寝起き





                                             



 しまったな、と獅子座の聖闘士はどこか緊張の足りない風情で、それでも今日これからの「仕事」
を憂慮し眉根をひそめた。

 傍らには乙女座の聖闘士。一糸まとわぬ白い裸体は朝日を浴びて一層眩しく、柔らかな淡い色あい
の金髪は驚くくらいさらさらしていてとても綺麗だ。寝相のいい彼がめずらしく猫のように背を丸め
くたりと力無くベッドに横たわる様は気怠げで、けれどやはり美しい。
 獅子座レオのアイオリアも、また乙女座と同様すっぱだかだった。
 理由は明白で、アイオリアは先頃ようやく「長年の友人」から「恋人同士」に昇格できた嬉しさの
あまり、連日連夜この美しい恋人の肉体を堪能している最中なのである。
「…おうい、シャカ。起きれるか?」
 いつもより青ざめた感のある白い面をのぞきこみ、長い睫毛で両眼がしっかと閉ざされたきりぴく
りとも動かないのを確認した上で、それでもアイオリアは声をかけてみる。なにしろこの友人…もと
い恋人は、普段から目が見えない訳でもないのに滅多に目を開かない。目を閉じているからといって
起きていないとは限らないのがシャカ、である。
 だが、何度呼びかけても一向いらえはない。これは熟睡パターンだ、とアイオリアは判断し、また
むむむと眉をしかめた。やはり、少し愉しみが過ぎたか。
 もともとシャカは朝に弱かった。少し(?)低血圧なのだろう、修行と称して瞑想する毎日を送っ
てはいるが、その午前中はほとんど微睡みに近いものだった。起きていない訳ではない。どこでどう
調達したものか、自宮の一角にご大層な蓮の台座をしつらえてその上で日がな一日食事も摂らずに瞑
想する。アイオリアに言わせればそんなものは修行でもなんでもなく、ちっとも身体を鍛えず飯もろ
くに喰わず陽にも当たらないからお前は貧弱なのだ、とよく噴火し、そのせいであやうくシャカと千
日戦争を始めそうになったりも、した。
 そんなシャカに、連日明け方くらいまでハゲシイ運動を強いていれば、ますます朝起きられなくな
るのはアタリマエであろう。しかも相手がよりにもよって獅子座。体力自慢と厳しいトレーニング内
容では黄金面子の中でも一・二を争うアイオリアだ。
「…しかたない。もう少し寝かせておくか…」
 アイオリアは愛おしい恋人(笑)の額にそっとキスを残し、自らは立ち上がって服を纏った。この
ままもう少し傍に居たいのは山々だったが、そうすると凝りもせずまた情欲が身の内からわきあがっ
てくるだろうことも判っていたので、諦めてしおしおと寝室を去る。出かけるまでにもう一度起こし
に来て、それでもどうにもならなかったら、女神にシャカの「病欠」を報せるつもりだった。



「…まあ、シャカが…お休み…?」
 女神沙織は、珍しく聖域に戻ってきていた。本来動かざるべき彼女のテリトリーに本人がなかなか
居ないというのは結構深刻なのかもしれないが、なにしろ聖戦後なので皆けっこうお気楽極楽になっ
ている。まだ少女といって差し支えない女神が第二の故郷・日本を中心に行動しているのも、むしろ
やむを得ない了解事項なのだった。
 女神は、聖域に戻るとまず翌朝必ず十二宮の全員を教皇の間まで集める。むろん、教皇は聖戦後に
女神の力で強引に現世へ引き戻された元・双子座のサガである。双子座の黄金聖衣はサガを教皇に任
命する際、弟のカノンに譲られた。これでアイオロスさえ甦ってくれたら全員そろったのに、と女神
は残念そうだったが、アイオロスはハーデスの誘いも退けた意思の持ち主だったため、女神沙織の力
をもってしても呼び戻すことが敵わなかったのだ。
 ちなみに、前教皇シオンは261歳の肉体(!!)に戻ってしまったので、やはり今更呼び戻すこと
はかなわなかった。シオンも老体で激務は辛いだろうからそれでよかったのかもしれない。
「…は、顔色も優れなかったようなので、代わりにレオのアイオリア、お詫びの言葉を預かって参り
ました。来週は必ず…」
 しぶい表情でアイオリアは深々と頭を下げる。黄金連中の残り全員がいかにも不審、といった目で
自分を睨んでいるのが手に取るように判る。
「判りました。くれぐれもお大事に、と伝えてください。では残りの者で朝儀を」
 女神はそういって神殿の方に下がった。彼女がこちらに戻ってくるようになって、教皇宮や女神神
殿に仕える侍女たちの数が格段に増えているのが判る。今もそそくさと侍女たちの数人が女神を追っ
て下がるのが見える。
「今週のおおまかな予定だが…」
 教皇のサガが、話を始めた。これも聖戦が終わってからできた十二宮の慣習だった。もっと聖闘士
同士団結し、互いの理解を深めようと女神がもちかけたのだ。週一での朝の会議。決めることは大事
なこともあるし、たあいのないことも多い。
 ああ、あいつが可愛いのがいけないんだ。アイオリアはとんでもなく責任転嫁な愚痴を脳内で回転
させていた。だいたいあいつは体力が無さ過ぎる。そりゃあ昨日はちょっと酷くしすぎたかもしれな
いが、徹夜させた訳じゃないし、一時間は余分に寝かせてやったのに。
 シャカが聞いたら噴飯ものの文句を並べたてるアイオリアの意識に、ところがイキナリ攻撃的な小
宇宙が突き刺さってきた。アリエスのムウだ。
<アイオリア…貴方頭の中がピンクになってますよ…シャカの具合が悪いだなんて、絶対に貴方のせ
いでしょう>
 ムウの声はその場に居た黄金たちの数人にも聞こえていた。
 アイオリアはあわてて返した。
<おっ…俺のせいばかりではない! あいつはもともと朝に弱いんだ!>
<もともとって何ですか。貴方一体シャカに何をしたんです>
 何ってナニに決まってるだろう、とはさすがに言えまい。ムウは判っていて強烈な嫌味を吹きかけ
てくる。実のところムウはシャカを個人的に非常に好いているのだ。ジャミールで隠棲していた長い
年月の間も交流があり、一見傍若無人で果てしなくエラソウな乙女座の内面を伺い知る数少ない友人
として、影ながら見守ってきた。
 けれどまさかあの高潔な魂に手を出そうとは思っていなかったのに。
<なにって…いや、その、それは…>
<やましいことがあるんですね。女神が知ったらどれほど悲しむか>
 いや、男同士とはいえ他人の(しかも黄金連中の)恋愛沙汰にまで女神は口出ししないだろう。む
しろ面白がるかも…しれない。
<無体な仕打ちをされて熱でも出しているのでしょう。シャカは貴方のような筋肉バカじゃないんで
すよ、少し考えたらどうです?>
 ムウの言葉はどこまでも辛辣だ。その内心はといえば、獅子座が乙女(笑)の純潔を汚したと知り
猛烈な対抗意識を燃やしているだけ、なのだが。
 傍で漏れ聞いていたのはサガ・カミュ・カノン、そしてデスマスクだった。カミュはだいたいの経
緯を知っているのでため息だけで済ませたが、残り三人は獅子VS羊織りなす言葉の応酬に少なから
ず驚愕したようだった。
 アイオリアと…シャカ…が…なんだって???
<貴様に言われるまでもなく俺はシャカを大切に扱っている! あいつはただ朝に弱いから、今日は
どんなに叩き起こしても起きなかったんだ。そんなあいつを無理矢理聖衣着せてひきずってこいとで
もいうのか>
<朝に弱いと知っているなら、何故朝儀に出てこられるよう体調を気遣ってやれないのか、と私は言
ってるんですよ!>
 アイオリアは小さく舌打ちした。
 ベッドのシーツで簀巻きにして連れてこようとさえ、うっかり思ったのだ。あんまりすやすや寝て
いられてうらめしくなった。業を煮やし、思い切ってベッドから床に転がり落としたというのに、天
魔降伏を覚悟して構えたアイオリアの目の前で、シャカはそれでも微かな寝息を崩すことはなかった
のだ。
「おい、サガ。黙ってないで続きを言えよ」
 ミロが不意に声をあげた。そこで全員がはたとミロを見やる。小宇宙と小宇宙の会話ばかりで、現
実には不気味な沈黙が横たわっていたのだ。ちなみにアフロディーテはシュラと小さな声で密談し、
当のミロもアルデバランと「地元でちょっと美味しい店」の噂を持ちかけていた最中だったので獅子
座と牡羊座のケンカは聞いていなかった。だがさすがにこんなに沈黙が続くと不気味だろう。
「あ、ああ…すまん」
 サガは気を取り直して、手に持った書類を読み上げ始めた。アイオリアもムウも、それでどうにか
黙り、一応の舌戦は終了する。だが、帰り際にまた勃発するだろうことは明らかだった。



 アイオリアが、無人の処女宮を過ぎて自宮まで戻ってくる。心配そうにしていたカミュや、カミュ
からこっそり成り行きを聞いたらしいミロももう居ない。デスマスクはさっさと一人で降りていて、
残っているのはカノン、アルデバラン、そしてアイオリアとムウであった。
「…なんで常からシャカが貴方の宮にいるんです」
「こっちで寝泊まりすることがあるんだ。文句を言われる筋合いじゃない」
 カノンは「へえ」と面白そうに見守っている。兄と違って楽天的な性質を持つカノンは、どうやら
獅子座と乙女座がやんごとなき仲と気が付いて興味を抱いたようだった。ちなみにアルデバランは事
の経緯をまったく理解していないらしい。
「…じゃあな。俺はここで」
 やっと自分の宮に戻ってきてアイオリアはひとまずほっとする。うるさいムウをはねのけて、さっ
さとシャカを起こしにいかなければ。あの分ではまだきっと寝ているに違いない。
「見舞いにいきたいのですが?」
「断る。来週は連れていく、それでいいだろう」
「……連れて行くって…貴方の所有物みたいな言い方はやめてもらえませんか?」
「だからなんだって俺にそうかみついてくるのだ、ムウよ」
「貴方が無神経だからですよ」
「…あのな…」
 アイオリアがなんとかこの羊を黙らせる方法はないものか、と逡巡したその瞬間だった。すいと
プライベートエリアの方から白い影が現れ、こちらに近づいてくるのが見える。シャカだ。
「…リア?」
「どわっっ!!!」
 悲鳴?をあげたのはなんとアルデバランだ。ムウもカノンも呆れて口を開けた。アイオリアは思
わず女神の御名をあげて祈った。なんとあられもない姿で!
「…ああ…朝儀に間に合わなかったのか…起こしてくれればいいものを、リア」
 シャカは、スカートのようにだぶついたでかいTシャツ一枚のみだった。下はナニも履いている
まい。しかも素足。
 アルデバランが一番驚いたのは、多分彼が一番シャカのこんな一面を知らなかったからだと思わ
れた。多分デスマスクやシュラ、アフロディーテが見たとしても凄い悲鳴を上げただろう。惜しい
ものを見逃した…と思うかどうかは個人差だろうが。
「天地がひっくりかえるくらい起こした。起きなかったのはお前だ」
「そうなのか」
 唖然とする残りのメンバーの前で、シャカは(本人は自覚がないがまるで嫣然と)髪をかきあげ
小さなあくびをもらした。
「おまえ…俺のシャツをまた着て…」
「他に見あたらなかった」
「昨日のお前の服はみな洗濯に出したのだ」
「では今日一日コレしか着るものがないということであろう」
「だからそれは俺のだ」
「ではなにかね、君は私に裸でいろと」
「そうは言っておらん。しかしどうせ着るならもう少しマトモに着てこい」
 ムウが、がたがたと震えだしている。清らかな友人が獅子ごときに陵辱され、しかもこんな風に
飼い慣らされ(??)ているとは許し難い!!!
「シャカ…大丈夫ですか? 具合が悪いと…聞きましたが」
 シャカはムウに視線をやった(実際には開けていない)。軽く頷く。
「悪くなどない」
「でも、顔色がなんだか真っ白ですよ。ご飯はちゃんと食べていますか?」
「…昨夜はアイオリアに吐くほど喰わせられたので当分もつ」
「当分って…獣じゃないんですから一日三食…いえせめて二食は…」
「問題ない」
 言って、シャカはムウのがっかりしたような顔に気が付く。ちょっと黙ってから、また口を開い
た。ムウが何故か自分をとても気に掛けてくれるのを昔から良く知っているので。
「…今度また機会があったら食事に誘ってくれたまえ」
「え。ええ。それはもちろん!」
 だが、シャカの次の言葉にまた撃沈するムウ。
「よかったら、アイオリアも共に」
 横で、多分一番客観的な立場であろうカノンが盛大に吹き出していた。



 アイオリアは、台風のような客人が去って獅子宮が静まりかえるのを待ち、やっと恋人と数時
間ぶりにふたりきりになる。シャカの額には、後でよくみたら小さな打ち傷が出来ていた。これ
は今朝方ベッドから床に叩き転がしたためだと思われる。余計なことを言って天舞宝輪をみまわ
れるのはイヤなので、適当にアイオリアは言いつくろった。シャカは疑いもしなかった。
「しかし、何故そんなに寝くたれていられるのだ、シャカよ」
「そう言われても、寝ているときにまで己は制御できぬ。防御小宇宙を張り巡らせておくくらい
がせいぜいだ」
「そんなものを俺の傍で張らなくてもいいから」
 シャカの目がふんわりと開くのをアイオリアは見て、よしよしと抱き寄せた。この時間でもま
だ半分しか開いていない。完全に開くのは昼過ぎになろう。
「まだ眠いのだな…お前はまるで猫だな」
「そうか…?」
「来週は必ず朝儀に出るのだぞ。ムウと要らぬ言い争いまでしてしまった」
「ムウと…何故?」
「さあてな、俺が嫌いなんだろう」
「?? ムウは理由もなく他人を貶めるような人物ではない」
「どうだか」
 ここまできてムウが嫉妬の炎を燃やしていると気が付いていない獅子。そしてまるきり判って
いない乙女も乙女であった。



「ムウ、お前アレにちょっかい出すつもりでいるのか?」
 カノンがムウに余計なことを口走っている。ムウはぎろりと元・海闘士であるジェミニの弟を
睨み付けた。
「はしたない物言いはやめていただきましょうか。私はシャカを大切な友人と思っているだけで
あって、あのバカ獅子とちゃちな恋愛騒ぎを起こすつもりは毛頭ありません」
 じゃあさっきの騒ぎはなんだったんだ。と突っ込むほどカノンは愚かではない。
「そうだ、獅子宮から少し遠ざけるのも手ですね。夜な夜なあのバカ獅子に無体をされるくらい
ら、ちょっとジャミールにでも誘って…」
 拉致って…閉じこめて? それも十分ヤバイんでないのか。…ともカノンは言わない。言って
スターライトエクスティンクションをくらうのはまっぴら御免だ。そうでなくても兄弟げんかの
度にアナザーディメンションをくらっているというのに。
「聖衣の修復とでも理由がつけば…バルゴの聖衣を壊してしまうというのが一番てっとり早いん
ですが…さすがにあのシャカの聖衣となるとそう易々とは…」
 アルデバランが、不穏なアリエスの言葉に青くなった。この美しい隣人はみかけによらず酷く
気性が激しい。それは良く知っている。
「お、おいおいムウよ、あのシャカに私闘を持ちかけるつもりでおるのか? それはやめた方が
…だいたい我らは私闘を禁じられているし…」
 ウソだ。カノンは更に内心でつっこんだ。私闘でなかったら毎日そこかしこで繰り広げられて
いる(らしい)バカ騒ぎはいったいなんだと? 海底神殿と違ってこの聖域は本当に毎日騒がし
い。十二人もヒマな黄金+教皇が揃っているからだ。
「別にシャカと闘おうだなんて思ってませんよ。もっと上手い手を考えます」
 上手い手ってなんだ、とはさすがのアルデバランも言えなかった。ムウはにっこりと優しい笑
みで「単なる想像ですから」と付け足したが、彼の性格では遠からぬ未来に綿密な計画を練るだ
ろうことも容易に想像できた。カノンはため息をもらした。
 多分、共犯ということになるのだろう。彼の呟きを無理矢理聞かされただけなのだが。
「もう少し静かなトコだと思ってたんだがなあ…聖域…」
「なんです?」
「んにゃ、なんでもない」




 翌週、シャカが半分しか開かない目を開いて教皇の間にやってきた。
 それを見てアイオリア以外の全員が「目が!!!」と恐れたじろぎ、またひと騒ぎあったこと
も付け加えておく。













ムウ様腹黒過ぎゴメン! 大好きなのに><