「ぎゃん!!」
甲高い悲鳴があがって、玄奘三蔵はびっくり、めをまるくしてその場に立ちすくんだ。
おそるおそる足下を窺うと、着物の裾からちらり、金色の毛に覆われたしっぽの先がはみ出しており、どうやらそれを、己の足がおもいきりふみつけにしたらしかった。
「す、すまないね、悟空」
あわてて足をどけると、しゅるりとしっぽは着物の裾にひっこんだ。次いで悟空が涙目(笑)で振り向く。
「…そんなに、痛かったか?」
なんとも情けない顔になっていた弟子を見て、大変不謹慎ながら三蔵は少し吹き出してしまった。悟空はたちまち不平を漏らす。
「ひとのしっぽ思い切りふんづけといて、笑うこたァないでしょうや、師父」
「悪かった、悪かった。…わたしにはしっぽがないから、しっぽの感覚とやらがちょっと想像もつかなくてね。どれ、ちょっとみせてごらん。あざにでもなっていたら湿布を貼ってあげるから」
悟空は、これには首を横に振った。
「無防備だったもんでちょいと響いただけです、生傷なんざできやしません」
だが、見えなくなってしまったしっぽが妙に気になる三蔵、さらに問いかける。
「ところで、そのしっぽとやらは、たとえばもう一本、手があるような感覚なのかい?」
純粋に興味で尋ねたところ、悟空は首を傾げた。ぱた、ぱた、と着物の裏側で激しくしっぽを揺り動かしているのが見えて、なんだかうずうずする。
「もういっぽんの手…? いや? 全然違いますぜ? おれさま、手が六本、頭が三つ、てのはできますけど、しっぽはしっぽですよ」
「それが、想像つかぬから聞いているんだが。…やっぱり見せてごらん。そういえば一度もちゃんと、見たことがない」
やっぱり、ってなんですかい、と悟空は軽く抗議したが、師父が一度言い出したらわりと頑固で聞く耳もたない、というのもよく知っていたので、けっこうあっさり諦めた。はい、と背中をむけて着物を少したくしあげ、しっぽをよく見えるようにする。
柔らかそうな金毛の、するりと滑らかなしっぽ。毛の生えた蛇みたいなくねくね加減がものすごく面白そうだった。
「ほら、別にどっこも傷ついてないでしょ」
大部分は毛だけで、身の部分はひょろったゴボウくらいの細さだった。それに思ったよりずっと手触りが良い。するすると撫でるのが妙に気持ちよくて、つい、手に包んだそれを何度も何度も執拗になで下ろした。悟空は、そのあいだずっと、ちょっとしかめ面しながら耐えていた。
「師父。もういいでしょ。隠しますぜ」
「あ」
しびれを切らした悟空は、不意にすいっと三蔵の掌からしっぽをひっこぬいた。ぱた、と軽く鞭みたいに宙をひとうちするとしっぽそのものが霞のように実体を失い消えていく。術で隠したのだろう。
「ああ、いい手触りだったのに。もう少しくらいいいじゃないか」
つい三蔵がぼやくと、悟空は金眼を細めて不審そうに提案。
「そんなに毛皮の手触りが欲しいんなら、リスでもテンでもとっつかまえて皮はいで、えりまきでも作ってさしあげましょうか?」
もちろん嫌味で言ったのだが、三蔵はとたんに怒り出す。
「殺生までしてそんな着物など欲しくはないよ! まったくおまえはすぐそんなことを言って」
悟空も予想通りの反応に、はあとため息。
「なにもほんとにやるとは言ってないでしょ」
今度は廃屋で寝泊まりしたときに、夜中に「ぎゃん!」と甲高い悲鳴があがって三蔵は目をさました。八戒が悟空のしっぽをおもいきりふみにじったらしかった。
「わりいわりい、んなとこに兄貴のおしっぽ様がはみでてるとは知らなんだ」
うっすら月明かりがこぼれる中、きょうだいたちがなにやら言い合っている。
「なんだよ、夜中にもぞもぞ起き出してなんだっつうんだ」
「腹減っててお湯ばっかがぶがぶ飲んじまったからさ、ションベンしたくなっちまって」
なんだ、実はけっこうしっぽを踏まれてるのか?と三蔵が思わずそのまま見守る。
ひときわ大きな図体がもそりと動き、外へと出て行いった。その傍に、やはり悟空の悲鳴で飛び起きたのだろう、もうひとつ大きな影が近づいていく。
「…師兄、平気? 腫れてない?」
「平気だってば。くっそ、だからみんなで雑魚寝はやなんだよ…」
なだめる悟浄と、ぶちぶち文句を言う悟空。小さい影が一度はひょいと天井の梁に飛び乗ったところで八戒が外から戻ってきて、悟空にもう一度詫びを入れていた。
「なー悪かったよ。わざとじゃないって。もうしないから、一緒に寝ようぜ。兄貴がいないと寒いんだよ」
「おれさまはおぬしの湯たんぽか?」
悟浄がそこで「いいから一緒に寝ようよ」と声をかけると、意外にも小さな影が素直にひょいと降りてきて、もそもそとふたりの間にもぐりこんだ。
そこまで見て、三蔵はなんだかとても面白いものをみた気分でなんとなく幸せになりながら、自分も目を閉じた。
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