動物(猫)





                                             



 獅子宮の主、すなわちレオのアイオリアはここしばらく遠出をしていて居なかった。
 彼は他星座のように聖域以外に住まいを持たないので外出場所は非常に限られている。勅命か、で
なければ私用で買い物をする程度だ。今回外出したのは、聖域関係者を遠くニューヨークまで送迎す
る役目を請け負った為で、それゆえ聖衣は着ないで一般人のような(笑)格好をして出ていった。そ
うしてもう一週間が過ぎている。
 シャカは、ため息をついて無人の獅子宮の前に立った。自分の処女宮から降りてきた形なので裏手
である。主はまだ帰ってきていないようだった。
 宮は守護星座の黄金聖闘士が住まう場所であると同時に、遙か上にある教皇宮・及び女神神殿への
「通路」でもあるため、個々の形は違うものの必ず中央に巨大な回廊が通る。その両脇に各々のエリ
アがあるのだ。だが、神話の時代より大いなる女神の小宇宙に覆われている故か、それとも各宮の守
護人たちの小宇宙なのか、一直線上にある筈の表口と裏口とがまっすぐ見通せた試しはない。
 シャカは大分長いこと躊躇していた。同じ黄金聖闘士の中では一番身近な獅子座に助力を請おうと
思っていたのに、肝心の主が居ないとは。…いや、居ないことは処女宮から出てきた段階で気が付い
てはいた。隣人である彼は出かける前にシャカに挨拶しに来たし、獅子座の小宇宙を未だ十二宮内で
感じないからだ。
(…だが確か今日までには戻ると言い置いていった筈。さて…どうするべきか…)
 丹念に彼の居所を小宇宙で探ることも考えた。しかしそこまでして探して、わざわざ呼びつけるの
もどうかと思われた。何故なら、助けを求めようというその用件が、聖闘士としてはあまりに情けな
い事柄のような気がするからだった。
 ニャア、と小さな猫の声にシャカは己の胸元を見下ろす。単なる長い布を巻き付けただけの、イン
ドで言うサリーのようなものを纏ったそのシャカの胸元から、掌に収まるほど小さな真っ白い子猫が
ちょんと顔を出していた。シャカは困ったようにその顔をみつめた。
 …そう言えば水瓶座の男に忠告されたのにまだ名前も考えていない…。
「──猫。おまえの名は多分リアが考えてくれよう。しばし待て。…それより…」
 シャカが猫を連れて降りてきたのは、子猫にしかるべき「手当」をするための場所、つまりペット
病院を獅子座のアイオリアに教えてもらおうと思ったからなのである。
 子猫は、カラスに襲われ食い荒らされた親猫の下から救い出した。親猫が、死んでも子供だけは守
るという執念で、身体を張って己の腹の下に子供を隠していた。そんな親の情念にふと気を引かれ、
シャカはついみかねて手を出してしまったのだ。カラスを追い払い、無惨な肉塊となった親の影に居
たその子供をシャカは拾い上げた。途中で天蠍宮のミロと、彼と親しいらしい水瓶座が手を貸してく
れ、子猫を綺麗にしてくれた上に猫用の食事が買える場所を案内してくれた。その恩義はいずれ改め
て返しておかねば、とシャカは思う。
 しかし、多少の怪我は癒してやれたものの、もともと大層やせ細って衰弱していた子猫はどうもあ
まり調子が良くないようだった。膝元で死なれたら堪らない、とばかりシャカは降りてきたのだ。
「…猫、私の手の内で死ぬのは許さん。でなければ…そもそも初めから助けたりはしない。そういう
感傷事は御免だ」
 相当自分勝手な言い分で猫に言い聞かせる。その言葉を子猫が理解するとも思えないが、そんな台
詞とはうらはらに、シャカは今も己の小宇宙を子猫に集中させ、ひたすらに癒し続けていた。子猫一
匹に全神経を傾けるバルゴのシャカ。…多分誰も想像しなかったに違いない。
「しかたない…他の者に聞いてみるとするか…」
 シャカはぽつりと呟くと、諦めたように獅子宮を通過するべく歩き始めた。
 他の者とは、更にもうひとつ下の蟹座、つまりデスマスク(←通称:本名不明)である。ものすご
い人選を間違っている気がするが、この際選り好みをしている場合ではない。
 本当は、一昨日猫の世話を(水瓶座と一緒に)手助けしてくれたミロの処にいくのが適切だったの
だが、二人はどうやらあの後連れだって聖域の外に出てしまった。それきり戻ってくる気配がない。
多分数日は戻らないだろうと踏んだので迷わず降りる方を選択したのだ。十二宮内に現在感じる小宇
宙は自分の他に2つ。アフロディーテとデスマスクだ。双魚宮まで昇るのはあまりに億劫なので、そ
の選択は妥当…なのかもしれなかった。



 デスマスクは、見た目も中味も妙に世俗的(笑)なイタリア出身の男だ。
 人によっては彼を「根っから小悪人」と毛嫌いしたり、はたまた「話せば判る、割と陽気な奴」と
好いていたり、と印象はまちまちであるが、シャカは別段彼を嫌っているつもりはない。確かに少し
俗っぽい感触があり、また聖闘士にしては珍しく愛だの正義だのといった暑苦しい論理を初めから捨
ててかかっている風があったが、それはそれで彼なりの悟り方なのだろうとシャカは達観している。
本当に聖闘士に相応しくないのならそもそも蟹座の聖衣は彼を選ばない筈だからだ。
 ただ、どうも向こうはこちらを不審?に思っているようだったが。
「…うわっ…シャカ??」
 デスマスクは、己のプライベートエリアで暢気に酒をかっくらっている最中だった。時折宮内一面
に死霊の顔を浮かび上がらせて通る者を脅かしてはげらげら笑って愉しむ、ちょっとろくでもない趣
味を持っている彼だが、今日はそのイタズラをしこんでいないようだ。(毎日死霊の顔と付き合うの
は大して面白いことではないだろう)もっとも、それをされたところで眼を閉じたままのシャカには
なんの効力もない。
「なっなんだよ、声くらいかけてから入ってこいよ。つかここは俺の部屋だぜ」
 言いながら、デスマスクは思わず手に持っていたグラスをおっことしかけた。シャカが聖衣を纏っ
ていない姿を見るのはこの十年以上でも数えるくらいしか、ない。
「君が私の小宇宙に気付かないのが悪い。私は入り口で入るぞと一声かけた」
 シャカは、さらりと流れるように言い返した。むむ、とデスマスクが唸る。シャカの小宇宙は少し
漠然としすぎていて(しかも意識的に抑えていて)、正直近いのか遠いのか判りにくいのだ。
「…んで、なんで俺の部屋まで来てんだ? 通り過ぎるんならあっち。まさか眼閉じてて迷ったとか
抜かすなよな」
「そんな愚かな間違いをこの私がすると思っているのかね。まあ良かろう。君に少し、尋ねたいこと
があって来たのだ」
 なんだか露出度高けえなあコイツ、とデスマスクは胡乱な瞳でシャカを睨む。正直、半分裸のよう
な今の格好でさえ、男か女かよく判らない感じがつきまとうのだ。肌は異様なくらい白いし細いし、
顔は(アフロディーテとはまた別の意味で)恐ろしく端正。グラビア女優でこんな顔あったらモウレ
ツ好みなんだがなあ、と酷く不謹慎なことまで思う。
 …そして、尋ねたいこと?と聞き返す前に、その裸の胸元からこそりと白い物体が動くのが見えて
デスマスクは眼をむいた。
「なんだそれ…!!」
「猫だ。知らぬのかね」
 シャカの台詞にデスマスクはずっこけそうになる。うおお、こいつの神経はかりしれねえ…。
「だあーーっ!! アホか! そういう意味じゃねえ! なんでんなとこに猫がはさまってんだっつ
ってんだよ!!」
「拾った」
「…ッ…だからなあッ!!」
「故あって保護している。それが何か問題あるかね」
 ぐあ。もう返す言葉が無い。思いつく限りのあらゆる罵倒を能面みたいな綺麗なすまし顔に内心オ
ンリーで叩き付けてから、デスマスクは一息ついて気を静めた。まともな会話ができないのは正直疲
れてたまらない。
「…尋ねたいことって、なんだよ」
「そう、それだ」
 シャカは自分がデスマスクを疲れさせているとは露ほども気付かぬまま、しれっと言った。
「この猫なのだが…どうも体調が良くないようで、人間でいうところの医者に連れてゆきたいのだ。
だが私はそのような場所を知らぬ。本来神に最も近いこのシャカに医者などは不必要だからな」
 そのふざけきった台詞に、デスマスクはますます倒れそうになる。いくら超人の域にまで鍛え上げ
られた肉体を持つ聖闘士といえど、たまには風邪やら怪我やらするだろう。まあ、ごくたまに、では
あるが。…しかしコイツのいいぶりといったら…。
「君なら俗世間にも詳しかろう。知っているなら話したまえ」
 それが人にものを頼む態度か、とつっこみを入れかけ、危ういところで踏みとどまった。またさき
ほどのような無意味な言葉の応酬になるのが判りきっているからだ。下手に好戦的に相手をすると、
六道に落とされる危険もある(実際過去に2度ほど怒らせふっとばされかけた)。
「…知ってるわきゃねえだろ、俺はそういうすぐ死んじまうちびっこいイキモノは苦手なんだ」
 とりあえず怒りは抑えて返答する。するとシャカは、珍しく顔色を曇らせた。表情を表に出さない
彼にしては劇的とも言えるほどだ。さすがにちょっとしょげたらしい端正な顔に、デスマスクは何だ
か非常に気まずくなって、それこそ彼にしては珍しい優しい言葉を必死に探してしまった。
「あ、いや。どこにあるかは知らねえがな。どうやって探すかくらいは見当がつくぜ。聖域出て、ア
テネの市街をちょっとぶらつけば一軒くらいあるだろ。役所に問い合わせるとか、そこいらの一般人
とっつかまえて聞いてみるとか」
「…役所?」
 それも知らねえのか。デスマスクは呆れてため息を漏らした。
「とにかく。聖域から出て探すんだな。いっとくがオマエ、そのナリで出てくなよ。聖域の恥さらし
になるからな」
「恥さらしとは何だね、このシャカに向かって無礼な」
「何が無礼だよ。パンピーに混じるんならそれ相応の格好しろっつってんだよ。アテネ市街はでけえ
近代都市なんだから目立つことしでかすな。オマエ金髪碧眼なんだから、それでその格好は仮装して
るみたいでえれえ奇妙でめちゃくちゃ目立つんだっつの」
 なにやら激しく罵倒されているような気がしたがシャカはちょっと眉をしかめた程度で受け流すこ
とにした。実のところデスマスクが言った言葉の半分も理解していなかったりする。
 その代わり、シャカは肝心の「対応方法」を考えた。そして言った。
「それほど言うのならば、君が私を案内したまえ。アテネに出るに相応しい格好とやらを君自身が選
ぶのだな。私は正直、教皇さえお許しになるなら聖衣でも構わぬのだから」
「ああ???」
 ふざけんじゃねえ神キチガイが! とデスマスクは叫びそうになった。そんなこと、教皇がお許し
になる筈がないだろう。聖闘士の存在は本来、現代社会では秘匿されるべきもの。未だ神話と共に生
きている未開の地でならともかく、いまどきのアテネ市街を聖衣姿でガチャンガチャンと歩かれては
マジにたまらない。しかも何故それを関係ない俺が責任持たなきゃならん?? まったくもって訳の
わからない論法である。
「なんで俺が!」
「君が言ったのだ。君も聖闘士ならば己の言葉には責任を持ちたまえ」
「訳わかんねえよその論法!」
 しかし、それ以上逆らう術はなかった。シャカは俄に小宇宙を高め始めたのである。
「いささか不本意ながら腕ずくででも連れて行ってもらうとしようか…」
「うわっ…まて! 待て待て!」
 まさかそれほど猫一匹が心配とは思いもせず、デスマスクはあわてて前言撤回した。百万歩譲って
六道ならば自力で戻ってくることもできるが、天舞宝輪をぶちかまされて五感を失い、シャカの機嫌
が直るまでヘレン・ケラー状態はまっぴらだ。そのくらいなら言うことを聞いてやった方が遙かにマ
シである。相当情けない選択肢であることは否めないが…。
「判った! どっか動物病院探してやりゃいいんだろ! くそっ!!」
「判ればいい」
 シャカのしれっとしたすまし顔に、デスマスクはまたしてもあらん限りの罵倒を浴びせかけた。も
ちろん内心のみで。



 シャカには自宮に置きっぱなしになっているアフロディーテの服を着せた。
 デスマスクと仲の良いアフロディーテは、時折ここ巨蟹宮に飲みに来ては着替えを置いていく。多
分双魚宮が聖域の出口から最も遠いのでそれを厭って比較的入り口に近いここに着替えを常備したい
のだろう。
 アフロディーテの持ち物は名高いブランド系ばかりで、後でシャカなどに着せたと知れば怒り出す
かもしれないが、まあこっそりクリーニングに出してしまえば判るまい、という判断だ。自分の服は
サイズが合わないので論外だった。
 アフロディーテの服に子猫を仕込むことは許されまい、とデスマスクはタオルを何枚か竹編みの籠
に敷いてやり、その中に猫を収めた。猫はいっちょまえにデスマスク相手には「フウッ」と威嚇して
きたが(生意気だ!)、シャカに対しては親に甘えるがごとく大人しいものだった。
「ったく…小せえなあ…苦手なんだよ…首とか折っちまいそうで」
「そのときは君の首も折るから覚悟したまえ」
「うるせえ、黙れ」
 聖域を出る際に、雑兵の幾人かに見咎められるが、デスマスクは鼻息ひとつで一蹴した。十二宮方
面から降りてくる私服が黄金聖闘士以外に居るかっつうの、と叱り飛ばしたのだ。入ってきた形跡が
ないのだから正論であろう。
 アテネの郊外までは一気にテレポートし、それから普通に市街を練り歩く。適当に看板を探してみ
たり、道行く人にちょっと威圧的に尋ねたり。猫の入った籠を持つシャカとグラサンをかけたデスマ
スクの組み合わせは強烈に目立ち、たちまち道ゆく人の注目の的となった。せめてどちらか片方なら
良かっただろうに、組み合わせが最悪だったのだ。それはつまり、「マフィアと、とびきり美形な情
人?(しかも性別不詳)」に見えるらしかった。
「…デスマスク」
「ああん? いいからオマエ口開くなよ。黙ってりゃ恥かかねえですむから」
「何が恥だ、それより…何故さきほどから周囲の視線が我々に集中しているのだね」
「………知るか、ほっとけ」
 シャカが盲と思われるのがやっかいだったので予め眼は開けるよう忠告した。が、その程度でシャ
カの容姿は群衆に埋没しなかったのだ。ああコイツ連れて歩く日が来るとは。デスマスクは心中で思
わず十字を切った。言いたくはないが正直ここまで周囲に注目されたのは初めてである。アフロディ
ーテと共に歩いたときだってここまで酷くなかった。彼も眼を見張るような美形だが、どこか凛々し
さをも備えていて、情人というよりはむしろ「ああモデルかな」と感心するくらいだ。それはそれで
注目度がハゲシイのだが、今日のような一種異様な「興味と恐怖と羨望」が入り交じった視線ではな
かった。
 多分、シャカが別世界のイキモノ(宇宙人??)のごとき雰囲気を醸し出しているせいか。
「…あー、ホラ、あったぜ」
 どうにか手近な動物病院を探し当て、デスマスクは深いため息をつく。
 シャカと猫とを中に入れ、かいつまんだ事情を受付に説明し、順番を待つ間も猛烈な視線攻撃を浴
びながらデスマスクは今日という日を忘れることはないだろうと思った。



 ふと、馴染んだ小宇宙が肌をかすめる。
 アイオリアは聖域での神事を取りはからう神官たちと共にアテネまで戻ってきていた。聖域ではな
く、ごく間近に感じる気配。柔らかな、淡い光のような…。
「ン…?? シャカか…? アテネに居るのか…?」
 神経を集中させ、シャカの居所を更に細かく探る。すると、もうひとつ、やはり覚えのある小宇宙
が感じられた。シャカのすぐ傍に、誰かもうひとり居る。…しかも黄金の誰か…。
「アイオリア様?」
 神官の一人が不審そうに辺りをきょろきょろ見渡す黄金聖闘士を不気味に見やった。アイオリアは
「ああ」と言って振り向く。少し考えて、更に言った。
「俺の役目はもう済んだろう、君らはこのまま聖域に戻られよ。俺は市街で少し私用を済ませてから
戻る。教皇へのご報告の際、アイオリアは後ほど改めて伺うと申しあげてくれ」
 そうして、止める間もなくその場を離れる。神官たちが何か口々に言っていたが、まったく気にも
とめず、シャカの気配がする方へと足を向けた。
 シャカは居た。街なかのカフェで、グラサン男と茶を飲んでいた。あまりに想像を絶する光景で、
しばらくあんぐりとその様子を窺ってしまった。
 シャカは眼を開け、なんだかとてもあか抜けた(?)綺麗な服装をしている。ただでさえ綺麗な姿
が今日は一段と美しい。まるでグラサン男の情人みたいだ。
 …とそこまで想像して、アイオリアは不思議とモウレツに腹が立ってしまった。
 美しい、大切な隣人をどこか見知らぬ男に汚されたような気になったのである。その瞬間に、相手
が十二宮の一員であろうことは吹き飛んでいた。
「シャカ!」
 アイオリアは、まるで妻(!)の不倫の現場を見つけた亭主のような形相で駆け込んだ。途端、悲
鳴をあげたのはグラサン男の方だった。
「うわっアイオリア!!」
 がたん、と椅子を蹴倒して立ち上がる。アイオリアはそこでやっと、相手がデスマスクであること
に気が付いた。…なんでデスマスクなんかと??
「びっくりさせるなよ…ったく…」
 シャカは、と言えば、アイオリアが息せききって飛び込んでくるちょっと前から、やはり彼の気配
に気が付いていたようで、むしろ当然のように待ちかまえていた。
「アイオリア。よく来た。コレの名前を考えてやってくれまいか」
 シャカは、真っ青な瞳でアイオリアを見つめた。久し振りに全開眼を見たなあ、とアイオリアはそ
のときまったく関係ない感慨に耽ってしまい、シャカの言葉を脳に浸透させるのに恐竜並の時間を要
してしまった。ややおいて、シャカの手元を見下ろす。
 小さな白い猫が居た。大切そうにタオルにくるまれ、バスケットの中でうとうとしている。
 この時点で、アイオリアの脳裏から「マフィアと情人」という図式は消えた。目の前にある事物し
か処理しないのはアイオリアの欠点でもあるが、美点でもある。
「経緯は追って話してやる。とにかく、この猫は私が面倒をみざるを得ない状況になったのだ。よっ
て名前を必要としているのだが、思いつかぬ。良い案があれば疾く言いたまえ」
 デスマスクは横から聞きながらまた呆れていた。なんつういいざまだこのキチガイは。
 …しかし、アイオリアは慣れているのだろう、まったく平然と返した。
「へえ…猫か。かわいいな…お前が世話を?」
「そうだ」
「名前か。よかろう。後でゆっくり考えてやる。が、それよりもお前はここで何をしていたのだ?」
「デスマスクが休憩させろとわめくので付き合ってやった」
 おいそういう順番じゃねえだろ、とデスマスクが突っ込む前に、アイオリアは頷いた。
「なるほど、だがその前にお前がデスマスクを歩き回らせたのだろう? アテネに何をしに出てきた
のだ? 猫まで連れて」
 アイオリアの、またしても動ぜぬ物言いに、デスマスクは感心して見守った。さすがに長年隣人を
やってるだけあって操縦の仕方を心得ている。
「そうだ、猫だ。体調が悪いようだったので動物専用の病院とやらに来たのだ」
「ほう、それでデスマスクを駆り出したのか。まったく人使いが荒い奴だな、お前は」
「最初は君に頼もうと思っていたのだよ。だが君は、今日までに帰るといっておきながら、こんな時
間になるまで戻ってこないではないか。だからやむをえずデスマスクを使ったのだ」
「オイやむをえずって何だ」
 デスマスクはさすがに突っ込む。が、それにはシャカの代わりにアイオリアがすかさず詫びた。
「悪いな、コイツが横柄なのは今更だから聞き流してやってくれ。それと」
 アイオリアはひょい、と手近な椅子を引き寄せて自分も座った。
「久し振りの下界に顔見知りが居るのは有り難い。俺も混ぜてくれ」
 うぎゃ。デスマスクは内心で悲鳴をあげた。
 見ればアイオリアの最初の鬼気迫る乱入で、店中の人間がこちらに視線を浴びせている。一応聖闘
士の中では常識派であるところのデスマスクにしてみればいたたまれないことこの上ない。
(…くっそー…まさか男同士で三角関係のもつれとか思ってやしねえだろうなあ…)
 シャカの姿は男にしては細すぎ、女にしては背が高すぎる。が、どちらも有り得ない訳ではない。
しかも声で判断しようにも、シャカの声は大分ハイトーンだった。周りの者がいったいどっちなんだ
と興味津々で見守るのも仕方がないところだろう。
(いや、女だと思ってたにせよ…このアイオリアとコイツを取り合ってるだなんて思われてたらすげ
え屈辱だ!!)
 デスマスクは目の前のコーヒーを一気にがぶ飲みし、ちゃりん、と硬貨をテーブルに置いた。
「男ばっかりでいつまでも暢気に茶なんか飲んでられるか。お前ら二人でやってろ」
「最初に茶を飲むと言い張ったのは君ではないかね」
「うるせえ黙れ。もう案内は終わりだ。俺は先に帰るぜ。言っとくが」
 デスマスクは忌々しげにシャカを指さした。
「お前の今着てる服はアフロディーテのだから、汚したらブラッディローズ食らうと思えよ。洗っ
て返…いや、そのまま返せ。巨蟹宮通るときにさっきのお前の布っきれ返してやるから」
 ガンジス河の水でざぶざぶ洗われたらたまらんとばかりあわてて言い直しながら、デスマスクは
精一杯威厳を持って言いつけた。シャカはきょとん、と見つめ返してくる。くそ、顔だけだったら
そこらのアイドル顔負けのくせになんでキチガイなんだ!
「…承知した」
 シャカは、珍しく反論もなく頷いた。まあ一応借りが出来たとでも思っているのだろう。
「じゃあな、デスマスク」
 アイオリアはといえばこれまた悠長に手など振った。振り返すほど殊勝ではないデスマスクはそ
れをさりげなく無視し、さっさかその場を退散した。



 残された二人は、猫を挟んでまるで恋人同士(笑)のように並んで茶を飲みだした。
 デスマスクが向かいに座っていたのでそういう位置関係になるのだが、彼が立ち去った後も、二
人とも椅子の位置をずらそうなどと気をきかせなかった故である。
 はたからみると、明らかに仲むつまじい様子の獅子座と乙女座。…しかし、この時点ではアイオ
リアは隣人に対する想いが義兄弟のようなものだと勘違いしているし、乙女座はそういった観念が
もともと無い。よって、二人は普通に日常会話をする友人同士のつもりなのだ。
 周囲の人間がどのように見ているかは…ともかく。
「その猫はどうしたのだ?」
「拾った」
「どこで」
「十二宮内で」
「処女宮の付近でか? 珍しいな」
「いや、磨羯宮の辺りでだ。教皇にご挨拶に行った帰りに見つけた」
「教皇に? お前勅命なぞ受けていたか? いつのまに」
「君が聖域を離れている間だ。大した任務ではないので半日で戻った」
 そういえば、とシャカは少し躊躇いがちにアイオリアを見上げる。
「天蠍宮のミロと…水瓶座の…」
「カミュ」
「そう、カミュ…に猫を世話する手伝いをしてもらった。後で礼を返さねばと思うのだが…」
 アイオリアは微笑した。人間以外とさえ噂されるこの隣人にも、こんな風にちゃんと人情が備わ
っていることを知るのは役得であろうか。
「そうか、そうだな。礼はきちんとせねば」
「で、名前は?」
「そう急くな。後で良く考えると言ったろう」
「あまり遅いと水瓶の男にどやされるのだ」
「カミュに? いや、だから…」
 言いながら、アイオリアはふと猫を覗き込む。真っ白な猫は、うっすらと眼を開けてアイオリア
の方をみつめてきた。その白さに、不意に「仏陀の伝説」の一部を思い出す。
 仏陀を産んだ母・マヤ。彼女は仏陀を産み落とす前、白い象の夢を見たという…。
「…マヤ、はどうだ」
「マヤ?」
「仏陀の母君だ。あ、まさかそいつ、雄ではあるまいな?」
「いや、雌だ。さきほど病院で見てもらった際にも言われた」
「ならばよかろう。どうだ?」
 シャカはしばらくその名を意識内で咀嚼していたようだった。大分置いてからやんわりと笑み、
「異存はない」
と答えた。決まりだ、とアイオリアも笑った。



 翌日になってミロとカミュは連れだって帰ってきた。アイオリアの宮を通りすがる際、獅子宮に
猫と共に居座る乙女座を発見し、さっそく猫の名前を聞き出す。シャカはまるで自分が考えたかの
ように胸を張って答えたが、あいにくアイオリアがそばにいて事の成り行きを説明してしまった。
カミュは当然呆れたが、名前をつけずに放置するよりは、と容認。そうして、デスマスクとのやり
とりまでをおおよそ聞き出して、ミロと二人で更にあきれ果てた。
 よくもまあ、あの蟹座をペット病院へ、と感心したのだ。
「結局、シャカが最強ということか、十二宮では」
「図々しさという点では最強に最悪だな」
「なんだ二人とも、いまさら」
「なんだね、それは」
 誉められているのかけなされているのか判っていないらしい当人を差し置いて、三人は珍しくも
穏やかに笑いあう。そんな笑い声に囲まれて子猫はうるさそうに身を竦めたが、やがて安らかな微
睡みに落ちていった。














にゃんは愛しいおいらの家族。