月の出ない夜



                                                         


 シャカは、毎度のことながら教皇からの「お呼び出し」にうんざりしつつも、忠実に教皇宮までやってきた。
 教皇が、…まるで神の化身そのもののように清らかで偉大な筈の教皇が、時折まったく別人のように変貌することを、シャカは2年ほど前に知った。しかし知ったところで教皇に絶対服従せねばならないのが「聖闘士」であることも承知していたし、またシャカにとっては大変不名誉なことにろくでもない(しかし当人にとっては深刻な)弱味も握られてしまったりもして、結局そのまま、なし崩しの状態で今まで過ごしてきたのである。
(アイオロスが…逆賊扱いになってしまったのも…教皇の変貌を見てしまったからだろう…)
 そうは気づきつつも、弟である獅子座アイオリアにはこのことは話せない。あの直情型獅子のことだから、きっとなりふり構わず真っ向から「教皇」に刃向かい、逆賊扱いになってしまう。本当のところは射手座が居なくなってしまった今、どうにも確認できないが、女神を殺害しようとしたというのも冤罪なような気がしてならなかった。
 そこまでは考えを詰めたシャカだが、肝心の教皇に対しては間抜けと言えるほど無防備に存在を信じていた。というのもシャカは聖域にやってきたのが一番最後だったせいもあって本物の教皇にはただの一度しか逢わず、当然顔も知らなければどんな人物なのかもろくに見定める機会がなかったのだった。
 冷静に、多少なりと疑いを持って観察すれば別人であると判断できたかのも…しれない。しかし当時6歳で右も左も判らぬ見知らぬ土地に突然放り込まれ、さすがのシャカも相当混乱していた。その当初の噂では、現教皇は前回の聖戦からの生き残りだということで、明らかに尋常な人間としての年齢枠を越えていたので、「女神の地上代行者」とやらは人間以外なのか、と勝手に神格化して考えていたのだ。
 …確かに、人間とは思えない。若すぎる。
(ムウが…聖域に戻ってくれば…)
 確か教皇はムウの師匠だった筈だ。その彼が何の理由かジャミールにひっこんだきり全く出てこなくなってしまったのもこの件が間違いなく絡んでいるだろう。昔は何か別の、関わりのない意図があるのかと思い、大して気にすることもなく放置していたのだが、教皇の変貌を知ってはじめて思い当たった。
 ムウが十年近くも前に既に気付いていたことを、自分がまったく気付かなかったという事実は、少なからずシャカを落ち込ませたのだが…。
(…ムウは…ジャミールで何を考えているのだろう…)
 だいたい、まず一番にもの申すべき弟子の彼が沈黙を守ったままなのだ。どんな裏があるのかなど今のシャカでは到底判断できない。
 さりげなくジャミールを訪ねて相談しようにも、完全に泥沼化した己の状況では、もはやどのように話を切り出していいのか見当もつかなかった。
(女神は…教皇のことをご存じの筈…なのに放置しておられるのか…)
 女神さえ何も言わず、そして現教皇が(もしかしたら射手座造反の事件以外では)さしたる問題もなく聖域を治めているのだから、シャカには表立って反論するチャンスがない。
 ───なにか、何か少しでもきっかけがあれば。
「教皇に、バルゴのシャカが来たと伝えよ」
 入り口の雑兵に殊更冷たい声で命ずる。内心の不機嫌さが声音に出るのは己の未熟と判っていつつも、抑える気にもなれなかった。あたふたとひとり、謁見の間に駆けてゆく。
「…お待たせ致しました、どうぞ、教皇がお待ちでございます」
 これから戦闘に行く訳でもないのに聖衣をフル装備したのは、せめてもの矜持だ。シャカはこれからの数時間をなるべく考えまいとした。
 この、乙女座のシャカが、命令とは言え娼婦のような立場に甘んじている、などと。



「…二月ぶり、かな。シャカ」
 謁見の間で雑兵を下がらせ、シャカだけが勝手知ったる奥の間へと入る。二間ほどもあるその奥は書斎らしき部屋と寝室とに分かれていて、教皇はいつも寝室で待っていた。
 シャカはこの寝室が嫌いだった。女のように弄ばれる屈辱もさることながら、この部屋には巨大な鏡が据え付けられているのだ。幾度となく淫猥な交わりの瞬間を見せつけられた。目を閉じて拒むことも許されず、シャカは狩られた兎のようにただ無気力に従った。
「フ…暫くインドに引っ込んでいたそうだが…」
「より深い瞑想のために、ガンガーへ。己の未熟を感じることがとみに多いもので」
 くすくす、と表情の見えないマスクの下で教皇は含み笑う。
「そなたが未熟というのであれば、人間とはすべからく未熟であろうよ」
「それも、承知しております」
 無駄口はゴメンだ、といわんばかりの態度で切り捨てるように答えてから、シャカは教皇の数歩前に跪いた。軽く頭を下げ、命令を待つ。どのような仕打ちであろうと一切が命じられたものであるという、シャカ自身にとっての言い訳でもあった。
 教皇は、それを仮面の下から睥睨する。
 …やがて、微かなため息と共に低い声でひとこと、命じた。
「近う」



 外はもう夕暮れ色に染まっていた。
 最初の荒波が収まると、教皇は…否、双子座のサガは億劫なマスクと仮面を外してベッドから降りた。シャカが気を失っていることを確認した上だが、もうそろそろ顔を見られても構わない気分にはなっていた。
 サガは自分の髪を一房掴んで暫く弄んだのち、乱暴に払う。その髪はまるで闇を吸い取ったかのような漆黒で、かつてのサガを知る者が見ればその違いに驚いたことだろう。
(今の私を見て、シャカは果たして気が付くのかな…)
 サイドボードの上に置かれたグラスに寝酒用の赤ワインを注ぎ、軽く喉を潤してから再びベッドに腰かける。くったりと疲れた風に眠るシャカを見下ろし、小さくため息をつきながらなんとはなしに手を伸ばして頬に乱れかかる細い金髪をなであげた。
(どうだ、いい加減正直に身元をうち明けてやったら)
 シャカではなく、もう一人の己に対して黒髪のサガは問いかけた。もう一人の自分が罪の意識と嫉妬とで荒れ狂っているのを十分承知した上で、みせつけるようにシャカの髪を梳いてやる。
<やめろ! それだけは!>
(シャカも、いつまでも仮面人間相手では気の毒だろう?)
<やめろと言っている!>
「それに、前もって仕込みをしておかねばキスのひとつもできん。私も鬱陶しい」
 そう呟いて、ボードの引きだしから、これも時折使う黒い帯を取り出した。
 乙女座を余興で抱くようになってから既にもう二年近くが経過している。始めはただ茫然となすがままの彼も次第に慣れて、従順なだけではなく適度に開放的になった。それなりに調教してしまえば可愛いもので、サガはヒマさえあれば乙女座を呼び出し快楽に耽るようになっていた。
 今のところ恐れているのは、彼がいつ真実に気が付くか、ということだけなのだが。未だに彼が「教皇」に対して強い反逆心を持つような傾向はみえない。
 …逆に、こうまで辛抱強く疑いを押し殺されると、どうやってバラしてやろうか、といった危険妄想に浸ってしまったりもして。
「…ン…」
 取り出した帯でシャカにきっちりと目隠しをする。もともとが四六時中目を閉じて行動する彼だからこれで不自由することはまずない。
「いい子だ、もう少し、私の相手をしろ」
 シャカは目覚めた自分の視界がふさがれているのに気付き、無意識に身体を固くした。こんな日は例外なく酷くされる、とシャカは経験で知っている。
「…教皇…今日の…公務はよろしいのですか」
「そなたがそれを心配する必要はない」
 手際よく帯を巻き終え、塞がった瞼に布の上からサガは機嫌よくキスをする。美しいロイヤルブルーの瞳が涙で濡れるのを見る様も、それはそれで堪らない愉悦なのだが、残念ながら同時には味わえない。(過去に一度、視覚を無理矢理絶って犯したこともあるが、何しろ相手が相手なので、いつ自分の技の効力が切れるか判らず、結局原始的に目隠しという手段に落ち着いた)
「…ウ…アッ…」
 一糸まとわぬ裸体のシャカを転がすようにして、サガは覆い被さった。途端に細い身体が怯えて固くなるのを肌に感じ、凶暴な支配欲がいっそう刺激される。
「…普段目を開かぬくせに…こんなときだけ生娘のように震え上がるのだな…」
 嘲笑するように言えば、口だけは達者にシャカは答えてくる。
「わ…私が目を閉じているのは瞑想を深め…小宇宙を高めるためであって…何か障りがあるときはきちんと目を開けます…」
「障りか? ただ可愛がってやっているだけであろう?」
 頭の奥底で、もう一人の自分がもはや意味もなくやめろと喚いている。
「そなたは私の可愛い小鳥だ。ただし、あまり余計なことをぼやくなら目だけでなく口も塞ぐぞ」
 シャカは、むっすりと不満そうに黙った。よしよし、従順なのは良いことだ。
「…物分かりのいいことだな…シャカ。私はそなたが心から愛しいよ…」



 はた、と唐突に夢の中から目覚めたような浮遊感に、サガはぶるっとひとつ頭を振った。
「…アアッ…!! ア!」
 サガの髪はいつの間にか青みがかった白銀に戻っている。これが本来の彼の髪色で、しきりと瞬きを繰り返す彼の双眸も美しい紺色だった。たった今まで、もう一人の邪悪な自分が思う様乙女座を弄んでいるのを煮えたぎる嫉妬の思いで見ていた筈なのに。
「ン…」
 可哀想な乙女座は、きっと本気で自分の腕から抜け出そうと思えば出来るだろうに、何の忠誠心を働かせてか、無抵抗の獲物のように身体を委ねている。
(本気で逆らえば…この教皇宮くらい軽くふっとぶだろうにな…)
 きつくきつく、痕がつくほどに押さえつけていた二の腕を、緩く解放してやる。
「教…皇…?」
 シャカは突然糸が切れたみたいに激しさを失った相手に、訳も分からずつい呼んでみた。サガは改めて自分の今の状態を思い出し、できるだけ優しく丁寧に抱きしめ直してやった。軽く身じろいだだけで、深く繋がった部分から耐え難い熱さが生まれ、身体中を駆けめぐる。
「ア…アッ…ン」
「シャカ…」
 サガは泣きたくなるような気分でぎゅっと抱きしめた。どうして巻き込んでしまった。元はと言えば自分が見つけて攫ってきたようなものなのに。そもそも聖闘士など、女神が居ない今何の役に立つというのだろう。もう一人の自分の、邪悪なる手駒か。
 哀れな半身が世界を征服するなどと世迷い言をほざくのを、誰も止められない。女神も止めては下さらなかった。救いようのない生き地獄の中で、サガはそれでも精一杯己の半身が全てを掌握しようというのを止めるべく、抵抗を続けるしかなかった。
「ヤ…ッ…も…」
「いい子だ…もう少し」
 サガは、気を取り直してシャカに応えてやる。こうして突然情事の最中に人格が交替するのは、実は初めてではなかった。最初のうちは頑なにシャカに触れまいとした「白サガ」を、「黒サガ」が有無を言わさず真っ最中にひっぱり出し、共犯にしたてたのだ。シャカを呼び出して行為を強要するのは決まって黒サガだが、白い方とて腕に抱いた回数は数えきれない。
 躊躇いを覚えたのは始めだけで、むしろその温かさにサガは救いを求めるようにさえなった。
「…シャカ…ッ」
「…ッ…は…!! あ…ァ…ッ!」
 再び段々と激しさを増していく愛撫に、シャカは悲鳴のような嬌声を上げる。仮面のまま犯されるときよりも数段不安なこの状態で、ひっしと抱きついてくる自分と同じくらい熱い身体を受け止め、頼りなくすがりついた。口づけを求められ、応じる。
「ンン…ッ…ふ…」
 身体中まんべんなくサガは愛撫し、キスの雨を降らせた。既に黒サガがつけたのであろう所有印を上から更に消そうと、しつこいくらいに唇を這わせた。そうして散々焦らしてから、ようやく己自身を解き放った。身の内で弾けた熱い飛沫に、シャカがひときわ高い声を漏らした。
「アアア…ッ!!」
 直後に、シャカの求めていた解放へと導いてやる。今度こそ悲鳴をあげて果てたシャカをぎゅっとかき抱きながらサガもうち震える。
 途方もない愉悦とそれから同じくらい強い罪悪感を感じて。



 月は無く、夜空は不気味な闇色に閉ざされていた。
 シャカが再び目を覚ますと、まだ元居た教皇の寝室で、部屋の主は明かり取りの窓からぼんやりと外を眺めているところだった。仮面もマスクもつけていなかった。
 銀色らしき長髪が、オレンジ色のランプの灯にちらちらと光って見える。シャカは思わず息をつめて目を大きく見開いた。
 …かすかに見える、横顔。逆光のようで輪郭しか見えない…その…。
「起きたのか、シャカ」
 穏やかな、優しい声だった。ああ普段の教皇だ、とシャカはほっとする。目隠しも取ってくれたようで、シャカはがばり、と起きあがろうとした。
「…つ…ッ」
「もう少し、休んでいきなさい。そなたがよろよろ回廊を歩いているのを見られでもしたら、下らぬ醜聞になる。そなたも本意ではないだろう」
「…今更、遅いのでは?」
 教皇は、わざと背中を向けたままくつくつと笑った。そんな風に笑っても、どこか穏やかな柔らかさが伝わってくる。
「誰よりも矜持の高い乙女座シャカの言葉とも思えんな。バレて欲しいのか? お望みならこの教皇自ら、そなたが私の愛人だと触れ回ってやってもよいが」
「…それこそ、貴方にとっても本意ではないでしょう」
「そうかもな」
 言って、教皇は軽く手を振ってみせた。自分の背中に、痛いほどのシャカの視線が突き刺さっているのを十分承知の上で、窓から外への視線は一向に外さなかった。
 シャカは、必死で身体を持ち上げた。乙女座の聖衣が扉の近くで、何食わぬ顔で取り澄ましたように本来の星座の形を成しているのを見て何となく憮然とした気分になった。顔、といっても単なる作り物なのだが、自分がこんな、娼婦みたいに扱われているのを、天空の処女たる「彼女」がどんな目で見ているのか。
(らしくもない…どんな目で見ようが好きにすればいい…)
 持ち主を護りもしないくせにそのご機嫌を取るつもりもない。シャカは不穏な気分を無理矢理おしやって、立ち上がる。すう、と黄金色の小宇宙がシャカを覆って、その小宇宙に引かれるがごとく、乙女座の聖衣も分解され、持ち主に装着された。
「休んでいけ、と言ったろう」
「お気遣いは無用です。貴方の責務の邪魔になりたくはありません」
 長居はしたくない、という顔で、しかし決してそうは言わずシャカは断る。
「業務ならばつつがなくこなしている。そなたに心配されずともな」
「…では失礼」
 ずっと、不動の背中を見つめ続けていたシャカは、そう言ってやっと踵を返した。顔を見ようとしても無駄なのは判りきっていた。
 シャカが扉を開けて外へと滑り出た直後、最後の悪あがきのようにさりげなく振り向くと、その鼻先でぱたんと扉が閉まった。
 シャカは、一瞬またたいたが、やがてため息ひとつでもう一度、踵を返した。












ここまで来て教皇の正体がすげかわっているとは気付かないまま好き放題されてもやる気ナッシング
乙女座。心の慰め?に変態プレイばっかりのサガ…ぬがーーーー自分で書いててツッコミ入れずには
おれぬ腐乱設定じゃ!! 別人28号のギャグというカテゴリに入れるしかあるまいよ!      

ハッこのあとのムウシャカ強姦風味SSにてキスマークつけた手段というのはコレです(汗)