シェスタ




 アイオリアが午前中の鍛錬から自宮に戻ってくると、プライベートエリアの方からふと慣れた気配が感じ
られた。
 ほのかに甘く柔らかな、彼にとってはこの十二宮の中で最も馴染んだ小宇宙だ。
「…シャカ…? 来ていたのか?」
 アイオリアはとるものもとりあえず寝室へ直行した。シャカの気配は穏やかでごく薄く、眠っているだろ
うことはすぐに予想がついた。ただでさえ低血圧気味で午前中いっぱいをまどろみで過ごしているくせに、
午後になったら今度はシェスタか。アイツはきっと一日の8割は寝ているに違いない。そんなことをぶつぶ
つ文句つけながらも、さっと扉を開ける。
 シャカは居た。
 やっぱり寝ていた。しかもアイオリアのベッドを我が物顔に占拠していた。部屋の主が帰ってきても一向
起きる様子もなく、ただ無防備に寝顔を晒す。アイオリアは近づき、その顔を覗き込んだ。
「…猫みたいだな…」
 自分が居ない間にベッドを占領されたことなど、何も今日が初めてではない。アイオリアは隣人が安心し
た風に眠るのをむしろ嬉しそうに眺め、小さくため息を零した。覗き込んだついでに顔にかかる金の髪を指
で払ってやると、珍しいことに紺碧の瞳がゆるゆる半分ほど開いた。
「……アイオリア…?」
「起きたのか? まだ寝ていていいぞ」
 俺も昼飯食ったら寝るから。そう言ってくしゃりと頭を撫でる。うと、と目が閉じた。本当に猫みたいだ
と感心しつつ、その場を離れる。
 カラスの行水もマッサオなくらいのスピードで汗を流し、洗い立てのシャツに着替え、簡単なサラダを用
意してパンと共にほおばった。どうせ寝ていると思いつつもつい急いでしまう自分にちょっと笑う。
 天気は今日も上々だ。つまりこんな昼下がりは誰だって眠くなる。だからといってシャカは少しばかり寝
過ぎだとも思うが、叩き起こす気なぞさらさらなかった。
 シャカが「シェスタ」と称してこの獅子宮までわざわざ降りてきてから昼寝し直すようになったのは、も
う随分昔からだ。ミロと二人してこの近辺での慣習を教えてやったときシャカは神妙な顔で「悪くない」と
呟いていた。どうせいつだって瞑想しながらうとうとしているだろうに、決まり事のような時間割のような
そんな慣習が彼のお気に召したらしい。でも、それなら一人で寝ても構わないハズなのに、シャカは必ずこ
の獅子宮に降りてきた。せいぜいが月に一度といった頻度で、それはむしろシャカ当人の決め事のように思
えた。
 別に、困ることではない。いつもいくら呼んでもナカナカ自宮から出てこない彼が、どんな決め事であれ
自主的に降りてきて傍に居てくれる。そんな日はめんどくさがる食事だってちゃんと摂る。喜ばしいことば
かりで何を文句言う必要があろうか?
 アイオリアは寝室に戻った。シャカはさっきと同じ姿勢のまますやすや寝ていた。柔らかな小宇宙が一層
ぼんやりと薄くなっていた。これが最も神に近い男とは、とアイオリアは思わず苦笑する。
 敵が来たらどうするのだシャカ。こんなに無防備で。こんなに緩みきって。寝顔なんか少女みたいだぞ。
(イヤ顔は関係ないか)
「おい、少し脇にのけ。俺が入る余地が無いではないか」
 アイオリアは無造作にシャカをすくいあげるようにして、寝る位置をずらした。シャカはくたりとなすが
ままだ。今度は目は開かなかったが、小さな声で「リア?」と呟いた。
「日が落ちたら散歩にでも行こう。お前、動かなすぎだ、いくら瞑想が鍛錬とはいえ怠けすぎだぞ」
「…ン…」
 また、さっきのように乱れかかる髪の毛をなでつける。シャカは(普段起きている状態でなら有り得ない
ほどに)従順だった。どれほど神に近くても睡魔には勝てないらしい。それどころか寝起きの悪さは十二宮
内で間違いなく一・二を争うだろう。そんな隣人の様を間近で見るにつけ、アイオリアは不思議ととてつも
ない幸福感に満たされた。
 本当は知っている。自分以外の他の誰にも、シャカはこんな寝顔を晒しはしまいと。
 彼がその気なら、きっと幾晩も眠らずに正気を保てる。処女宮で自宮を守護している間、例えどんなに深
い眠りにおちていようと、邪悪な気配を髪の毛ひと筋分でも感じたら間違いなく即座に起きる。まして傍へ
近寄れば、必ずシャカは気が付く筈…。
「だがここはお前の宮ではないからな」
 アイオリアはそっと呟いて、シャカの隣りにゆっくりと横たわった。自分よりずっと細い身体をなにげな
く自分の方へひきよせて、目を閉じる。優しい小宇宙の波動が直接肌に伝わってくる。
 …もうすっかり慣れたそのあたたかな感触。その、充足感。
 アイオリアは、この役得は例えどんなことがあろうと、絶対に誰にも譲る気は無かった。



 ほにゃり、とシャカの目が開く。見たことのある人間はとても限られているが(例えば今傍にいる獅子座
とか)シャカは寝起きのまどろみ状態ではわりと頻繁に目を開く。もっとも半分も開くとすぐ閉じてしまう
のでせっかくの青い瞳の色を確認できるチャンスは少ない。
「………」
 気怠い眠気の中で、幼い時から良く馴染んだ獅子座の気配が傍に有るのを確認し、ほっと息をついた。
 アイオリアは良く眠っている。起こすのは忍びない。
(…もう少し、いいか…)
 シャカは懲りもせずまた目を閉じた。無意識のうちに彼の温かな胸元へすり寄って。
 どうしてか、…どうしても、本当に眠りたいときはこの獅子座の傍がいい。理由は何故か、シャカは深く
考えないでおいたのだけれど。
 シャカはちらと閉じたままの目で外の様子を確認した。陽はようやくオレンジの色彩を帯びて辺りの岩山
を照らしつつあった。











2004年獅子乙女祭に出展させていただいたものです。
管理者様ありがとうございましたvお疲れさまでした。