ひかりあふれるもの





                                             



                                                     
     その日、ミロは朝から宝瓶宮を訪れていた。
 シベリアの東に弟子たちと共に引っ込んだきり、なかなか聖域に顔を出さなくなった友人、つまり宮の主が久々に戻ってきたからである。ミロの住まう天蠍宮は当然十二宮で数えて宝瓶宮よりも下。カミュが自宮まで昇ってゆく為にはミロの居る場所を通り過ぎる成り行きとなる。
 そうして親友同士の間で、たちまち談話の計画が出来上がった。ミロが宝瓶宮を訪ねると申し出たのは、単純にその方が長く話が出来るというのと、それからひどく陽射しがきつく、…まあぶっちゃけ今日も暑くなりそうだからであった。
 カミュの宮が他のどの宮よりも涼しいのは、長年つきあってきたミロが一番知るところでもある。理由・もとい原因は言うまでもあるまい。
「しかし、勅命でもないのに珍しいな。お前が聖域に戻ってくるなんて」
 ミロが、勝手知ったる友人のプライベートエリアでソファの一角を陣取ってさっそくくつろぎモードになる。勿論ラフな私服で聖衣なぞは纏ってこない。必要ならばどんな彼方からだって呼べるし、だいたい必要になることもないだろう。
「用が無いと戻ってはならんのか? 一応ここも私の住まいなんだが」
「だってお前、俺がたまには十二宮にも顔出せよって誘っても、いつも「用もないのにいちいち戻っていられるか、忙しい」ってつっぱねるばっかだったろ」
 忘れたとは言わせないぞとミロの深青の瞳がきろりと友人を睨む。その姿はもういい加減いい大人だというのに、ちょうど反抗期と理性の間で揺れてるくらいの少年の姿を思わせて、カミュは不謹慎にも苦笑してしまった(もちろん内心のみで)。
 別に、カミュは友人を邪険にしたつもりはない。ただ本当に、少しタイミングが悪かっただけだ。きっと。
「離れられない時期もある。今日はこうして戻ってきているではないか」
「ま、そうだけど」
 いっそ氷河も連れてくりゃよかったんだ、とミロが言うとさすがにカミュはとんでもないと一蹴した。
「この神聖な十二宮に、守護人以外の部外者をおいそれと入れられるものか。女神に対して恐れ多い。公私混同が過ぎよう」
 それに十二宮区画は基本的に立ち入り制限がある。入れない訳ではないが、通常でも一応許可が要る。宮の守護人が全員見逃してくれれば別だろうが。
 ミロは判った判った、と友人を制した。何も本気で氷河を連れ込みたかった訳ではない。ただ思いついただけだ。
「ていうか、そもそもそういう制限区域を住居代わりにしなきゃならないってのがそもそも非合理的だと俺は思うんだけどさ」
「それより、お前も弟子をとって十二宮外に住まいを構えたらいい。悪くないぞ」
 このときとばかり親バカのような幸せそうな笑みでカミュが言うものだから、ミロはちょっとだけ悔しくなってしまった。
 弟子か。…弟子なんか、めんどくさいだけだ。自分を律することだけで俺は精一杯だというのに。
「うーん、俺はいいや。お前んとこのチビ見てて満足してるし」
 それより、とミロはため息をついた。
「腹減ったなあ、なんかブランチになるようなもんないのか?」
 カミュは表情ひとつ変えずさらっと応答する。
「長いこと留守にしていたこの宝瓶宮に、そんな気のきいたものが保存されていると思うのか?」



 何も持たずに帰ってきた友人にとりあえず文句をたれてから、ミロは自分の選ぶべき選択肢を考えた。まず、天蠍宮まで戻って何かを取ってくること。或いはそのまま再び友人をここから連れ出すこと。
 飯は無くとも酒ならあると聞いてちょっと逡巡したのだが、カミュの愛用ではどうせ空腹でイキナリ流し込めるようなシロモノでもないだろう。それにカミュも数日はゆっくりするつもりだろうし、二人で街に出るというのも悪くない選択肢だった。
 諦めてミロは友人と共にプライベートエリアを出ることにした。
 ちょうど、そのときだった。
 シャカが双魚宮の方から降りてくるところだった。きらきらと輝く黄金の聖衣を纏っている。
「……シャカ」
 ミロがびっくりして茫然と呟く。シャカが自宮よりも上に来ることなぞ一体何年ぶりのことだろう。
「珍しいとこで逢うな、どうしたんだ?」
 ミロは相変わらずひとかけらの感情も示さないシャカの白い顔を懐かしそうに見て、ごく普通に話しかけた。シャカは目を閉じたまま、その場で立ち止まった。
「…教皇の間まで用があるといえば、勅命しかなかろう」
 いや、まあそうなんだけど。ミロはちょっと肩を竦める。切って捨てるような言われ方にはさすがに気さくなミロにも抵抗がある。(アイオリアに言わせればそんな気がす
るだけで、当人:シャカは彼なりに生真面目に答えているだけだそうだが)
「じゃ終わったんだ。それともこれから行くのか」
「済んだ」
「そっか、そりゃごくろうさま」
 そう言った途端、シャカがちょっと意外な表情をしたのが気になったが、ミロは構わず続けた。
「そういやいつの間に十二宮に戻ってきたんだ? 気が付かなかった」
「…多分君たちよりもずっと先にここまで昇っていたからな」
 シャカは小さなため息を零した。その吐息はいつも淡々とした彼には似つかわしくなく、やや疲れた彩りが混じっていた。それもまた気になった。
「ミロ、用向きはそのくらいかね?」
 シャカが、ずっと引き留められていることに辛抱たまらなくなったのか、とうとう自分から口を開いた。
「私を、この場に留め置きたい明確な理由がない限り…、私は処女宮に戻ろうと思うのだが、構わないかね?」
 あえて「戻りたい」と言わないのはシャカなりの気遣いだったりするのだが、勿論ミロが気付く訳もなく。
「…あ、ああ、そっか。悪かったな」
「イヤ…」
 シャカは微かに頷いてみせ、そうして再びすたすたと歩き出した。ミロの隣りでずっと沈黙を守っていたカミュも、淡い金の髪がさらさらと踊りながら目の前を通り過ぎるのを何とも言えない顔で見守り続けた。



「お前はあのシャカ相手に、よくも会話ができるものだな」
 シャカがすっかり姿を消してから、カミュは不意にそう言って振り向く。これもミロしか知らないのだが、カミュは結構自分の身内以外には壮絶に冷淡な一面があって(自分が身内だから言える言葉だ)、もっと極端に言ってしまうと、カミュはミロ以外のたいていの黄金たちを好いてはいなかった。
「そうか? タダの挨拶だろ。いくらなんだって無視し続ける訳にもいかないしさ」
「しても向こうは気にしないだろう」
「そうはいっても、俺は気分悪いんだよ、そういうの」
 カミュは苦笑した。
「お前は判りやすいな」
「ふん、別にいいだろ」
「誉めてるんだが。…シャカなぞ人形のような顔をして何を考えているか全然判らん。不気味すぎる」
 誉められているとはとても思えない言葉に、しかしミロはもう反論しなかった。代わりにふと思い出したことを言ってみる。
「まあ、…あれでいて中味はただの世間知らずな生娘だ、とアイオリアが評していたがな…」
 ミロは、言いながら「神に最も近い男相手に生娘みたいだ、もないもんだ」と激しく自分でツッコミを入れた。ただし、内心で。
「アイオリア? シャカとは親しかったか?」
「まーな。隣り同士、近所付き合いがあるんだろ」
 二人はようやく呪縛から解かれたように、歩き出していた。
「想像を絶する組み合わせだな…水と油…いや火と水のようだが…」
「俺も最初意外だと思ったんだけど、正反対だから逆に合うんじゃないのか」
 実際アイオリアとシャカとが会話をしている場面は、ミロは2度くらいしか、見たことがない。どちらも他愛ない日常会話で、口数が少なく不精な乙女座を父親のように獅子座が世話してやっているように見えた。多分、自分が居ないところでもそこそこ頻繁に行き来があるのだろうと思う。
「だいたいさ、宝瓶宮は遠いんだよ」
 ミロは突如こみ上げてきた不満に、ふん、と軽く鼻を鳴らした。
「お前はちっとも帰ってこないし、無人の宮は多いし、しかも俺両方とも隣り空いてるし、半分以上上なもんだから、出逢うヤツっつったらお前以外だとアフロかシュラくらいなんだぞ。…まあたまに教皇と…あと雑兵どもはともかく」
 シュラは一年の半分を外で、残り半分を中で、と区切って生活しているらしい。なのでしょっちゅう顔を合わせる時期もあるし、このごろはまったく見なかった。出ているのだ。
 アフロディーテは故郷に帰ることもあるが、専ら大切にしている自宮のバラ園を世話することに忙しいらしい。同じ十二宮に居る筈なのに、めったなことでは降りてこない為、やはりそんなに顔を合わせることはなかった。買いだしなどは雑兵を走らせて決して自分では足を運ばない辺り、けっこう不精なのではと思う。
「十二宮も当番制とか決めて少し頭数揃えたらいいんだ。いつもいつも俺かアイオリアが留守役なのは不公平だ」
 それは、たまたまその二人がギリシア出身で、十二宮以外に目立った居を持たないからである。
「だからか、シベリアまでしょっちゅう来るのは」
「いいじゃないか、お前の弟子達の修行の邪魔はしないだろ」
「当たり前だ」
 と、十二宮の階段を次の魔羯宮まで半分ほど降りたところで視界に金髪の後ろ姿が見えた。シャカだ。そんなに急いだつもりはないが、まさか普通に歩いていて追いつこうとは思っていなかった。
「あ」
「…」
 しかも、シャカは道を少し外れた崖ぎわにしゃがんでいた。今度こそ無視して通りすがるべきだろうかとミロもカミュもやや緊張した面もちで近寄る。が、彼が血塗れの何かを抱えているのが見えて二人ともぎょっと足を止めた。
「…シャカ??」
 シャカは、すぐには振り向かなかった。
 抱えているのは五体をずたずたに引き裂かれた何か動物の死骸だった。まさかシャカの逆鱗に触れて殺されたのか?とさえ危惧してしまったが、シャカはゆっくりと二人の方を向いて、言った。
「猫が…猫がカラスに食われていた」
 更に驚いたことに、シャカは目を開いていた。何もそんなむごたらしい死骸を前にして開けなくても良いだろうに、と咄嗟にミロは思った。カミュは、多分その時はじめてシャカが開眼したのを見たのか、別の意味でひどくたじろいだ。
 真っ青な、何もかもを見通すかのような美しい双眸。
「おい。もう死んでるんだろ、そいつ」
 ミロはたまりかねて言った。シャカはちょっと戸惑ったように、足下を見た。にい、
と細い鳴き声がした。ミロは更にぎょっと飛び退いた。
「げっ生きてる?」
「いや、これは死んでいる。今鳴いたのは、それの、子供だ」
 シャカはそう言ってようやく肉塊を手から放した。代わりにその血塗れの手で、やはり血と泥まみれの子猫を拾い上げる。ふわりと掌から淡い光が零れた。
「…自然の摂理は黙って見届けるべきだと思ったが…親猫の情念に惹かれて足を止めてしまった。一度手を出してしまったゆえ、最後まで面倒を見るのも義務であろう」
 哀れな肉塊と化した親の方にちらと青い瞳を向ける。
「こういう場合は…燃やすのか、埋めるのか、流すのか。それとも朽ちるがままにしてやるのが情けか」
 どうやらそれを逡巡していたのでしばらく抱きしめていたようだ。ミロはなんとも言えない顔でカミュを振り返ったが、彼もやはり無言だった。
「…埋めてやれよ。シャカ。手伝ってやるから」
 ミロはあんまりいたたまれなくなってついそう言った。相変わらず一片の感情も面に出していない白い面に、どこか、張り裂けそうな痛みを感じてしまったからである。
「そのまま放置しとくと、掃除係の雑兵どもが気持ち悪がって肥溜めに放り込んじまうぞ。埋めてやれ」
 ぱちり、と青い目がまたたいて、頷いた。カミュが、ミロを一度振り向いて確かめるような目線を送ってから、適当な岩の上にひらりと飛び乗った。一拍置いてガッ、と衝撃が走る。道から離れた岩場に大穴を開けたのだ。僅かだが土の部分も露出した。
 シャカの目の前に、ミロも来た。黄金色の小宇宙が親猫の遺骸をつつみ、カミュの開けてくれた穴へと移す。その上から砕かれた砂や土塊が豪快に舞い落ちた。
「カミュ、もすこし小さな穴開けてくれよ。目立ちすぎ」
「いいではないか、畜生とは言え神聖な墓標だ」
 シャカは、そんな二人をどこか不思議そうな目で見守っていた。何に対して敬意を払っていたつもりだったのか、彼はしばらくそのまま、目を閉ざすことはなかった。



 結局ミロとカミュは、シャカを連れて十二宮の階段を下りることとなった。
ついでに言えば子猫も共に。血塗れのシャカも子猫も放っておく訳にはいくまいと二人ともが心配になってしまったのだ。
 天蠍宮まで降りてきた二人はまず二手に分かれた。シャカ係と子猫係だ。
 カミュは子猫を温かなお湯と毛布とで洗礼し、ミルクを与えた。ミロ愛用のコーヒー用クリームをお湯で溶いたものが間に合わせの食料だった。これから街に出るつもりだったのだから、シャカには猫缶でも買わせなければ、と画策。すっかり手伝う気になっている。
 シャカ係を受け持ってしまったミロは、なにを置いてもまず風呂だ、と聖衣ごと湯船に彼をたたき込んだ。シャカの方も、いつもだったら無礼な、と怒り出して天舞宝輪でもくらわしてきそうなものだが、大きな借りを作ってしまったと思っているのだろう、神妙にされるがままだった。
 一度、お湯を流しただけで出てきそうだったシャカをもう一度ボディソープと共に湯船にたたきこみ、髪の毛をソレで洗いそうになったところをすんでのところでとめ、やむを得ず(恥ずかしかったが)聖衣やアンダーウェアを洗ってやり、なんと髪まで洗うのを手伝ってやった。(シャカがそのとき「アイオリアみたいだな」とぼやいていたが 恐ろしさのあまり聞かなかったことにする)
 更に、ミロは自分の持ち服の中から無難なシャツとジーンズを貸してやる。足の長さはほぼ一緒なのにシャツのサイズがぶかぶかなのが気にくわなかった。決して太ってなぞいない筈だぞ!俺は!
「おまえさあ、何も素手で触ることはないだろ」
「……何故?」
「何故って……」
 まあいいや。ミロは追求するのをやめた。そして、大変不本意ながら、アイオリアがシャカを「無垢な生娘」だと形容したことを認めないわけにはいかなくなった。これでもっと無骨な男だったら野生の獣とでも形容するのだろうか。しかしいくらそこここで「粗野」としか言いようのない素振りをされても、シャカほど容姿が整っているとどう もあどけなさに騙されているような気になってくる。詐欺だ、ミロは思った。
「終わったのか。…シャカのそんな服装を見るのは初めてだな」
 カミュが子猫と共にやってくる。シャカは甘んじてその言葉を受け止めた。
「で、買いだしに行くのだろう? ミロ」
「あっそうだったな」
 シャカは首を傾げた。カミュは「いい機会だから」と続けた。
「シャカ、お前も来い。猫にまで断食をさせる訳にはいかんのだからな」
「………わ、わかっている…」
 珍しい、シャカがどもっている。よほど動転したらしい。
「アテネにいいペットショップがある。案内してやろう」
「ペット…ショップ?」
「お前が常日頃何を喰っているのかは知らんが、猫はお前と同じものを喰う訳もいかんのだぞ。それも判っているのだろう?」
 何故か勝ち誇ったかのように言うカミュを横目で見て、ミロは思わず内心で笑い転げてしまった。ついさっきまで不気味だとか言っていた当人を、街まで連れ回すつもりでいるのか。随分早い変わり身だ。
(こいつも、身内と思えばどこまでも優しいヤツだしなあ…)
 となると、ささやかながらシャカをも「やや身内」の枠に入れたのだろう。そう思ってなんとなく嬉しくもあり、また特権が取られたようでちょっと残念でもあった。
「あと、猫、なぞと呼ばわるなよ。名前をつけるものだ」
「…君が好きに呼びたまえ」
「お前の義務だ。私はお前が決めるまで呼ばぬからな」
「………」






 その猫が「一応」シャカの飼い猫として黄金聖闘士内で公認とされ、真っ白な美しい姿で十二宮のみならず聖域全域を闊歩するようになるのはまた別の話である。













ayakoちゃんキボンヌのミロとカミュ。シャカを間に挟んでシマタのはそうしないと手が進まないから。
許してくれ。そして困ったときは子供ネタか動物ネタという大変良くない例。
会社でとあるおばさんが「とてもとても可愛がってた黒猫が車に轢かれてグチャグチャになって死んでしまった時
泣きながらそれでも肉片や眼球を拾い集め、できるだけ元の姿になるよう小箱につめた」と聞き、
それは愛だと泣けた。