袈裟(服)




「シャカ」
 いつものように蓮型の台座で座禅を組んでいた乙女座の聖闘士に、今日は珍しい訪問者が
あった。白羊宮の主、すなわち牡羊座アリエスのムウである。
「貴方、普段着一枚も持ってないって本当ですか?」
 ムウはひどく真剣な面もちでシャカに食ってかかる。相手が見知ったアリエスと判ってい
なければ「死肉に群がる餓鬼のようだ」と一蹴してしまいたくなる勢いだが、一応シャカと
てムウの実力は承知の上。無駄な闘いは今の処避けておく。
「そんなことを聞くために息せき切って十二宮の階段を上がってきたのかね。冷静きわまる
君らしくもない」
 シャカは相変わらず黄金聖衣を纏っている。ヘッドパーツはさすがに面倒なのかすぐ傍に
無造作に転がっていた。それをムウは、改めて気味の悪いもののように眺めやる。…もしか
したらとは思っていたが。
「聞くだけだったらテレパシーで聞きますよ。そうじゃなくて、確認して、本当にそうだっ
たらどうにかしなきゃと思ったんです」
「確認?」
 ムウは、シャカのヘッドパーツを手に取った。美しく煌めく黄金色の鎧は聖闘士の拳にも
耐えうる頑強な造りで、固い石畳に投げ捨てたところでかすり傷ひとつつくまい。…故に、
普段このパーツが持ち主の手によってどれほど杜撰に扱われていたとしても、そんな痕跡は
カケラほどもみつからないだろう。
「どうやって確認するつもりかね」
「そりゃあ勿論」
 ムウはひょいと手を伸ばした。ぎょっとしたシャカはとっさに障壁を張ってその腕から逃
れる。
「うわ、危ないじゃないですか」
 いきなり防御小宇宙に弾かれ、ムウは伸ばした手を一旦ひっこめる。
「一指も触らせないだなんて、貴方はギリシャ神話のニンフですか。別に取って食いはしま
せんから聖衣を取ってください」
「…唐突に人の纏うものを剥こうなんてする方がおかしい」
 シャカにしては正論である。が、ムウはまだ手を伸ばしそうだったのでやむを得ず台座か
ら降りて聖衣を脱いだ。
 ムウは呆れてため息をついた。まず、上半身が裸だ。アバラ骨が浮いている。
 だがまあそれは百万歩譲って。
「…その…ズボン…」
「ああ、これはアイオリアが私におしつけてきたもののうちのひとつだ」
「アイオリアが…?」
 色あせた赤いタイツのような、ぴっちりしたズボン。これを唯一普段着といっていいのな
ら普段着だろう。だがシャカは、聖衣を纏わない時に履いたことはただの一度もない。
「昔は、聖域から聖衣と共に、幾らか下に着るものを拝領していたのだがな。最近はついぞ
頂いていない。代わりにアイオリアが時折こうしてズボンを寄越す」
「自家調達せよということですよ。…自分で買ったことが無い、とか?」
「買う? どこで」
「…」
 ムウは呆れかえってため息。これは結構筋金入りだ。
 たまにシャカがジャミールを訪れてくれたことがあったが、いつも彼は黄金聖衣を纏って
やってきていた。昔は何の疑問も持たず、くつろいでもらうときには自分の服を貸して着せ
てやったりした。
 …こういうことか。
(あのウスラトンカチ…何でアンダーウェアしか渡さないんです)
 ウスラなんとか、とは獅子、つまりアイオリアのことである。何故かムウと彼とは犬猿の
仲で、シャカを間に挟むと更にそれが激化した。
「聖衣を着ないときにはいったいいつも貴方何を着てたんですか? ちょっと私室の方にい
らっしゃい」
「いらっしゃいも何も、ここは私の宮なのだが」
「いいから」



 実のところ、ムウがシャカの私室に入ったのは今回が初めてである。
 ムウだけではなく、おそらくアイオリア以外の残り全員が、「そもそもシャカに私室など
というものが存在するか」と目を丸くすることだろう。
 部屋は…意外にも普通だった。
 少なくとも常識を疑うような突飛なシロモノは室内には一切存在しない。かなり生活感の
ない気配だったが、埃まみれだったりもしない。ただ、あまりにも簡素すぎている。
 木造りのベッドにはシーツが何枚か畳まれて置いてあり、小さなテーブルひとつに椅子が
2つ(2つ?)。使い古されたクッションも2つ(だから何で2つ?)。床は白っぽいタイ
ル敷きで、中央に正方形の粗織り絨毯。割とどれも優しい色合いで、違和感は覚えない。
 部屋の隅にはこれまた小さな戸棚がひとつ。その隣りに竹織の長持(和式の衣装ケース)
…のような入れ物がひとつ。ムウはその戸棚と長持らしき中を探ったが、シャカ曰く「アイ
オリアからおしつけられた」ズボンと、敷物みたいな麻布が何枚か出てきただけで、服と呼
べるものはどこにもなかった。
「ホントに…ないんですね」
「だから無いと言ったろう。君は人の話を聞いていたのか」
「そういう意味でなく。…ああもう貴方ときたら、どうして無事に生きて来られたのか時々
怖くなりますよ」
「なんだ、それは。失礼な」
「言葉通りです。だいたいベッドやテーブル、食器を用意する心構えがあったなら普段着の
一着くらい持って…」
「言っておくが部屋の中のものをしつらえたのもアイオリアだ」
「あのウスラ……ッ…!!?」
 ムウは、再度目を見開いた。…色合いが大人しいのは多分彼なりにシャカに合わせようと
苦心したのか。2つあるのも、自分の分か(怒)。
「あの…莫迦…ここまで手を出すならどうして服の一着くらい…」
 ムウはあのアイオリアに出し抜かれていた、…ような気分もあいまってむらむらと怒りを
滾らせていた。
 シャカが、自分のことを「牡羊座の聖闘士」以上に見ていないのは百も承知だった。しか
しそれでも放っておけない風情があるのだ。この乙女座には。
 アイオロス反逆事件の後、ムウは怒りと無力さに苛まれつつもジャミールに逃げ込んだ。
まだ幼かった自分にはそうすることしかできなかった。教皇が偽物であることを自力で証明
できない以上、時を待つしかなかったのだ。アイオロスの造反に関してもうっすらと真実に
は近づいていたものの、アイオリアにそれを語って理解させる自信も気力もなかった。むし
ろ、目の前にある事物しか判ろうとしない猪突猛進な彼を疎む傾向があったのだ。
 だが、シャカはいつも変わらなかった。反逆罪に問われている筈の自分を、遠いジャミー
ルまでわざわざ幾度も訪ねてくれた。責める言葉は一度も無かった。
 一度だけ、何故こうして裏切り者扱いされている自分を訪ねてくれるのか、と尋ねたら、
シャカは当たり前のように答えてくれた。
 キミはなにも、裏切ってはいないだろう、と。
 その時にムウは覚悟を決めて射手座反逆事件のことも聞いたのだ。シャカは彼に預けられ
ていた時期があって、もしかしたら自分が聖域に対して…いや教皇に対して抱いている疑惑
も判っているのかもしれない。
 だが、シャカは、その時には明確な答えをくれなかった。だがやはり、決してムウのこと
を否定するようなこともなかった。
<…君は君の正しいと思う道をいくべきだ>
 この乙女座は、そうしてそのまま、あの十二宮での闘いの時までずっと変わらずに居てく
れたのだ。だからムウも、一方的ではあるが彼の「親友」を自負してきた。
 だが、よりにもよってあの莫迦獅子が、隣人であるのをいいことにシャカに密着(!!)
していたとは。
(…アイオリア…そうか…幼い頃はシャカにべったりだった…しかしこんな風に生活にまで
手を出すほど今でも親しかったのか…??)
「シャカ。服買いに行きましょう」
 ムウは唐突に言った。このまま獅子に任せて事態がいつか好転するとはとても思えない。
 ところがシャカはめんどくさそうに、首を横に振った。
「普段着、普段着言うから何かと思ったが。要するに聖衣でないものをまとえと君は言うの
だろう?」
 ムウの前に出て、シャカはさっきの長持をもう一度あける。
 ずるずると引き出されたのは、敷物みたいな大きな四角い布。…まさか。
「聖衣でないときは、これを纏っている。これでいいではないか」
 ムウの前でシャカはご丁寧にもソレをいつも通り纏ってみせた。日本で言うなら袈裟、で
ある。見たことがない訳ではなかったが、ムウは改めて目前でそれをみせられてますます呆
れ果ててしまった。
 確かにインドではそういったものを纏う僧も多かろう。だがここはギリシャなのだ。いく
ら世俗を遠く離れた聖闘士といえど、少しは体裁も考えて欲しい。
(あのウスラトンカチ…今までずっとこれを容認してきたとは…! 部屋の中を整えてやる
んだったらついでにブラウスの一枚も用意してやりなさい大ボケェ!)
「やっぱりダメです、シャカ。服を買いに行きます」
「なに? 君は私に命令するのか?」
 シャカが明らかに不機嫌顔になったが、構わずムウは更に高圧的に言った。
「女神のお供を命ぜられたとき、どう対処するつもりです? 十二宮の中なら百万歩譲って
ソレでもいいでしょうが、外には出られません。まして日本になど」
「日本? 何故私が」
 はた、とムウは一旦黙った。
 余計なことは、今は言わぬが花だろう。
「…例えばの話です。女神のもうひとつの故郷なのですから行く機会があるかもしれないで
しょ」
 さあ、とシャカを引っ張って強引に処女宮を連れ出す。
 こんな無理強いをシャカに出来るのは、ムウと、それから噂の当人アイオリアくらいしか
居ない。




「そんな訳で、今日はムウに引きずられてアテネ市街を歩き回らされたのだ」
 シャカの顔には大きく「不満」と書かれている。困難な聖戦も終え、当面目立った闘いも
ないだろうと思われる聖域には、このところずっと十二宮のメンバーが勢揃い状態だった。
要するにヒマなのだ。
「そりゃあご苦労だったな。で、服は買えたのだろう」
 アイオリアは、自分のベッドでだらっと寝そべる美しい恋人(笑)を眺めて悦に入る。
 昼間、あのムカつくすまし顔の羊(←シャカの方がよっぽどだろうが彼にとって恋人の顔
は愛らしい天使以外の何者でもない)が、何故かシャカの話題を持ちかけてきたとき、そう
いえばマトモな普段着をコイツは着ないのだ、とうっかり零してしまったのだ。どうやら本
気でそれを改善しに羊は駆け回ったらしい。
「両手で持てぬほど買わされた。処女宮に放り込んであるが、置く場所が無い。いずれもう
ひとつ棚でも造るか」
「そういってオレに造らせる気だろう」
「無理強いはしない」
「…決して否定をしないのが、お前だな…」
「真実を見極めているだけだろう」
 シャカはしれっと言ってごろりとひとつ、寝返り。
 そこに、のしりと獅子がのしかかる。
「重いぞ、アイオリア」
「辛抱しろ」
 言いながらくつくつとアイオリアは笑う。別段自分は、袈裟姿でも構わないのだが、確か
に市街に出たいときにマトモそうな服があるならそれもいい。自分には服の善し悪しなぞ判
らないので、下手に無粋なものをこの世俗離れした恋人に無理強いしたくなかったのだが、
結果的にはオーライというべきか。
(悔しいが、あのすまし羊の方がコイツにマシな見立てをしているだろうからな)
「せっかく服を買ったのだ。今度はオレと市街に出ようか」
「君と?」
「たまには聖域以外でふらつく、というのも気分が変わっていいだろうさ」
 それを世間ではデートというのだが、シャカはおろか、誘った当人すら気が付いていない
ところが究極のバカップルである。
「しかし、シャカ」
「ん?」
「ムウのヤツに服を買ってもらったからといって、それを脱がすのまでヤツにさせるなよ。
オレが許さん」
 シャカを下敷きにして、頬にキスをくれてから生真面目に忠告。
 されたシャカの方はといえば呆れ顔だ。
「冗談ではない。何故ムウに服を剥かれねばならん」
 言いながら、ふと「今日聖衣を無理矢理剥がされそうになったのも、行きがけにムウの服
に着替えさせられたのも問題か」とボケたことを心配してしまった。
「男が相手に服を贈るのは、それを脱がす為だと言うではないか」
「贈られたのではなく選ぶのを手伝ってもらっただけだ。金は私が出している。だいたい私
も男だ」
「そうは言うが、お前、オレにはこんなことを許すではないか」
 軽く、首筋に接吻する。白い身体が身じろいだ。
「嫌味な獅子だな、君は。私が誰彼構わずこんなことを許すとでも」
「違う。お前の身を心配しているのだ」
 やがて唇同士が重なり、沈黙が訪れる。再び離れる頃には、シャカは不平不満を述べ立て
るような気分でもなくなり、アイオリアの方もすっかり別の情熱に気を取られていた。
「明日、またお前の部屋を少し模様替えしてやろう」
「好きにしたまえ…」



 一方ムウは、白羊宮でもっそりと遅い夕食を取っていた。
「ムウ様ァ…早く食べちゃってくださいよー。片づけらんないー」
「ああ、もう。自分で後で片づけますからほっといて下さい」
 今日の買い物はとても楽しかったけれど、とてつもなく疲れた。袈裟姿で連れ回す訳にも
いかず、一番最初に自宮に寄ってシャカをどうにか見られる格好にするだけでもひと騒ぎだ
ったのだ。
 その苦労あって、帰りには満足いく戦利品を抱えて帰って来られたのだが。
(今度は普通に、街を歩けますね…よかった…)
 女神が日本への里帰りに、できるだけ見目の良い黄金を数名連れ歩きたがっていることを
ムウはサガから聞いた。まだシャカの耳には入っていないが、いずれ通達が来るだろう。
 自分も含め黄金には相当多種多様?な美形が揃っているが、シャカは、女神の好みからし
てまず絶対に外してこないだろうことは予想済みだった。
 一緒に外国を歩くだなんて、しかもシャカと。
「やってみたい…」
「え、なんですって。ムウ様」
 ムウはちょっと赤面して、ぺぺっと弟子を追いやった。
 まさか世俗に最も疎いだろう、最も神に近い男が、こともあろうに自分の大嫌いな獅子ご
ときと「所謂恋仲」になっていることなぞ今はまだ露知らず、ムウはぼんやりと暢気な妄想
に浸り続けたのであった。











お題にちっともなってない。「服」ってことで。それとムウ様ごめんちょ、ダシ扱い><