意味だったか…)
 だが、必死で呼び起こそうとしてもまったく形を成さない。所詮自分の目は鏡、もしくは映写機として
の役割しか果たさず、予言者でもないのに他人の運命を容易く覗くことはできないのだった。
 要するに細部は当人だけが見ている。アイオロス本人に訊けば…判る。
「…アイオロス…」
 だが、シャカでさえ思い出すだに不快な幻覚を、まして(無意識とはいえ)見せてしまった当人にどん
なものだったか今さら聞くのもためらわれる。…それに、そんなイヤな想い出をほじくりかえして、彼に
きらわれたくなかった。
 シャカは、雑念を振り払った。触れてはならない禁忌なのだと言い聞かせて。




 だがその後、僅か数日でシャカはこの時の自分の判断を生まれて初めて「後悔」することになる。
 何故なら射手座は、信じられない理由で永久に失われてしまい、彼に贈る筈だった言葉も、約束も、な
にもかもが闇へと葬られてしまったので。