写真






「…おや、珍しいですね、貴方が写真立てなど」
 簡素この上ない木製のテーブルに、この間までは確かになかった筈のこれまた簡素なフォトフレームを 
見つけて、ムウは手を伸ばした。フレームの中には、まだ写真は無い。
「悪いかね」
「いいえ、悪いとは言ってません。ただ、何の写真を入れるのかと思って」
「入れた後に見ればよかろう」
 ここ処女宮の主であるシャカは、殆ど無感動とも言える抑揚のなさで返答する。しかしシャカを良く知
る者にしてみればこれでも十分マシな受け答えである。なにしろ自分に興味の無い事柄に関しては完膚無
きまでに沈黙を守り通す男だ。たとえどんなにしつこく尋ねられても。
「じゃあ、いつ入れるんです? そしたらまた見に来ますよ」
 ムウはもちろんそんなシャカの性格を知り抜いているのでちっともめげなかった。もしや「あの」莫迦
獅子とのらぶらぶちゅーなツーショットでも(獅子の画策で)入れられたらどうしようかとも思いつつ、
一応は(シャカの性格からして)有り得ないだろうと推察。
「…わざわざ写真一枚のためにもう一度来るのかね」
「悪いですか?」
 言ってにこりと笑ってみせる。シャカは、軽くため息をついてみせた。
「……いや。そんなに写真が見たいのなら見るかね?」
 そして、シャカはムウの予測以上にマシな態度で答えてきた。おや、と思う。写真立てを用意するだけ
でも「らしく」ないのに、今度はそうきたか。
「ええ。是非」
 シャカは席を立った。さらり、と淡い色の金髪が風に靡くのをムウはうっとりと見守る。なんのことは
ない、ムウが度々、わざわざ宮を5つ分も昇ってきているのはこの美しい友人を観賞するためなのだ。外
見だけでなく、中身まで笑えるくらい綺麗なこの友人は実に観賞し甲斐がある。…もちろんそれだけでは
なく、ちゃんと「正しく」友人として大切に想ってもいるのだが。
 シャカが戻ってくるまでに、ムウは自分の分のカップを干し、少しぬるくなったポットの中身をつぎ足
した。ちなみにこの飲茶一式はムウがプレゼントしたもので、茶を煎れたのもムウである。処女宮の主は
いつも必ず場所を提供するだけで、ヒマさえあれば一方的に来訪する牡羊座の為に飲み物や食べ物を提供
した試しはない。(尤も、やろうとする前に牡羊座に差し止められているという説も有り)
 今日はストレートのダージリンを(自宮から)用意してきた。明日か明後日はとっておきのチャイを煎
れよう。そんな思惑をぼんやり広げつつ。
「…これだ」
 シャカは、ほどなく戻ってきて、一枚の古びた写真をムウに差し出した。それは、驚いたことに自分た
ち黄金が全員写っている、十三年前の写真だった。




 聖戦が終わって、もう三月になる。
 燦々たる荒廃ぶりだった聖域全体も、この数ヶ月の間に見事な復活を遂げた。壊れた宮はおおよそ修理
され(実は細かい部分はまだまだなのだが)、A.Eで焼き尽くされた沙羅双樹の園もとりあえずは緑なす
草原に甦っている。色とりどりの花が咲き誇る…にはまだ早いが、戦いの痕はすっかりぬぐい去られ、今
は黄金たちが時折昼寝場として借りに来るようにさえなった。
 長い、ながい灰色の時代だった聖域。十三年もの間、偽りの正義?で覆い隠され、女神の座は空白のま
ま、一番結束を固めるべき黄金たちはみんなバラバラのまま…。
「君は、覚えているのではないかね」
「ああ…そういえば、そうでした…撮りましたね。教皇…シオン様が割とそういうの、好きで」
「当時の最新式…?だとか仰られていなかったか」
「そうそう、そんなことを言っていた。撮っていたのは思い出しましたけど、…現像に出してたなんて知
りませんでしたよ」
 来るべき聖戦に向け黄金聖闘士は十二人全員が揃う。女神のため、すなわち戦うためだけに。だから実
際には黄金十二星座が結集するのはほんの僅かな期間だけだ。
 たった半年かそこら。その程度だったように思う。五老峰の老師を除く全員が聖域に集まり、仲間とし
て共に笑い、暮らし、鍛錬し、同じ空を見た。
 十二の戦士のうち半数はたかが六歳から七歳の幼児。その上も十とかそのくらいで。教皇は少なからず
未来を憂いたに違いあるまい。それでも、女神おわす限り精一杯の希望を抱きながら。
「フィルム…は残っていないらしい。この一枚だけ、預かった」
「預かった? 誰から」
 写真の中の小さな聖闘士たちは皆緊張した顔で写っている。女神が降臨する前、おそらくはたかが数日
前といった時期だった筈だ。まだ健在の射手座、そして双子座が若年ながらも既に一人前の顔で、まるで
年少たちの保護者のような雰囲気で立っているのが酷く印象深い。
 唯一不在の天秤座の代わりに天秤座の聖衣だけが座の中心に据え置かれ、黄金一同が揃う図。
「教皇宮の、神官が私に震えながら差し出してきた。…5年くらい、前だったか」
「…震え…ながら? 貴方何か脅したんですか?」
 ムウは、つい茶化してみる。別の理由はいくらでも思い当たるが言うべきではないだろう。
「何がだね、凡人の身に私の存在が畏れ多かったのかどうかは知らぬが、まあ捨てるにも忍びないのでや
むなく預かってやったのだ」
 そしてシャカの物言いが相変わらずすっとぼけているのでムウは更に笑みを深める。
「その時に、他の誰かに見せましたか? この、写真」
「いや、事情をいちいち説明するのも鬱陶しいので黙っておいた。…だいたい、それにはロスも写ってい
るし、当時の獅子辺りに見られようものなら癇癪で焼却されていたであろうよ」
 当然ながら、アイオロスはつい先頃までは逆賊扱いだった。アイオリアでなくとも、この写真をいい想
い出に出来ない者は多かったろう。
「…でも、もう今だったら外に出してもいいんですね」
 笑って言うと、シャカは少し照れた風に言い訳のように答える。
「リアも…気持ちの決着が着いたようだしな…」
 ああ、なるほど。獅子がいい加減過去を吹っ切ったと見て、乙女座も懐かしいものを飾ってみようとい
う気持ちになったらしい。多分この数日で何かしらを獅子が乙女に言ったのだ。
 …何を言ったのかは、ムウとしては正直聞きたくもないけれど(嫉妬で)。
「その、神官。先見の明有り、ですね」
 ムウは、写真をそうっとテーブルの脇に置いた。席についたシャカに、最後のポットの中身をカップに
注いで渡してやる。大分ぬるくなった紅茶を、シャカは別段文句も言わず口につけた。
「どういう意味だ」
「だって、普通だったら貴方に預けものをしようなんて思わないですよ」
 シャカはちょっとむっとした顔になる。表立って怒らないのは、そもそも自分自身が他人からの預かり
ものなぞしたくない、と自覚している故だ。
「そやつの勝手だろうが。私とてやむなく…」
「勿論判ってますよ。それでも貴方は、顔色ひとつ変えず黙って大事に、それを預かってあげていたんで
しょう? 誉めてるんですよ」
「…君の話は論点が分からぬ…」
 シャカはまたため息をついた。どうもこの牡羊座と話すと少々疲れる。一緒に居ると何でもかいがいし
く面倒を見てくれるのでラクといえばラクだが、この会話の訳わからんところはもう少しどうにかならな
いものか、と思う。…尤も話の脈絡のなさ、会話の成り立ち辛さでいうなら当の本人(シャカ)の方が百
倍酷いのだが勿論当人自覚なし、である。
「…あ、ねえシャカ。これ、ネガは無いんでしょ? カラーコピーさせて下さい。私も一枚欲しいな」
「からー?こぴー?」
 途端に不可解な顔になるシャカに、ムウは明るく説明した。
「一日貸して下されば、翌日傷ひとつ付けずにお返しするという意味です」




 数日後、処女宮でムウに熱いチャイを煎れてもらったシャカは、簡素な写真立てにその、古びた一枚の
写真を差し込んでテーブルに飾ってみた。
 懐かしい過去。もう二度と戻らない時代…。
<…乙女座様、シャカ様。お預かりして頂きたいものがあるのです、どうか>
 神官は何を見た後だったのか、恐ろしく蒼白だった。焼けこげた紙くずの束が片手に握られていた。
<この一枚だけ偶然残っていました。わたくしが持っていてももったいないだけの物ですが、焼き捨てら
れるにはあまりに忍びない。どうかせめて乙女座様のお手元に保管して頂ければ>
 受け取ってみれば、貴重ではあるが極秘という訳でもない、単なる集合写真。そういえばこんなものが
あったのか、と初めて記憶に甦った。
 実は、捨て置け、と最初は言おうとしたのだ。しかし何故焼き捨てられる必要があったのか、と考える
とわざわざこっそり拾ってくれたその神官を哀れにも思い、黙って受け取った。教皇に返そうとは思いも
せず、他の誰かに話す気もまったくなかった。
 切り取られた永遠の、一瞬。それを遙か未来にまで温存するのも悪くない。
「…シャカ?」
 いつもながら豪快な足音で獅子が来る。テーブルに残ったおみやげ用の焼き菓子に、アイオリアはやや
顔をしかめつつもシャカのすぐ傍まで歩み寄った。ふわり、とその長い髪をすくって口元に当てる。
「またムウの奴が来ていたのか。あいつはいつも俺の居ない留守を狙う」
 シャカは苦笑してみせる。まったく何にでも嫉妬するのだこの獅子は。
「君も茶に呼ばれたかったのかね。だったらそういいたまえ。ムウは君の留守を狙っている訳ではないだ
ろうに」
 いや、絶対狙っている。とアイオリアはちょっと恨みがましげな視線でシャカをみつめて。
 …そうして、テーブルの上にある、昨日までは確かになかった写真を発見して目を見開いた。
「あ…れ? うわ」
 片方の手はあくまでシャカに触れたまま、もう片方の手を伸ばしてそれを掴む。
「懐かしい…つかこんなもんあったのか…うわあ…」
 兄の姿にも、また双子座の姿にもまったく臆することなくアイオリアはしげしげと過去の自分と同僚た
ちを眺めた。へえ、と何度も感心のため息を漏らす。
「なんでこんなもんがお前のところにあるんだ?」
「私物を整理していたら、出てきた。多分残っているのはこれだけだろう。…撮った日のことを覚えてい
るかね?」
 シャカの言葉に、アイオリアは「ううん」と首を捻る。
「あー…うーん、あったような、ないような」
 アイオリアにとっての過去は、兄が失われた瞬間の、その前と後とで明確に分かれている。ぼんやりと
幸せだった「前」のことでは、記憶が薄いのも無理はあるまい。シャカはひっそり苦笑した。
「…少しは日の目を見せてもいいかと思ったのでな」



 アイオリアは嬉しそうに笑って頷き、シャカに優しいキスをした。


               2005/07/29     












再び挑戦の、時間制限付き一本勝負!泣いても笑っても一晩で書けやウラァ!