お隣りさん



                                             



 十二宮というのは、とにかく長い。
 広いというよりは長いのだ。聖域そのものがまずかなりの面積を誇るのだが、十二宮には
神聖なる女神の宮を護るため、宮と宮の間には万里の長城のごとき…とは言わないまでも、
なかなかに長い石段が伸びている。これらを飛び越えて一気に女神神殿まではゆけない仕組
みなのだ。
 これをさくさく行き来できるのは鍛え上げられた聖闘士だからこそだ。雑兵程度ではたと
え宮の守護者が快く通してくれても結構な時間と労力を必要とする。故に、聖域の最奥であ
る教皇の間、女神の間の従者たちは全員住み込みになっている。頻繁に石段を行き来しなく
ても済むようにという配慮である。
 もっとも聖闘士たちとて、そのうんざりするような石段をせっせと登ったり降りたりする
のが面倒なことには変わりない。第一勅命でも下らない限り最奥には用もない。よって結局
十二宮の守護者たち自身が一番行き来している、ということになる。
「…お前の髪も見事な黄金だったな、そういえば」
 アイオリアの唐突な言葉に、ミロは市販のクッキーを囓りながら「ああん?」と眉根を寄
せた。
「そういえば、って何だよ。今まさにお前の目の前にあるだろ」
「だから、そうだな、と」
「訳わからんな、お前は。だいたい自分だって金だろ」
「俺のは金茶だ」
 アイオリアは、自分の土産を美味しそうにぱくつく蠍座の聖闘士を感慨深げに見つめた。
ちなみに土産はミロ当人から要求されたもので、彼自身は甘いものは好まない。土産を届け
に来たついでに歓談に誘われ、さっきから小一時間もどうということのない雑話に興じてい
たところだった。
「そういえば、お前も結構な美形だな」
 アイオリアは更に何気なく呟いたが、これにはミロもクッキーを吹いた。
 今、何て言った?
「あ、アイオリア? 俺、今、耳おかしくなったかな〜」
「汚いぞ、食べ物を吹き出すな」
 ろくでもないこと抜かすからだろ!とミロはすかさず応戦したが、アイオリアはちゃっか
り30cmほどクッキーとミロから避難してから、しみじみと続けた。
「金色というのはいい色だな…特に淡い…」
「淡い…金?」
「そうだ、そういえば、この間帰還したときに、教皇の間へご報告をと十二宮をあがったの
だが」
 ミロはますます眉をひそめる。時々こいつは本当に突拍子がない。
「お前、そういえば、が多すぎ」
「まあそういうな。それで、途中シャカに逢ったのだが」
「シャカ? ああインドから帰ってきてるな」
「処女宮の手前まで昇ったら、外で出迎えてくれた。おかげで俺はきれいな…いいものを拝
ませてもらったよ」
 ミロの表情がまた一変。今度は焦りの色だ。
「出迎えた? ヤツが? そんな莫迦な」
「本当だとも。このアイオリアがウソを言うものか」
「あー…いや、…つうか拝んだ? あいつをか? マジで?」
「莫迦か、本当に拝む訳ないだろう。眼福だったと言っているんだ」
 あ、そうですか。ミロはげんなりしてきた。そういうことか。
 さっきだって自分のことを「お前も金髪」とか「お前も美形」だなんて抜かした。それは
要するに比較対象になる美形が大前提として存るということだ。ミロは美しいと言われて喜
ぶような性質ではなかったが、シャカと比べられるのはなんだか悔しい気がした。どう見て
も向こうの方が「美人」というだけだったら分がありそうな気がして。
 …だからといってアフロディーテと比べられるのも困るのだが。
「昔当人に言ったらはりたおされたが、…あいつは最近ますます美人になった。見応えがあ
って楽しい。女と違って遠慮会釈なく観察できるから尚いい」
「観賞物かよ…」
「友人としては大切に想っているぞ」
「ああハイハイ」
 返事が投げやりになってくるのを止められない。なんだかのろけ話を聞かされてるみたい
で、妙に疲れてきたのである。
 …が、その自分の思考にはたと気付く。───のろけ話???
 アイオリアは、自分の発言がどんな意味合いを含んでいるのかちっとも判っていない様子
だった。嬉しげに続ける。
「とてもきれいで、優しく、柔らかかった。よかった」
 まるで男が、初めて好きな娘を抱いた感想のようなことをアイオリアが真顔で語るに至っ
て、ミロは唖然とするしかなくなった。
 だって、なんて返答すればいいんだ? こんなとき。
「あ、あのさ、柔らかかったって…なんだよ…」
 どぎまぎして、ついそんな質問が口から飛び出る。アイオリアは、「ああ」と手を打って
こう言い直してくれた。
「シャカの小宇宙は優しくて柔らかい感じがするんだ。おかしいだろう、あんなに外ツラは
冷たそうでつっけんどんなのに。まあ…俺やお前は慣れてるだろうが」
 アイオリアの、ともすればアイの告白にも聞こえる雑談を半分だけ聞き続けながら、ミロ
はなんとなく察してしまった。
 つまり、当人がさっぱり気付いていない、けれど厄介な情熱をだ。
(そういえば…あっ俺までそういえばが感染った! いや…とにかく、考えてみりゃこいつ
結構面食いで、猛烈にシャカびいきだったっけ…)
 ちっとも浮いた噂は無いし、よりにもよってこのアイオリアが性別通り越してお隣りの美
人さん狙いとは、今まで思ってもみなかったのだが。
(大穴? …しかし問題はシャカだよなあ…あいつこそ恋愛感情とかカケラもなさそう)
「…まあ、いいや…友としては遠くから応援するよ」
 ミロはそれ以上考えるのを放棄した。早く言えば本気で疲れた。せめてこの場にカミュが
居てくれたら、自分よりは絶対にマシなツッコミをしてくれたろうに。
「応援、なにをだ?」
 アイオリアが首を傾げる。判ってないとは救いがたい。
「ま、いろいろさ」



 帰り際、ミロはアイオリアを無人の天秤宮まで見送った。それ以上降りると、その厄介な
アイオリアの隣人に逢うことになるから、と思ったのだが無駄になった。シャカの方からな
んと天秤宮まで上がってきていたのである。
「お、シャカ。どうした」
 アイオリアは嬉しそうな笑顔。うわあこいつの今の顔、獅子じゃなくて尻尾振ったワンこ
だよ。ミロは呆れてその場に立ちつくす。
「ミロに土産とやらを渡しに行ったというから私もついでに、と思った」
 シャカはいつもの無表情のまま、小さな笹の包みを出した。ミロは二重に驚いた。
 今まで数限りなくシャカに(もちろん冗談交じりで)土産をねだったことはあったが、実
際に持ってきたのは今回が初めてである。
「ありがたく私を拝んでから食すのだな」
「うわ…サンキュー。じゃあ、もらっとく」
 ちらとアイオリアを見ると、暢気にも彼は「よかったな」とウインクしている。
 このシャカが土産などとは、絶対にアイオリアが横から言い含めたに違いない。そしてシ
ャカの方も、幼なじみ&お隣りさんである彼の言うことは、基本的に聞くのだ。
 この天上天下で一番自分が神に近いと公言するような男が!!
「そうだ、シャカ。今日は飯を食ったろうな?」
 アイオリアは思い立った、とばかりに尋ねた。シャカも自然な口調で答える。
「…? いや? 何も」
「なに? 断食はいい加減にやめろと言った筈だ」
「やめてもいいが、どのみち我が宮には食物と呼べるものがない。買いだしにゆくには処女
宮はいささか遠い」
 しれっと言うシャカと、激昂するアイオリア。
 多分、これが彼等のいつものやりとり。
「そんなことを言って、いつまでも食べなかったら死ぬぞ! ええい今日は俺の方へ来い。
何か食うまでは帰さんぞ」
「下賤な食物は好まぬのだが…まあ君がそういうのなら食してやってもよかろう」
 呆れるほど「当たり前」のように交わされる会話。
 内容のくだらなさには目をつぶるとし、ミロはうっすら羨ましくなってしまった。
(宝瓶宮は…遠いんだよな…いいなあ…)



 その後、獅子宮までの帰り際。
「珍しいな、お前が上に上がってくるとは」
 アイオリアの言葉にシャカはちょっと不機嫌そうな顔を見せた。
「君が、土産とは当人から渡すものだ、とこの私に説教をたれていったからだ」
 シャカが他人の忠言をそのまま実行するとは他の者から見れば驚天動地の事件だが、アイ
オリアは気にした様子もなかった。「ふむ」と言って、やや苦笑。
「その割にはこの辺り、お前の小宇宙が零れているな。異次元通ってきたろう」
 一応「神話の時代から女神の小宇宙がたちこめている」為、宮間のテレポートは出来ない
ことになっている…が、実のところいくらか抜け道はある。例えば自技の特殊な異次元空間
を使ってしまうとか。
「隣りなら諦めるが、それ以上は体力の無駄だ」
「聖闘士だろう…すこし鍛えろ。断食しすぎで貧血起こしでもしたらいい笑いモノだ」
「ほうっておきたまえ」
「放っておけんから言うのだ」
「………」
 シャカは黙った。また言い負けてしまった。
 もっと問答無用で突っぱねることもできるだろうに、とは自分でも思うのだが。なんとな
く彼の優しい気遣いがありがたくもあったので。これを情に流されているとでも言うのだろ
うか? まだまだ悟りの路は険しい。
「明日は、買いだしだな。トレーニングついでにつきあってやる」
「トレーニングだというのなら君一人でいきたまえ」
「なに、お前の買い物だぞ?」
「君が望んでいるのだから君が行くのが筋だ」



 問答は繰り返される。遊びのように、けれど時々真剣に。楽しげに、悔しげに。
 隣り同士の交流はこうして毎度、深まっているのだ。













うわーはきちがえ