任務遂行



                                             



 …ごり、と固い地面が後頭部にあたる。絹糸みたいなさらさらの白金髪が無造作に散っている。
それから夥しいほどの血だまりと。
(有り得ぬ)
 シャカはほとんど唖然としながら己の血にまみれつつ黒土の上に横たわっていた。
(つまらぬ任務と思い侮っていたせいか…この私としたことが…)
 教皇から承った勅令は、黄金聖闘士たるシャカにとっては実に容易い任務だった。少なくとも実
行レベルでは。ただ、ひどく後味が悪い仕事なだけだった。
 南米のジャングルに潜むとあるテロ組織の徹底的壊滅。聖域がその組織と、それに対立する別の
組織との間でどのような裏取引があったかはシャカの興味の範囲ではなかった。勅命が下ったので
やむなく出かけたまでだ。関わりある者は女子供問わず殺せとの「注文」もついていて、獅子座が
請け負っていたら面倒なコトになったかも知れぬ、と、まずそんなことを思った。
 アイオリアが抵抗もできない女や子供を誅殺できるとはとても思えない。いや、できないだけな
らいい、問題はそれを表立って教皇に抗議しかねないところなのだ。
「…ッ…」
 シャカとて殺戮を好む訳ではない。今回の勅命は本当に不愉快だった。教皇直々の命なのでやむ
をえず聖域を出たが、もし許されるならこんな任務は白銀あたりに丸投げしてやりたいくらいだっ
たのだ。本当に丸投げしなかったのは理性が勝ったとかそんな訳ではなく、ただ女神と、それから
教皇への敬意だけだった。
 幼い子供の泣き声がする。シャカは重たい頭をようよう持ち上げ、子供の位置を確認する。まだ
おくるみにくるまれた自分で立つことも叶わない赤ん坊。いくら任務であろうと、無垢な赤子を巻
き添えにするのは愚かだ。それはシャカにとってはすなわち己の無力を意味する。
(殺さずとも良い者にまで手をかけるほど…私は弱くはない)
 例えば、蟹座などは躊躇わずに殺すのだろう。生き延びたとてどうせ獣の餌になるだけだと。そ
れならばいっそ苦しまずに殺してやれ、と。
(それもまた、慈悲…か?)
 いや違う。それは乙女座の慈悲ではない。少なくとも彼の正義の範疇ではない。正義というもの
がどれほど形のない頼りないものだと判っていても、ボーダーを見誤ってはならない。基準はある
筈だ。
 殺戮に心は要らないと笑ってみせた蟹座や魚座。彼等を哀れに思ったことはあっても、嫌悪した
ことなど無い。何故なら、彼等の任務はすなわち教皇の意志だから。
 ───そう、問題は教皇の意志だ。シャカはふと思う。
(最近…特になりふり構わなくなってきたな…)
 ここ数年、勅命が多くなってきた。しかもどれも血なまぐさい任務ばかりだった。それだけ裏取
引が多いということだ。教皇を正義と信じているシャカにとっても、今日のように眉をひそめてし
まう厭な任務が続くとさすがに鬱陶しくなってくる。
 蟹座や魚座、それから山羊座は任務に忠実のようだ。実際の仕事ぶりがどうだかは知らないし興
味も無いが、一度だけ(無理矢理)蟹座と同行させられた時の彼のためらいの無さは、いっそ感服
するほどだった。
 いっそ一度わざと失敗してみせればどうだろう、と考えたこともある。が、黄金に任務失敗は許
されることではない。デスマスクやアフロディーテに笑われるのは勘弁願いたいし、どの道自分が
しくじれば別の誰かが派遣されるだけだというのも判っていたので、やめておいた。
 ぐったりと血にまみれたまま、シャカは赤子をみやった。
 あの子供をこことは関わりのない安全な場所へ隠すのが何よりも急務だ。こんな傷に伏している
場合ではない。皆殺しの命を受けているのにあえて見逃した者がいると聖域に知れたら、それこそ
任務失敗とみなされる。…このシャカに失敗は有り得ない。
 シャカは、目を開けた。残る力をすべて振り絞って立ち上がる。小さな命を抱き上げ、その子の
身体にキズひとつついていないことにほっと息をついた。
 赤子が不意に泣きやんだ。シャカの柔らかな小宇宙が自分を庇護してくれているのを本能で感じ
取ったのだろう。同じ小宇宙が、実は己の母親の命をあっけなく絶ったことも知らず、安心しきっ
て無邪気な笑みを見せた。



 一方聖域では。
「…なあアイオリア。シャカ居ないのか?」
 蠍座のミロが、獅子宮まで降りてくるなり開口一番がこれだった。
「シャカなら出かけた。勅命だ」
「勅命? シャカに? またか?」
 本当に残念そうに言うので、アイオリアは少し苦笑する。
「細かいことは聞かなかったがすぐ戻ると言っていた。…なんだ、アイツに用があったのか」
 ミロは呆れた風に肩を竦めてみせた。
「別に、ヒマだから顔でも拝んでやろうと思っただけさ。同じ十二宮内に居る筈のくせして、こち
らから探してやらんと生きてるかどうかもアヤシイヤツだから」
 そう言って、ふとアイオリアの顔をまじまじ見やる。
「…シャカに勅命なぞ…そんなに外は事件が多いのか」
「さてな」
 アイオリアは苦笑を深める。実際、黄金を任務につかわずなど本来なら数年に一度あるかないか
だろうに、最近は下手をすると月に二度・三度もあるらしい。隣人である乙女座から聞くところに
よれば、だいたいは蟹座と山羊座に任務が集中していて、そのフォローに魚座と彼(乙女座)があ
たるようだ。アイオリアが、俺はちっとも呼ばれんぞ、とやや憤慨ぎみに言ったら乙女座はため息
まじりに、呼ばれぬ方がラクでいいではないか、と答えたのを覚えている。
 その笑いが酷く暗かったので、さすがのアイオリアも不審に思ったのだが。
「シャカは頻度が高いらしい、ご苦労なことだ。代わってやれるものならそうしてやりたいくらい
だが、なにしろ教皇直々の名指しだからな」
「どんな勅命が下っているのか知らんが、特定の黄金をひいきとは教皇もお人が悪い。俺など過去
に2度しか勅を受けたことはないぞ。大した任務ではなかったしな」
 アイオリアは苦笑した。ということはミロも自分と同じ「お呼びでない」組か。
「お前はどうなんだ、アイオリア。シャカが良くお前が居ないとぼやいているのを聞くが、頻繁に
任務を受けているのか?」
「…いや、俺のは教皇宮からの「要請」ばかりだ。要するにぼんくら神官どもの雑用係さ」
 ミロはからからと笑った。
「それこそ黄金を呼び出す用か? いいように使われてるな」
「笑うな、俺は神官どもに信用が無い。なんでもいいからとりあえず仕事をおしつけて動向を窺っ
ていたいのだろうが…」
 アイオリアの苦り切った顔に、ミロはあわてて「すまん」と言い添えた。彼が神官に信用が無い
と言い切ったのは、12年も前からの「事件」のせいだと気付いたからだ。
 ミロ自身でさえ事件当初はアイオリアを故意に避けた。会ってもかける言葉がなかったし、彼を
信じると言ってやれるだけの根拠が幼い自分にはまだ無かったのである。
 もちろん、今はアイオリアを信じてやれる。やっている、と思う。本当は射手座の造反さえもし
かして冤罪なんじゃないかとさえ思っているが、それを今この聖域で口に出すほど命知らずではな
い。…射手座が裏切ったと断言したのは現教皇なのだから。
「まあいいさ。くだらん仕事とはいえ必要なことには変わりない。そうだ、明日からお呼びがかか
っているから、ミロ、お前も来るか?」
「何の仕事だ?」
「半年に一度の書庫の整理だそうだ。丸一週間くらいかけて本棚を洗いざらい…」
「断る」
 ミロは最速で答えた。ホントにろくな仕事ではない。
「なんだ、友達甲斐のない。ヒマだと言ったろう」
「いくらヒマでもそんな雑用、冗談じゃないぞ」
「そうか? シャカの顔を拝みに降りてきたくらいだからよっぽどもてあましているのだろう?
言っておくが明日から俺は一週間通い詰めだし、シャカもすぐ帰るとは言ったが日にちを特定して
ゆかなかったからな、下手をすれば半月は帰ってこないぞ」
「うっ…」
 ミロは大急ぎで残りのメンバーを頭の中に並べだした。カミュはもちろんシベリア。アルデバラ
ンはブラジルから随分戻ってきてない。蟹は論外だし山羊も好かない。アフロディーテは遊びに行
ってやっても薔薇の世話の手伝いをさせられるばかりで大して面白くない。(これが書庫の掃除と
どっちがマシか考えるところだ)
「ううう…」
 アイオリアは、どうやら本気で悩みだしたらしい同僚に笑い出した。ミロはがしがし金髪をまぜ
かえしていたがとうとう悩むことを放棄したらしい。ばさっ、と手に提げていた袋をアイオリアに
差し出した。
「…とにかく今日だ! 今日は居るんだろう。茶でもつきあえ!」
「わかったわかった」
「そういう訳で茶受けの菓子だ! アテネで仕入れてきたぞ!」
 ほら、シャカの分もとっといてやろう、と言ってミロが出したのはいたってシンプルな焼き菓子
の山だ。アイオリアはまじまじと同僚をみやった。思い出す限りでこの蠍座は人を雑談に誘うとき
茶受けの菓子を持ち込まなかった日は無い。
「…おまえ、…好きだなあ…甘いもの…」
「いいだろ別に。誰もいない聖域なんて味ッ気なくてやってられん」
 そんなもんかと獅子座が呟けば蠍座はそんなもんだと胸を張って答えた。




 シャカは、聖域の外れまで戻ってきていた。
 子供は現場から数百キロも離れたとある田舎町に置いてきた。わりとマシそうな孤児院があった
のでその入り口に捨ててきた、と言うべきか。急いでいたので赤ん坊のおくるみは母親の血と、そ
れからシャカの血とでべったりと濡れてしまったままだった。替えの布がなかったし、まさかどこ
かから盗む訳にもいかなかったのだ。
 ろくな手当もしないで瞬間移動を繰り返したせいで、全身に受けた無数の傷からいっそう酷く血
が流れ出す。流れる血の熱さとは逆に、身体が異様に冷えていくのを感じる。マズイな、とは気が
ついていた。けれどそれでも立ち止まって休むつもりはなかった。
「っ…」
 みっともなくもつまづいて、どさりと前のめりに倒れる。もうあと数キロで聖域の入り口だった
が、こんな姿を雑兵どもに見られるのはゴメンだ。さてどうするか…。
「───みっともねえなあ…」
 倒れ伏したシャカの肩がびく、と震えた。聞き覚えのある声だった。顔を向ける余裕もなく、た
だぼんやりと罵倒に甘んじた。
「コレが最も神に近い男かよ。何やらかしてこんなんなるんだ、お前が」
「デスマスク…」
 すい、と手が伸びてシャカは抱き起こされた。その行為にまず驚いて真っ青な瞳をひたと相手に
向ける。精悍なイタリア男が苦笑いを浮かべていた。
「だから言ったろ、躊躇わずに殺れってな。何を庇った? 仕事は済んだのか?」
「…キミに忠告されるいわれは…無い」
 かわいくねえな、とデスマスクは舌打ちした。
「捨てて帰るぞ、…と言いたいとこだがこんな様見られちゃ俺らも迷惑なんだよ」
 何か言い返そうとしたシャカは、しかし猛烈な痛みで開きかけた口を閉ざす。必死で苦鳴さえ漏
らすまいと耐える乙女座がちょっと気の毒で、デスマスクは抱えた細い身体を持ち直した。
「聖衣、邪魔だな…外すぞ、おい、マッパってこたねえよな」
 シャカは口をきくのを諦めた代わりに小宇宙で心話を使うことにした。
<莫迦をいいたまえ、裸で纏う訳がなかろう>
「そんだけ口答えができりゃ死なねえな」
 ふわ、と黄金色のオーラを掌に溜めてデスマスクは乙女座の聖衣を外した。聖衣は祈る乙女の姿
となってから光と化して十二宮へ一足先に跳んで行く。
「…わりいな…」
 その光を見送った後、デスマスクがシャカを改めて抱き上げながら不意に言った。意外に過ぎる
蟹座の言葉にシャカはもう一度真っ青な瞳でひたと見返した。
「この任務、ホントはアイツの、…アフロディーテの分だったんだよな。けどアイツここんとこ、
ちょっと体調悪くて…やらしたくなかった」
 体調が悪いというが、多分風邪とか、そういうのではないだろう…多分。
「俺が教皇に言ったんだ。シャカに振り替えてくれって。お前ならそつなくこなすって」
 デスマスクは更に苦笑してみせた。
「おまえにも、限界ラインがあったんだな…悪かった」
 シャカは、いつになくしおらしく言う蟹座に自分でも驚くような感情が湧きだしているのを感じ
ていた。…同情? いや、違う。共感? いや、そうではなく…。
<──謝る必要はない。私は私の望むように…しただけだ…>



 鋭い黄金の閃光が、天空からまっすぐに処女宮を射抜く。
「…シャカ!!??」
 隣の獅子宮でのんびりクッキーを貪っていた獅子座と蠍座は顔色を変えて立ち上がった。処女宮
に戻ってきたのは乙女座の聖衣だ。間違いない。だが肝心の中味が、本人が居ない!
「ま、まさかシャカに限って何かあったとは…!!」
 聖衣には意志、というかいわば「帰巣本能」のようなものがある。主が呼べばそれに応えて跳ぶ
し(主の念動力で引き寄せる場合も多い)、用が済めば元の場所に戻る。黄金シリーズは特にそれ
が強く、主が特に強く望まなくても主の身体を離れた後は勝手に十二宮に戻ってきたりする。
 が、聖衣が十二宮に戻ってくる理由がもうひとつある。…主が死んだときだ。
「と、とにかく行ってみよう!」
 まさしく光速とも言える勢いで黄金二人は宮ひとつ分の階段を駆け上がった。処女宮の回廊にか
けこむと、いつもシャカが座る蓮型の台座のすぐ傍に、乙女座の聖衣がパンドラボックスから出た
ままの状態で祈る乙女の姿を成していた。
 …その聖衣は見るも無惨な血塗れで。
「…ッ!!」
「シャカ!!? ウソだろう!?」
 悲鳴のように叫び、聖衣にとりすがるアイオリア。ミロも茫然とその場に立ちつくす。
「…シャカ…そんな莫迦な…」
 だが、さすがにミロの方が「そんな莫迦な」な気分がより冷静だった。小宇宙をこらしてよくよ
く気配を辿れば、シャカ当人の小宇宙は聖域のすぐ近くまで戻ってきている。もうひとりは不思議
なことに蟹座だった。…多分。
(なんで一緒にいるんだ? いつのまに…)
「おい、アイオリア。シャカ、戻ってきてるぞ」
「え?」
「聖域の近くでアイツの小宇宙を感じる。…この血…返り血か? うう…判らん…怪我は…してい
るのかも…」
 アイオリアも言われてあわてて気配を探る。なるほど当人の小宇宙は健在だった。…いや、健在
とは言い難い。随分弱っている。それでもまさか死んだのかと誤解した直後だったからつい大きな
ため息をついてしまった。
「アイツが傷を負うとはよっぽどだ…というか初めてだ…迎えにいってやらんと!!」
 アイオリアが真剣な口調でそれだけ呟くと、またもや矢のように処女宮を飛び出す。それを見て
ミロもまたその後を必死に追った。
「待て待て! 俺も行く! 待てったら!」



 風が冷たかった。
 ついさきほどまで密林に居たせいか、それとも出血のせいで体温が下がっているのか。シャカは
「寒い」と文句をつけた。痛いと言うのは無駄だったからせめても抵抗だ。
 シャカは、聖衣の下はいつもの薄衣一枚だった。全身に酷い裂傷が走っているのが一目瞭然で、
デスマスクは唖然としながらも、すかさず言い返した。手当は帰ってからだ。
「じきに聖域だから辛抱しとけ。つうかお前血でべとべとだぜ? も少しどうにかしてから帰って
こいよ。河で血糊を流してからとか」
<そんな余裕があったらキミにこんな醜態を晒さぬ。どうせその上着も血にまみれたろう、だった
ら私によこしたまえ>
 デスマスクはあくまでも強気なシャカの言動に舌を巻いた。当たり前だがシャカを抱き起こした
時からデスマスクの服もべっとり血だらけだった。軽くため息。
「フツー汚してすまん、くらい言ってもいいと思うがな」
<起こしてくれと頼んだ覚えはない>
「へえへえ、そうですか」
 鼻であしらいながら、デスマスクは一旦シャカを下ろして上着を脱ぎ、それをシャカに被せてか
らもう一度抱き上げた。世間話でもするような調子で、ふともう一度尋ねてみる。
「…んで、誰か庇ったからこうなったのか? お前のこったから自分の技、自分でくらったとか、
どうせそんなんだろ?」
 シャカは沈黙したままだ。それは即ち肯定を意味する。蟹座は、ふん、と鼻を鳴らした。
「任務が遂行できてりゃ余計なことは言わない。俺も、教皇もだ」
<…確かに、少し躊躇いがあったのは否めぬ…>
「へえ?」
<任務は完了した。殲滅せよと命じられた地域は残らず血と泥濘の下だ。後でどのような調査隊が
入ろうとも、組織だった介入は特定できぬ。私の姿を見た者は例外なく死の国へ行った>
「ならいい。…忘れろ」
 シャカは目を閉じた。慰められるような言葉をかけられるのは不本意だが、今はそれも許そう。
<…デスマスク>
「んん?」
<アイオリアには、余計なことを言うな>
 蟹座の目が大きく見開かれた。やや置いて爆笑。
<…ッ…何故笑う?>
「いや、お前にも弱味があるんだな、と思ってよ! あの甘ちゃん獅子か!」
<キミにアイオリアを罵倒する権利はない>
 シャカの気配がにわかに鋭いものへと変質していくので、デスマスクはやむをえず口調を和らげ
た。こんな時に怒らせるつもりはない。
「…いや、まあ。ある意味羨ましいヤツだと思ってよ。あんだけ裏切りだの嫉みだののまっただ中
で、今でも正義やら信念やらぶちかませるんだぜ」
 正直、その真っ直ぐさが蟹座は好きではなかった。アイオリアはとにかく頭が固く、どんなもの
にも白黒はっきりつけないと気が済まない性質で、世の中の全てがそういう線引きをできる訳では
ない、と経験で知っている年中組にしてみれば鬱陶しい星座なのだ。
 が、それを変わらず居て欲しいと願う、乙女座のような者も居る。羨ましいと思う。
<アイオリアはあれで良いのだ>
「のろけかよ、…ったく」
 のろけ? とシャカが不思議そうに返す。無自覚とはね、とデスマスクは更に呆れかえった。



「シャカ!」
 金牛宮と双児宮の間くらいで、アイオリアとミロはシャカを抱えて上がってくるデスマスク、と
いう大変珍しい光景を発見した。まずアイオリアが駆け寄る。
「どっどうしたんだこの…怪我…ッ…」
「うっわ…」
 ミロもあっけにとられつつ近寄ってくる。シャカは眉間に思い切り皺寄せていた。意識が無い方
がいっそマシというものだ。いいさらし者である。自業自得なのだから下手に口も出せない。
「任務の最中に猫だか犬だか避けたんだろ、自分で自分の技くらってりゃ世話ないぜ」
 なあシャカ、とデスマスクが揶揄すればシャカもじろりと目を開けて睨んで。
<黙れ、蟹>
 デスマスクは、「ほらよっ」とシャカをモノのように獅子に受け渡した。獅子が出てきたならば
もう自分の出番ではない。せいぜい仲良しこよしでやってくれ。
「わっお前血だらけだぞ! 血、血、止めないと! 自分で止められないのか!?」
「その上着、後でもっといいヤツ買って返せよな、シャカ」
 蟹座はにやと笑ってそう付け足す。シャカは更にふてくされた。
<蟹に似合う服なぞ、知らぬ。自分で選びたまえ>
「おお、じゃあ請求書を回す」
 アイオリアが「いいから手当てだ!」と怒り出すので、舌戦は中断した。どたばたとアイオリア
が隣人を運び去っていく様を、返り血だらけの猟奇的な有様でデスマスクは見守る。
 ミロがそれをちろりとみやって。
「…めっずらしい…探しに行ってやったのか?」
 でなきゃこんなタイミングでシャカのこと、見つけられないよな。ミロはちょっと挑戦的に呟い
てやる。蟹座は胸ポケットからつぶれかけた煙草の箱を取り出し、一本口にくわえた。
「身代わりにさしちまったからな、ちっと胸の悪くなるような任務を」
 そう言ってライターの火をつけ、ぷかりと一服。
「…最近、ずっとそうなのか? 任務って」
「なんなら今度、代わるか? 蠍」
 明らかに卑下するような響きがあったので、ミロはむっと言い返す。
「教皇からの勅ならばいくらでも」
 が、デスマスクは至って穏やかな面もちだった。ふう、と紫煙を吐き出して。
「…まあそうだな。そのうちな」
 いい加減「時期」だろうけどなあ、とデスマスクは口の中でだけそうぼやいて、それからミロ
をその場に置き去りにするようにのんびりと、階段を上り始めていた。



「…いったいどうして、お前ほどの男が…」
 アイオリアがわたわたと狼狽えている。それこそ獅子ともあろう者が初めて血を見て卒倒しか
けた少女のように見るも哀れなほど青くなって。
「何でもない、任務は完了した。少し休んだら教皇に完了の報告に行く」
「行かんでいい! 俺が代わりに行ってやる! 寝ていろ!」
「私に恥をかかすつもりか。私の請け負った任務だ。私が行く」
「…そうはいうが…」
 アイオリアは途端に口ごもった。それを閉じた目でみやって、シャカはためいき。
 聖域は鬱屈している。それが痛いほど判る。任務がどんどん殺伐としていくのもその兆候のひ
とつだ。目を閉じると、あの赤子の母親が悲痛な顔で迫ってくるのが脳裏にちらついた。罪悪感
とは違う、ただひたすらに哀れと思う心がシャカをいつになく呵んだ。
 …そうか、これが感傷、か。
 正義がどこにあるかなど、シャカは知らない。ただ生きとし生けるものはひとしく死を背負っ
ている。違いはそれがいつどのように訪れるか、だけだ。だから、その死を与えるのが自分であ
るとしても、自分の業となることを承知で恐れはしなかった。人が人を裁くのは傲慢だ、けれど
己が仕えているのは神なのだから。
 その神に、シャカは今日多分初めて意図的に逆らった。殺せと言われたのに殺さなかった。そ
れもまた業だろう。だが、それも畏れは無い。
 すべてはなるようにしかならず、どれほど神に近いと言われようと所詮は人の器である自分に
大した選択肢は残されていない。ただ悟るのみ…だ。
「…シャカ。痛むのか?」
 じっと険しい顔で目を閉じるシャカの額に、アイオリアがそっと指をのせてきた。
「いや…大したことはない…収まってきた」
 実際、強力な痛み止めの薬が少しずつ効き始めている。
「そうか、ならいいんだが…」
 よしよし、と幼子のように頬や顔を撫でられ、シャカはぼんやりとまどろんだ。今はもう考え
るまい。自分はここで女神の聖闘士として、そして彼の「仲間」として存在する。
 …それだけで、いい。
「…リア。スープが飲みたい」
 シャカが唐突に呟いた言葉に、獅子があっけにとられる。
「おまえ、そんなんでモノ食えるのか?」
「飲みたい。早く用意したまえ」



 わかったわかった、と、呆れた風に、それでもちょっと嬉しそうに去るアイオリアの後ろ姿を
ちらり確認して、シャカはもう一度深いため息をついた。













このお題は「血塗れシャカ」と決めていた。血塗れ、萌え〜〜。悪い病気がッ…      
フツーこの手のキャラはアフロとかミロとかそれこそアイオリアでやれって感じか? …ま、
そこをあえてシャカに置いてみたらこんなんに…デスマスクは俺が好きだからかっちょいい。