とってもトーシロな予備知識。 中国四大奇書のひとつと呼ばれる西遊記は、実は日本で最も研究が進んでいるそうだが、おおまかに説明しよう。 今読み親しまれている「西遊記」は、明の時代に成立した、全百話から成る口語体の長編ファンタジー小説。 南京の世徳堂てとこから(1592年)刊行されたので通称「世徳堂本」と呼ばれる。これとほぼおなじ内容で「李卓吾先生批評西遊記」と呼ばれる本が完全な形で現存しており、どうやらこれが最も古いだろ、ということで、この「李卓吾本」を基礎にする西遊記が多い。 (李卓吾センセって誰よ?とか言い出すときりがないが、出版物にハクをつけるためにナントカ先生批評の本、てあおりをつけてるんだって) が、なにしろ全百話もあるので長いよ!と思った人たちが、もっと気軽に読み親しみたくてダイジェスト版を作っていった。続く清の時代に成立した「西遊真詮」がそれにあたる。平凡社から出版されているのはコレを底本とする。…しかしダイジェストといってもちゃんと100話あって、中身が微妙に省略されているだけっぽいです。どこがどう削られているか、つう対応表でも作りたいくらい。でもまだ読んでません(汗)。早く読まないとww。 で、そもそも西遊記というのがどうやってできあがったか。 玄奘三蔵(西遊記の中では唐三蔵)。彼は唐の時代にインドへはるかな旅をし、たくさんの経典を祖国に持ち帰った実在の人物、であることは今更説明するまでもないと思うが念のため。(最もよく知られる般若心経は玄奘訳。観世音菩薩(観音菩薩)を「観自在菩薩」と訳した) そうして玄奘三蔵・取経の旅物語が宋の時代に「大唐三蔵取経詩話」という名でまとめられた。元の時代には今ある「西遊記」の骨格が出来、劇の演目となって舞台で演じられたり、人々へ語って聞かせる「講談」として語り継がれるうちに、「玄奘の旅物語」はだんだんと「孫悟空なる痛快主人公とその仲間たちの織りなす娯楽小説」へと変わっていったのだろう。 なお、長らく作者「呉承恩」とされていたが、ここ最近は「複数の作者がいるだろう」という学説に変わりつつある。実際読んでいると、確かに章ごとにキャラの口調などに微妙な違いがあったり、設定の矛盾も多い。今の形になるまでに何百年も民衆の間で講談として語られていたのだから、今更作者を一人に限定するのは難しいかな。 で、とりあえず読み比べです。 もちろん個人的な主観入りまくりなので、はじめにご了承をば。 ◆「西遊記」岩波文庫(1977〜1998) 全十巻 (故)小野忍 訳1〜3巻・中野美代子 訳4〜10巻 (※2005年に新版全十巻改訂、中野美代子訳・李卓吾本を底本とする) 現存する西遊記日本語訳本の中で、おそらく最も優れた完訳本。私にとっては「西遊記」のすべての基礎。 推測だがこの岩波中野美代子版を基本とし愛する西遊記ファンは多かろうと思う。少なくとも西遊記を語りたかったらこの本なくしてはあり得ない、と言っておく。 もし興味がわいてこれから西遊記を読もうという人、とにかく古本でもなんでもいいから一番最初にこれを読むべき。長いからといって敬遠するなかれ。大変軽快なリズムで書かれており、中身は高度にオトナ向けのくせして児童書に負けないくらい読みやすい。 長々とした詩が随所に入るが、めんどければ初心者は読み飛ばそう。大丈夫、話の筋はわかる。なんでかってと、詩の部分はどうせ「食べ物や風景の描写」か、でなきゃ「悟空と敵妖怪の自己紹介」だからだ(笑)。ついでにいちいち成り行きをバカ丁寧に何度も繰り返す場面もガンガン飛ばし読せば実質は半分になる(笑)。 飛ばした部分はあとでゆるりと読み直せばヨロシ。スルメのような味わいを楽しめる。さらに巻末の注釈がすばらしく膨大でたいへん興味深く、一旦読み始めたら数時間はアッという間に経ってしまう困った代物。 特筆すべきは登場人物の見事なまでの「キャラ立ち」具合。特にこの中野美代子版「孫さま」は超絶に萌ゆる。自分のことをおれさま/孫さまと呼んではばからず、丁寧な言葉遣いながらもふんだんに皮肉を交える尊大な口調が絶品。また、絶好調な八戒のおまぬけさ、図々しさや、三蔵法師のへたれっぷりも群を抜く。三蔵が理不尽に弟子たちに八つ当たりする場面や、弟子たちが壮絶に下らない言い合いを延々続ける有様などは、大変におもしろおかしい。こういうくだらなくも味のある部分を省いてしまうのが他のダイジェスト版の実に残念なところで、そういう意味でも、やはり心から西遊記を楽しむためには、岩波西遊記はファン必携の書。 ◆「西遊記」福音館文庫(2004) 全三巻(上中下)君島久子 訳 (※1976年に出版された単行本を文庫化/李卓吾本を底本としたダイジェスト) 大変読みやすい、穏やかで美しい訳文の西遊記。原文にもかなり忠実のようでダイジェストとしては上出来。(西遊真詮をそのまま訳すのではなく自分で選んだらしい) 惜しむらくは、せっかく百話構成の「李卓吾本」を底本としながら、「同じパターンの話が何度も繰り返される」という理由でかなりのエピソードを省いていること。三巻にまとめるのだから仕方ない処置だがファンとしては歯抜けた仕様。初心者向けとしてもイマイチ押しが足りない。故に最初に読む本としては勧められない。岩波を読み終えた後にゆっくりそろえたい。 ◆「西遊記」中公文庫(1977) 全八巻 邱永漢 訳 台湾人の邦訳西遊記。70年代サラリーマンが世界情勢を熱く語るぜ!みたいな西遊記らしからぬ文体がおもしろすぎる。平気で文章の中に「おおスーパーマンだ」「まるで映画俳優だわ」などと、遠慮なく現代語を混ぜてくるのがいっそ豪快。解釈もかなり意訳しまくっており、天竺を「共産主義の温床になるような貧富の差の激しい所」と言っちまったり(うわ)「福祉国家の典型的な姿は重税国家だ」とか、もう言いたい放題。特に観音菩薩のしたたかさは絶妙。悪辣なニヤニヤ笑いは本来悟空の持ち味なはずだが、この西遊記ではむしろ観音や如来の持ち味に。そして悟空を猫の子のごとく容易くあしらう。お、おそろしや。 みどころは有名な影絵作家の「藤城清治氏」の挿絵と、随所に織り交ぜられた皮肉たっぷりの現代風新解釈。どうも絶版?らしく、一部では既に珍しいとされているが、私は熱帯のマーケットプレイスで検索かけたら全巻容易く揃ったので諦めるのは早い。ちなみに(絶版のせいか?)そっくり全文がネット上で公開されているので検索で探してみてもよい。 ◆「西遊記」偕成社(2001) 全三巻(上中下)渡辺仙州 著 これは、超個人的にみどころが「挿絵」。 とてもとても悟空がかわいい!(着眼点はそこか)また珍しく八戒が黒豚(原作通り)だったり、なぜか玉竜が頻繁に口を挟み、人姿(しかも美形)に化けてやたらめったらオリジナルな活躍をする不思議西遊記。言っておくが原作に玉竜が活躍する場面はほぼ一度きりしかないし、普段は絶対口も聞かないのであしからず。 ストーリーは子供向けにずいぶんアレンジされ、本場中国のTVドラマからエピソードを借りてくるなど珍しい切り口で全編を構成。ぶっちゃけこれの主人公は玉竜か。苦難のヒーロー。 ついでに悟空は大変きかん気なただの悪ガキ(笑)で、ぬあんと八戒が悟空を諌めたりする。いやァすごい!!ありえねぇ!!そんな八戒初めてみちゃった!! そんなわけでこれを西遊記と思われたら原作ファンとしては怒りたくもなるが、別物としてみる分には大変面白くお勧め。懐に余裕があったら是非手に入れておきたい逸品。 ◆「西遊記」ポプラポケット文庫(2005) 全三巻 吉本直志郎 訳 君島久子氏が「やさしく美しい西遊記邦訳」を目指したとするなら、こちらはまったく対極。笑ってしまうほどに猥雑で乱暴な、それでいて大変軽快でテンポよい文章がこれの最大の持ち味。 訳者当人曰く「西遊記は本来あけすけでてらいのない語りから成り、そういったキタナイ部分を避けて通ると魅力が半減してしまう」とのこと。確かに一理ある。また挿絵もそれにあわせたベタなギャグ調イラストで、いかにも児童のよみやすそうな雰囲気の文庫となっている。 訳はおそらく世徳堂本が底本か、たった三巻の割には上手にエピソードを拾いまとめあげている。 ただひとつ個人的に納得のいかない点はあとがきのみ。吉本氏、「西遊記の原作を忠実に逐語訳したら冗長で矛盾だらけのたいへんつまらないものになるから、訳者は自分たちの才能で上手く削ったり修正したりして自由に解釈すべきだ」と言い切っておられたのだが。…オイ待て、完全逐語訳の岩波文庫版を何だと思ってる? 吉本氏は多分悪気はないのだろうしバカにしたつもりもないのだろうが、言葉は十分選んで欲しいものだ。 ま、そんな個人的怨恨(笑)を置けば、非常に分かりやすく気軽に楽しめる一品。 ◆「西遊記」岩波少年文庫(1955) 全三巻 伊藤貴麿 訳 岩波文庫の児童書版。こっちのほうがダントツで古いのだが、中野御大の完訳が出てしまった今となると果たしてどれだけ必要なのかちょいと疑問な気分。これが好きな人にはごめんなさい。 いや別にぜんぜん悪かないが中野版より遥かに文章が堅くていささか小難しい雰囲気なのは一九九五年という年代の古さ故ですか。悟空が全編とおしてきちんと「行者」と呼ばれていることとか逆に新鮮に感じますわ。しかもこっちの「行者」さまは中野版悟空よりおとなびた口調だし(笑)。まあこれはこれで骨太感があって良いかな。 ◆「西遊記」毎日新聞社(2007) 上下巻 平岩弓枝 著 毎日新聞で連載してたのをまとめたハードカバー。うたい文句が「今までで一番美しい西遊記」。 その言葉にいつわりはない。というか、優しすぎるしおとなしすぎる。個人的にはいろいろ斜め視線で大変萌ゆるので大絶賛(笑)なのだが、正当派?西遊記ファンには正直あまりお勧めできない、かも。 斬新なのは、悟空が花果山で誕生し天界で大暴れしてやがて釈迦に封じ込められるまでのすったもんだを丸ごと省いて唐の太宗皇帝が冥界巡りをする所から物語が始まる。すごすぎる。 で、天界編をどうするのかといえば、悟空が三蔵のおともをしながら身の上話として順次回想しつつ説明していくという段取り。原作では周囲に秘密な筈の「須菩提祖師」(※悟空の一番最初の師匠)をお師匠さまと呼び、そのせいで三蔵のことを師匠と呼べなかったのでしばらく「坊さん」と呼ぶ、とか、育ての親に花果山の土地神(オリジナル)が居て悟空の世話をやいたり。これはすでに「訳」ではなく、独自の西遊記。 注目は、悟空と三蔵の仲良しさ爆裂。原作ではありえないほどに互いを愛し(笑)合っており、下巻のフルカラー口絵ではこの師弟、はっしと抱き合ってウトゥーリしていた。すごすぎる。 八戒が「莫迦」ではなく「陰険役人気味な」ずる賢さをもったキャラに。うーんそういう解釈もありか。悟浄はおよそ原作通りだが、日本人向けか?朴訥さ&不器用さが顕著になっている。日本人女性の(萌えの)為せる技か、やたらに悟空が怪我をして血まみれになっているのも注目。師匠を庇って痛い目に遭うちび弟子という構図がツボなんだろうか? は、もう一つ注目。悟空は天界のアイドル状態。二郎真君なぞは臆面もなく悟空にむかって「そういうおまえが好きだった」とか抜かしてくれる。 とりあえずまあ、通常の西遊記のあとに腐女子的デザートとして(え?)、いやいや、珍しい新解釈の西遊記として読んでみるのも一興かと。 ◆「西遊記」理論社(2004〜)(09/03/23更新) 現在7巻まで 斉藤洋 また最近西遊記の新しい児童書が出てるらしいと小耳に挟んで、よろしくない大人買い。 終わってないよ。…もうすぐですか、ていうか原作半分までしかいってませんがあと一冊ってほんとですか。 悟空が猛烈に漢です。とにかく義理人情に厚く、官僚大嫌い体制大嫌い反骨精神系、つまるところ仏も菩薩も実は信じてなくて意地っ張りで頑固で妙に革命派的。そして、とてもとても師父が大好きです。びっくり。 えー、私としては、いや、これはほんとに個人的意見ですが、とっても優しいけど実はちょいとこすずるい観音菩薩さまと、それに翻弄されつつも、抜け目がなくて要領のいい孫さま、実は師父があんまり得意でなく反発しまくり(嫌いではないがww)つうのが好きなので、あんまりぎゃんぎゃんと観音さまに対してまで聞き分け悪いリベラル意見たまっちゃう悟空は、ちょいと「らしくないなあ」なーんて思っちゃうんだけど…。 ぶっちゃけ斉藤氏、ちょい反体制派思考だよね。悪いとはいわないが、児童書にしてはちと扇動的だなあ…もすこし柔らかく受け止めてもいいような…。…そこまで心配する必要ない? でも、こういうのが好み!ってのもそれはそれで判る気がした。だって悟空ほんとかっこいいから。そして、やはり誰が書いても「そのひとだけ」の別世界西遊記になるのがほんと、西遊記ってすごい懐広いと思った次第。 |